行かねば行かねばと思いつつ執筆に追われて一日延ばしにしていた世田谷文学館「
石井桃子展」にやっと見参。本当は初日に馳せ参じるべきだったと悔やんでみても始まらない。後悔は先に立たないのだ。
疾うにカタログは売り切れ、犬養家旧蔵の "The House at Pooh Corner" の現物も展示期間が終わって所蔵者の江戸東京博物館に返却されてしまっていた。それでも手書き原稿の数々や改訳のための書き込み入り手沢本など、初公開の遺品のあれこれを矯めつ眇めつ拝むことができたのは眼福だった。
展覧会の最大の収穫は中央公論社の編集者だった藤田圭雄に宛てた石井桃子の葉書である。差出日は1942(昭和十七)年8月22日。
(表面)
東京駅前丸ビル五階
中央公論社内
藤田圭雄様
二十二日夕
杉並区東荻町四三
石井桃子
(裏面)
御葉書まことにうれしく拝見いたしました。
國民學校一年の人を相手にそんなに面白く
読んでいたゞいたと拝見して、それはきつと
譯文よりも藤田さんの朗読法の方がお上手
だつたにちがひないと思ひました。私が關係を持
つ子供の本はいつもむつかしすぎるといふお小言を
頂だいします。この間四五日山へ行つておとなの友だちを
相手にノールウエイの子供のお話をして抱腹絶
倒させましたが、私には小さい人を相手にそれを
することが出来ないと悲しく思ひました。プーもど
うぞよろしくお願ひいたします。御礼まで。
どうやらこれは「あなたが出された訳書を小学生たちに読んで聞かせたら面白く聴き入っていましたよ」という藤田の報告に対する返礼の葉書であるらしい。思うにその本とは彼女が自ら興した出版社から出した『
ドリトル先生「アフリカ行き」』(1941年1月刊)だったように察しられる。この本は井伏鱒二訳として世に出たが、下訳を手掛けたのは石井桃子自身であり、「譯文よりも藤田さんの朗読法の方がお上手だつたにちがひない」という謙遜もそこに由来すると考えられるからである。そのうえで石井は藤田に「
プーもどうぞよろしくお願ひします」と書き添えている。これは刊行間もない『
プー横丁にたつた家』(1942年6月刊、岩波書店)を指すものであろう。
葉書の文面の欄外に小さい字で書き添えて
私は實行力がなくて出版も圖書室もはじまりでおしまひになり
おはづかしく思つてゐます。
とあるのが何よりも重要である。これは石井が友人たちと企てた「
白林少年館」での児童書出版と子供図書室創設の夢がいずれも志半ばであえなく潰え去ったことを意味していよう。「
はじまりでおしまひになり」という表現に彼女の悲痛なまでの悔しさと忸怩たる思いが滲んでいる。
三年前に書いた拙文をお読みいただこうか。
→「白林少年館」の勇気ある試み
→私は窒息寸前だった…
→潰えた砦、見果てぬ夢
この葉書に窺われる石井の失意の大きさ、慨歎の深さは、それがごく近い過去に起こった痛恨事であることを示唆してはいないだろうか。