ここ数年お目にかかる機会がなかったので、口髭を蓄えたその写真に些か驚いた。だがよく見れば、はにかむようにちょっと控え目な笑顔は紛れもなく彼のものだ。
早めに着いたので、会場に先客は誰もいない。ジャズが低く流れている。花に囲まれた額縁のなかの顔をじっと見つめる。ああ、もう彼には逢えない、生身の彼と会話できないのだという思いが沸々とこみ上げる。
一緒の仕事が終わったあとも、彼は頻繁に手紙をくれた。宛名が必ず太い楷書体で大書されていて、律儀で生真面目な彼らしい字だなといつも思ったものだ。
時には遠路はるばる佐倉の美術館まで訪ねてくれたし、神保町の編集部でお目にかかることも一再ならずあった。彼の発案で本をもう一冊つくる話があり、ほとんど実現寸前までいったのに、小生が多忙を理由にぐずぐず引き延ばした末に立ち消えたのが今となっては悔やまれる。あんなに熱心に誘ってくれたのに非礼なことをした。赦してほしい。
彼のことをかなり年下だと勝手に思いこんでいたのだが、実際は一歳しか違わないのだと随分あとになって知らされた。折り目正しく謙虚な話しぶりがそう信じさせたのだろう。不躾に偉そうな口をきいたことを深く恥じる。
遺影の前には献花台が置かれ、その周囲には彼が二十年間に編集者として手がけた書籍がずらりと並べられた。そのなかに『12インチのギャラリー』があることに誇らしさを覚えずにいられない。一輪の花を手向け、そっと別れを告げた。