ディーリアスの余韻
「海流」から「夏の歌」へ
パーシー・グレインジャー追想
結構な恋よ!
結構なローマンス
東海岸旅物語
ルチアの恋の物語
薔薇の花の重さ
忙中読書
中村とうように感謝しよう
上京したら思いのほか帰宅が遅くなった。このまま就眠してしまうのも癪なので昨夜のディーリアスのCDを再び。「
海流(海の彷徨/藻塩草)」の素晴らしさをひしひし感得した。大仰な絶唱を努めて回避し、深く沈潜するスタイルを貫く姿勢がなにより好もしい。それでいて魂の慟哭が自ずと伝わってくる演奏なのだ。独唱のハンプソンも指揮のヒコックスも申し分ない。もちろん合唱も秀逸。
聴きながら本体の "BBC Music Magazine" をあちこち拾い読み。
ディーリアスは決してブリティッシュ・コンポーザーではない、「
彼は正真正銘のコズモポリタンだったのだ」と喝破する当代随一の研究家リンドン・ジェンキンズ氏の寄稿文は味読に足る内容だ。そのほか、閨秀ヴァイオリニスト、タズミン・リトル女史のインタヴューにもディーリアスへの言及がある。「(ディーリアスのヴァイオリン協奏曲を)
一言で要約するのは難しいわ。どんな言葉があるかしら。夢見るよう? 幻想的? 私がこの複雑さを愛する理由は、それが他と比較しようがないところなの。響きがなんとも多彩で」。新譜レヴュー中にもディーリアスがちらほら。流石に節目の年だけのことはある。
最も驚きだったのは上記ジェンキンズ論考に挿図として載ったエリック・フェンビーの写真(p.58)。書斎で寛ぐ翁の傍らには巨大な朝顔型の喇叭の付いた旧式蓄音器が鎮座する。キャプションに拠るとディーリアス遺愛の品なのだという。なんとそれは、かのケン・ラッセル監督のTV映画《
夏の歌 Song of Summer》(1968)に登場する蓄音器と全く同じものなのだ(
→映画の一場面)。
いやはや驚いたのなんのって。真実をあくまでも追求する監督はフェンビーからこの貴重な遺品をわざわざ借り出して撮影に臨んだのに違いない。
数日後、いよいよ作曲の口述筆記が開始された。ディーリアスが旋律を歌い、フェンビーがそれを五線譜に書き写していくという、気の遠くなるような作業だ。
「タータター、タータター、タータタター、書き留めたまえ! タータタタター、タータター、タター・・・」
耳障りな大声。しかもそれは高低がまるでない一本調子なのだ。フェンビーは必死に聴き取ろうとした。「何調なのですか?」「イ短調」。遅れをとるまいと躍起になるあまり、彼はペンを逆さに持ってしまう。インクで手が真っ黒になり、眼には涙が溢れてきた。「ごめんなさい。もうできません! 僕を許して下さい」。フェンビーが泣き叫びながら部屋から飛び出すのと同時に、心配したイェルカ夫人が駆け込んで来た。
フェンビーの背後でディーリアスの怒鳴り声が聞こえた。「イェルカ、あの子は駄目だ。のろますぎる。簡単なメロディも書き取れやしない!」
その晩、フェンビーがほとんど一睡もできなかったのは言うまでもない。
翌日、打ちのめされ、すっかり意気消沈した彼の許にイェルカ夫人がやってきた。
「フェンビーさん、貴方はここで主人を助けてあげられるただ独りの音楽家です。私には何の音楽的知識もないので、貴方の感じ方が正しいかどうか判らないけれど、私は貴方を信じます。ご自分の若さを武器に、主人に立ち向かって行って下さい。私はいつも貴方の味方ですからね!」
フェンビーが勇気を奮い起こして、再び助手としての仕事に立ち戻ったのは、この夫人の励ましのお蔭であった。
彼の手元にはディーリアスから託された手書きの楽譜があった。それはもう十年も前に着手された交響詩『生と愛の詩 Poem of Life and Love』の草稿だったのだが、フェンビーは一読してみて、その出来の悪さに落胆した。でも、このことをどうやってディーリアスに伝えたらよいのか。
夫人の言葉に平静さを取り戻した彼は、思い切ってディーリアスに本音をぶつけてみた。老作曲家は一瞬憮然とした表情を見せたが、すぐに気を取り直すと、真剣な面持ちでフェンビーの意見に聞き入った。「判った、フェンビー。この草稿から良い部分だけを抜き出し、それを君自身で組み立ててみてくれないか。急がずに、じっくりとね」
