昨夜のうちに書き終えた連載原稿に少しだけ手を入れ、昼前に画像を添えて送ってしまった。やれやれ、これで一息つくことができるぞ。ふう。
さすがに今日はもう作文は打ち止め。何も考えずひたすら音楽に心身を委ねたい。
"Lorraine Hunt Lieberson"
ブラームス:
ダウマーによる八つの歌 作品57
~森に囲まれた丘から、時折あなたが微笑めば、私は夢を見た、あゝこの眼差しを逸らして、夜ごとの憧れに、時に柔らかな光が輝く、真珠の首飾り、そよとも風吹かぬしじま
シューマン:
ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」による四つの歌 作品98a
~君よ知るや南の国、ただ憧れを知る者だけが、黙して語るなと言い給え、しばしこのままの姿で
女の愛と生涯 作品42
(アンコール)
ドビュッシー:
雅やかな宴 第一集 ~操り人形
ヘンデル:
『テオドラ』 ~光輝く天使たちよ
メゾソプラノ/ロレイン・ハント・リーバーソン
ピアノ/ジュリアス・ドレイク
1999年10月4日、ロンドン、ウィグモア・ホール(実況)
Wigmore Hall Live WHLive 0024 (2008)
ドイツ語に縁の薄い小生はついつい独墺系歌曲を敬遠しがちなのだが、この一枚は数少ない例外だ。とにかく素晴しい声の魅力に惹かれてしまう。いつだったか、同じこのロレイン・ハントによるマーラーの「
リュッケルトの五つの歌」のディスクをたまたま耳にして、深々と静謐な、それでいて訴求力に富んだ精妙な歌にぞっこん惚れ込んだものだ。あれが1998年のリサイタル、今こうして聴き始めたのは翌99年のリサイタル。会場はどちらも同じ英京の
ウィグモア・ホールである。
今回の演目は渋い。寡聞にしてブラームスの「ダウマー歌曲集」も、シューマンの「ヴィルヘルム・マイスター歌曲」も、存在すら知らなかった。なのに、最初の曲の歌い出しから引き込まれる。なんという気品、なんという孤愁、なんという抒情だろう。米国人である彼女の発音の可否は正直なところよく判らないが、ここまで深く透明な声で歌われればネイティヴだって文句は言えないだろう。
「
女の愛と生涯」がとりわけ魅力的なのではないか。どこにも無理や誇張がない端正な語り口だが、さりげない感情移入があって、ひとりの女性の心の揺らぎが、手にとれるような輪郭をもってたち現れる。
このときの歌唱にロレイン・ハント自らの人生の投影をみるのは不謹慎であろうか。
(明日につづく)