(承前)
紹介が遅くなったが、
スヴィ・ラジ・グラッブ Suvi Raj Grubb はインドに生まれ、EMIの大物プロデューサー、ウォルター・レッグに才能を見出されて録音担当者として活躍、レッグ退職後もEMIクラシカル部門の辣腕ディレクターとして幾多のセッションを手掛けた。クレンペラー(
→写真)、バルビローリ(
→写真)、ジャネット・ベイカー(
→写真)、ジャクリーヌ・デュ・プレ(
→写真)らの歴史に残る名録音の現場に常に居合わせた百戦錬磨のプロフェッショナルである。
グラッブによる
マルタ・アルヘリッチ回想はなおも続く。
彼女は調整室へやって来て、私を見るなりニッコリ笑みを浮かべた。こちらがすっかり度肝を抜かれたのを先刻お見通しだったのである。それから数日間かけて、大量の濃いブラック珈琲の補給を受けながら、彼女はショパン・リサイタルを仕上げた。第三ソナタ、第三スケルツォ、さらに数曲のマズルカや夜想曲が珠玉のように散りばめられていた。ソナタの終楽章は中断なしにひとつのテイクで収録されたものだ。彼女はセッションを愉しんだと語った。録音されたピアノの音にも満足し、ぜひまたご一緒しましょうと言ってくれた。
セッションは1965年6月23、24、27日の三日間。アビー・ロードでのアルヘリッチ初録音は成功裏に終了した。関係者の誰もがそう信じたものだ。
アルヘリッチが取り上げた曲目を書き留めておこう。
ポロネーズ 第六番 変イ長調 「英雄」 作品53
マズルカ 第三十六、三十七、三十八番 作品59-1, 2, 3
夜想曲 第四番 ヘ長調 作品15-1
スケルツォ 第三番 嬰ハ短調 作品39
ソナタ 第三番 ロ短調 作品58
お気づきだろうか、ここで録音された演目はひとつ残らずアルヘリッチがショパン・コンクールの予選会で演奏した曲ばかり(
→ここを参照)。いわば彼女の得意とする「十八番」を選りすぐったアルバムなのである。
(まだ書き出し)