ディーリアスによれば、本当の傑作とはそれ自身のなかから自然に生まれ出てくるものだという。その例として、彼は自作『海流 Sea Drift』(1903年)を挙げる。「あれは私の最良の作品のひとつなのだが、何の苦もなくやすやすと、いわばひとりでに私の手から産み落とされたものだ」
『生と愛の詩』が息を吹き返し、〈ひとりでに〉動き出すには、恐らくかなりの時間が必要となるだろう。 ――拙著『12インチのギャラリー』 最終章「夏の歌」より視力と四肢の自由を奪われ、パリ近郊に隠棲する
フレデリック・ディーリアス。この気難しい老人の許を作曲家志望の青年
エリック・フェンビーが訪れ、困難な協働作業が始まる。その最初の口述筆記の場面である。
もう二十年以上も前の作文だが、フェンビー自身の回想録『私の知ったディーリアス Delius As I Knew Him』を参照しつつ、その忠実な映像化であるケン・ラッセル監督のTV映画《夏の歌 Song of Summer》の鮮やかな描写を思い浮かべながら夢中で書いた。熱に浮かされたようにワープロに向かった日々を懐かしく思い出す。なんだか「これだけは書かないと気が済まない」という心持ちだったのだ。
長々と拙文の一節を引いたのには理由がある。たまたま渋谷で目にした音楽雑誌 "BBC Music Magazine" の最新号が「今月の作曲家」としてディーリアスを特集し、こんな素敵なCDを附録にしたからだ。
"Delius: Sea Drift, Piano Concerto, Poem of Life and Love"
ディーリアス:
海流*
ピアノ協奏曲(改訂版)**
生と愛の詩**
バリトン/トマス・ハンプソン
リチャード・ヒコックス指揮
BBC ウェールズ・ナショナル管弦楽団&合唱団、バッハ合唱団*
ピアノ/ベンノ・モイセイヴィチ
マルコム・サージェント卿指揮
BBC交響楽団**
ヴァーノン・ハンドリー指揮
BBCコンサート管弦楽団***2004年7月19日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(プロムズ実況)*
1955年9月13日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(プロムズ実況)**
1999年3月1日、ロンドン、ゴールダーズ・グリーン、ヒッポドローム***
BBC Music BBCMM345 (2012)
ディーリアスが晩年「あれは私の最良の作品のひとつ」と述懐したという傑作「
海流(海の彷徨/藻塩草)」と並んで、フェンビー青年が「その出来の悪さに落胆」し、「良い部分だけを抜き出し」た末、「海の歌」として再生した原曲「
生と愛の詩」が一枚のアルバムで聴ける。それだけでも夢のような企てなのだが、BBCは更に貴重なモイセイヴィチ独奏によるピアノ協奏曲の実況録音まで加えて生誕百五十年の記念アルバムとした。ヒコックス、サージェント、ハンドリーという、些か陽の当たる機会の不当に尠ない古今のディーリアンが三役揃い踏みするのも床しいことだ。
因みにこの「生と愛の詩」は「夏の歌」の陰に隠れてしまい、久しく忘却されてきた幻の作品だ。今ではロイド=ジョーンズの指揮した初録音CDで聴けるようになったが(そのレヴューは
→念願の「生と愛の詩」を遂に聴いた)、今回このディスクに収録されたハンドリーの演奏はほかならぬ、その世界初演のときのものだ。なるほど確かにこの交響詩は些か纏まりを欠くとはいえ、「学生か誰かがディーリアスの作風を真似て書いたような代物」とフェンビーが酷評するほど不細工な曲ではない。今回のライナーノーツを引くなら、「これはこれとして聴くに値する」ものだし、「世界を放浪した作曲家の、ニーチェばりの活力が横溢する」音楽なのである。
記念年はもう終わってしまったので時節外れもいいところだが、久しぶりに思い出したような按配で
パーシー・グレインジャーを無性に聴いてみたくなった。ならば比類なき名手による極め付きの名演奏で。
"The Grainger Edition vol. 17: Works for solo piano 2"
グレインジャー:
虎よ、虎!
玄人の猟師
サセックスの無言劇役者のクリスマス・キャロル
宿敵の兄弟
オーストラリア高地の歌
収穫の讃歌
陽気な王様
リスボン(ダブリン湾)
田園詩
寡婦の祝宴
愛のために死す
ホークストウ農場
元気な若い船乗り
心の冷たいバーブラ・ヘレン(エレン)
ブリストルの街
海の歌のスケッチ
岸辺のモリー
到着ホームで唄う鼻歌
羊飼のヘイ
カントリー・ガーデンズ
モリスもどき
ガム吸い族の行進曲
植民地の歌
幸福な部族の天幕
陽気な、だが悲しげな
ストランド街のヘンデル
私のロビンは緑の森へ
ピアノ/ペネロピ・スウェイツ2001年3月1~3日、ロンドン、ナイツブリッジ、セント・ポールズ教会
Chandos CHAN 9919 (2002)
ああ、なんという懐かしさだろう。やっぱりグレインジャーは特別な人だ。体が弾み、心が安らぎ、胸が締め付けられる。そう感じさせてくれるのは
ペネロピ・スウェイツならでは。作曲家の真髄を知り抜いたピアニストだからなのだ。天下一品とは彼女の演奏を指す言葉だろう。女史のグレインジャー実演を間近に聴いた昨年11月27日をしみじみ追憶する。何やら遠い昔の出来事のような気がするのは何故だろう?
「没後50年記念
グレインジャー音楽祭2011」と銘打たれた奇蹟のようなあの催しのことは忘れがたい。ほんの数日前、その主宰者の宮澤淳一さんから「プロジェクト報告」と題された冊子を恵贈された。当日の基調講演とシンポジウムの報告三本を細大漏らさず収録した重宝な文献。日本語で読めるなんて夢みたいだ。一過性のイヴェントに終わらせない心意気にうたれる。さすが大学で催しただけのことはある。
今日は露西亞語と取り組んで青息吐息。佛蘭西語だつて辛いのだが、こちらはまるで齒が立たない。辭書と首つぴきで必死になつて悪戰苦鬪しても半日で僅か數行しか進まない。いやはや此れでは暗號解讀の方が余程ましなのではないか。
(承前)
ちよつと息抜きして遠い昔に逃避。昨日の記事で紹介したアステーア=ロヂャースのミュージカル映畫《有頂天時代》主題歌樂譜輯に於ける "A Fine Romance" 譯詞が餘りにも拙劣だつたので、あれと相前後して出たもう一つ別の譯詞を引く事にする。譯者は誰あらう、斯界の大立者にして當代随一の米國藝能通の
清水俊二。彼は何とアステア姉弟の最后の共演ミュージカル《バンド・ワゴン》をブロードウェイの生の舞臺で觀たといふ果報者なのである。
結構な戀よ!
酷いわ あのひと
接吻(キッス)もしないのよ
甘い言葉も最初だけ
今ぢや冷たい他處のひと
妾(わたし)を抱いても
くれないんだもの
諦めてゐるけれど
泣けて 泣けて
泣けちやふのよ
憎いわ あのひと
昔を忘れて
お魚よりも冷たいわ
感情なんかないんだわ
ものも云はない
喧嘩もしないのよ
諦めてゐるけれど
泣けて 泣けて
泣けちやふのよ──『映画之友』昭和十二年一月號附録、「映画主題歌樂譜」No.26こちらは一番も二番も女聲に歌はせる設定。原詞の二人の掛け合ひの妙は捨て、專らジンジャー・ロヂャースの獨白として譯してゐる。
しかも詞の随處に出る "A fine romance" を敢へて譯さず、例へば冒頭の
A fine romance, with no kisses
A fine romance, my friend this isを思ひ切つて意譯してゐる。
酷いわ あのひと
接吻(キッス)もしないのよ清水にはドロシー・フィールズの詞の仕掛や言葉遊びの面白さは十全に理解できたらうが、さうした彼を以てしても其の機微を日本語に移す事は至難の業だつたらしく、原詞にある巧妙な一節、
We should be like a couple of hot tomatoes
But you're as cold as yesterday's mashed potatoesを「お魚よりも冷たいわ」と極く手短に要約し、
A fine romance, you won't nestle
A fine romance, you won't wrestleを「妾を抱いても/くれないんだもの」「ものも云はない/喧嘩もしないのよ」に漠然と反映させるのがやつとだつた。
しかもリフレインはぐつと相好を崩して「諦めてゐるけれど/泣けて 泣けて/泣けちやふのよ」と、此れではまるでお座敷で口ずさむ小唄である。
(まだ書きかけ)
ミーティングが終はつて解放されたら四時を回つてゐた。展覧會を觀るには時間が足りないし歸宅するにはまだ早い氣がしたので、思ひ切つて竹橋から神保町を経てお茶の水迄の道のりを散歩がてら歩く事にした。道中ざつと一時間。何やら空模樣が怪しかつたのだが、幸ひ降られずに濟んだ。
神保町では久し振りに古本屋を冷やかし、映畫《
有頂天時代》の收録曲を蒐めた古い樂譜を發掘する。昭和十一(1936)年末の刊行とあるから戰前の封切時に便乘して出たものだ(東京音樂書院刊)。表紙にASTAIRE ROGERS SWING TIME とあり、两人の顔が大きく描かれてゐるが、餘り似てゐないのは御愛嬌。譯詞者は入江靜雄とあり、いさゝか珍妙な歌詞が載つてゐて可笑しい。例へばこんな風だ。
結構なローマンス
彼──
素敵なロマンスだよ、
素敵なものだよ、
僕はあつくなりたいんだが
君は冷たくて語せない
素敵なロマンスだよ、
素敵なものだよ、
あまい言葉も語らぬ
冷たい君、つまらぬ僕。
彼女──
素敵なロマンスなの、
素敵なものなの、
貴方はあざらしの樣、
朝から晩まで座りきり、
素敵なロマンスなの
素敵なものなの
朝から晩まで
優しい言葉も語らぬ
冷たい人、淋しいあたし。
A Fine Romance
[Girl]
A fine romance, with no kisses
A fine romance, my friend this is
We should be like a couple of hot tomatoes
But you're as cold as yesterday's mashed potatoes
A fine romance, you won't nestle
A fine romance, you won't wrestle
I might as well play bridge
With my old maid aunt
I haven't got a chance
This is a fine romance
[Guy]
A fine romance, with no kisses
A fine romance, my friend this is
We two should be like clams in a dish of chowder
But we just fizz like parts of a Seidlitz powder
Yes, a fine romance, with no glitches
A fine romance, with no bitches
You're just as hard to land as the 'Isle de France'
I haven't got a chance
This is a fine romance一番と二番で「彼」と「彼女」の順番を入れ替へたのがまづ解せないが、何より原詞(
ドロシー・フィールズ作)の輕口のやうに愉快で瀟洒な味わひがまるで日本語に移せてゐないのに失望する。入江靜雄は當時かなり手廣くジャズ・ソングの譯詞を手掛けてゐた人らしいが、脚韻を踏みつゝ地口や語呂合はせで冗談めかして戀を語るといふ藝當はとても譯者の手には餘つたのであろう。まあ無理も無いが。
(明日に續く)
未明から時ならぬ豪雨に見舞われた。降り込んだ雨粒でヴェランダもズブ濡れ。近所に買物に出るのも躊躇われるほどだ。倫敦で罹った風邪もまだ完全には癒えていないものの、どうにか布団から起き出してデスクワークに復帰するまでに回復。まだ本調子でないので騙し騙し始動。やるべき作業は山積なのである。
ちょいと骨休めに
Alexander McCall Smith という未知のスコットランド作家の短篇集 "
East Coast stories" を読んでみる。題名にある East Coast とは倫敦とエディンバラを結ぶ鉄道路線「イースト・コースト本線」に因むものらしく、その列車にたまたま乗り合わせた五人の乗客が旅のつれづれに身の上を語り合う…という設定で五つの掌篇が連なっている。
実はこの小説集、書店で買い購めたものではなく、先日のエディンバラ往還の際に乗ったその「イースト・コースト」特急列車内の棚で無料配布されていたのを持ち帰ったもの。表紙絵と挿絵が秀逸なので思わず手に取ってしまったのだ(
→これ)。
五人の身の上話は各人各様。ある青年はうっかり間違った駅で降りてしまった偶然から、その駅のホームで運命の女性と巡り逢うロマンティックな体験を告白し、これからその彼女とパリ旅行に出掛けるのだという("Brief Encounter")。別の男性は根っからの美術好きで、絵画鑑定の実習をしていて、贋作を見抜いて専門家たちを驚かせた体験を語る。17世紀の風景画になんと列車(!)が小さく描かれていた、という途方もない話である("Classical landscape, with train")。
こんな調子で各人が代わる代わる不思議な体験談を披露する、その口調が実にさりげなく無理がないので、読んでいるこちらも惹き込まれて、つい耳を欹て聴き入ってしまう。このあたりに作者
アレグザンダー・マコール・スミスの語り口の妙が窺われる。しかもたいそう平易な英語なのだ。
(まだ書きかけ)
限りある拙宅の空間は既に満杯だ。あと何年生き永らえるか定かでないが、このまま蔵書が増え続けると早晩もう収拾がつかなくなる。なので読みたい本は可能な限り図書館から借りる方針に切り替えた。今日は神奈川への旅の供にそんな一冊を携帯して往還の車中で読んでしまった。
宮田恭子
ルチア・ジョイスを求めて
ジョイス文学の背景
みすず書房
2011ご多分に洩れず小生もまたジェイムズ・ジョイスを読もうと何度か試みてその度に蹉跌を味わったひとりである。『ユリシーズ』も『フィネガンの通夜』もさっぱり歯が立たずに挫折した。もちろん邦訳でだ。これまでにまともに読んだ小説は初期の短篇集『ダブリン市民』だけなのだから、本書を論評する資格なぞなきに等しい。それでもこれを通読したのは、偏にここで題材とされるルチア・ジョイス、すなわちジェイムズの愛娘がまことに興味深い存在であるからだ。
版元の紹介文を引こう。
どの家庭にも不幸があって、それぞれが違うということであれば、ジョイス家の不幸の一つはルチアの存在であったろう。父親のジョイスは文学一筋で、それ以外のことはだいたい意に介さない。そして、娘はこの親にたいしてライヴァル意識をもって立ち向かう。どだい無理な勝負である。こうした親子関係のなかで、ルチアが統合失調症を病む。ジョイスは自分の嫌いなユングにも診察してもらうが、治療の甲斐もなかった。
彼女はバレエから始め、つぎはローランサンのもとで絵の修業につとめるがこれも挫折する。ジョイスはいつも所持していた『ケルズの書』にヒントを得てか、娘に装飾大文字の制作を勧める。ジョイス財団はなかなかうるさく写真撮影を許可しないので、本書には著者によるこの装飾大文字のスケッチが入っている。これを見れば、まんざら親の欲目とはいえないだろう。
バレエとリズム、絵画と音楽。ルチアの人生を辿ってみると、ロシア・バレエやカンディンスキー、ポリフォニーなど、20世紀芸術との平行関係が見てとれる。とりわけジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』と『ケルズの書』とルチアの存在は重要な関わりをもっているように思われる。
天才ジョイスの陰で心の病いを病んだ女性の生涯を辿ることで、読者はジョイスの文学に底流する〈父親の情〉と現代文明の重要な側面を知ることができるだろう。あまりにも偉大な作家を父にもった故の葛藤に苦しみ抜き、挙句の果ては精神に異常をきたす──なんだか映画にでも出てきそうな物語であり、事実それはトリュフォー監督がヴィクトール・ユゴーの娘アデルを主役にした《アデルの恋の物語》で取り上げたストーリーにどこか似通った不幸な生涯なのだ。
文豪として一世を風靡したユゴーとは異なり、ジョイスは世に認められぬ前衛作家だったから、実人生においては生活破綻すれすれの手元不如意のその日暮らしを余儀なくされた。ダブリンからトリエステへ、そしてパリへと続く流浪の人生に付き合わされた妻子の労苦は並大抵ではなかった。
(まだ書きかけ)
先日たまたま牛込矢來町の新潮社まで所用で出向いた折に廣報誌『波』を頂戴し、歸りの車中で繙いてみると巻頭に丸谷才一の對談記事が載つてゐた。なんでも新作の書き下ろしが同社から出た許りなのださうで、記事に據ると絃樂四重奏團の奏者四人を主人公に据ゑた珍しい小説と云ふ。これは面白さうだと直覺し乘換の東京驛構内の書肆で早速手にしてみた。
丸谷才一
持ち重りする薔薇の花
新潮社
2011對談の中で丸谷は次のやうに語つてゐる。
小説家といふ職業に就て考へてみたんですよ。小説家が他の職業と最も違ふ處はどこか。それは嫌な相手と附き合ふ必要がないといふ事ぢやないか。普通の職業では、仕事に愛着や執着があつても、同僚といふのが非常に大きい問題らしい。ところが小説家には同僚がゐない。全く一人きりの職業。運がいゝといふのか、孤獨だといふのか、兎に角珍しい商賣なんです。
日本の小説家が書く小説が、どうしてあんなに社會性が無くなるのか、理由の一つはそこにあると思ふんです。社會と關係のない自己探求なるものにのめり込んだ。[…]
そして小説では、何をやつて暮しを立てゝゐるのか判らない主人公を描いた。谷崎潤一郎も吉行淳之介もその手で書きました。それぢやあ駄目なんで、作中人物はきちんとした職業を持たなければいけないといふのが、初めから僕の基本方針だつたのです。
社會生活では、職業の中で同僚を强く意識する。嫌だからといつて、仕事を辭める譯にはいかない縛りがある。それが典型的にあるやうな職業は何だらうと長いこと考へてゐて、「あつ、クヮルテットのメンバーにすればいい譯だ」と思ひ附いたんです。勿論以前から室内樂が好きでしたけどね。成程ね。確かに理に叶つてゐる。絃樂四重奏團にはあらゆる社會の、あらゆる職業集團の雛型がある。藝術家だからといつて各人が我を通したら四重奏團は忽ち崩壊してしまふだらう。誰か一人でも退團すればクヮルテットは成り立たなくなる。
丸谷はこの小説で面白い工夫を施してゐる。四重奏團を巡る有爲轉變を地の文で記さず、大企業の經營者で經團連會長にまでなつた財界の大物をして語らしめる。彼は嘗てひよんな出逢ひからクヮルテットの面々と親しくなり、公私に渉る友人にしてパトロン兼相談相手を永く務めた人物といふ設定である。
すべてはその彼の眼で觀察され、彼の口から敍述される。しかも雑誌編集者が老人の回想をインタヴューとして聞き出すといふ仕掛け──云はば二重の「間接話法」が援用される。爲に物語は一筋繩で行かず、出來事は常に距離を隔てて想起され、噂、又聞き、臆測、私情などが複雜に絡み合つて、事の次第は暈され眞相は藪の中となる。そこにこそ、この小説の奧深さと玄妙な味わひがあるのだ。
まあ試しに讀んでご覧なさい。後半ちよつと急ぎ足になり混濁するのが惜しいが、融通無碍にして老獪な語り口に惹き込まれること必定だらう。音樂好きなら特にね。
気が急いているので記事は備忘録風に短めに。
少し前になるが久々に月刊誌『
世界』を手に取った(11月号)。
久々どころか、この雑誌の頁を繰るのは二十年ぶり位だろうか。特集「再生可能エネルギー──普及への条件」も読み応え充分だが、9月19日「さよなら原発」六万人集会での発起人たちの全発言が収録されているのも貴重である。森まゆみさんの連載「震災・記憶を記録する」には畏友・荒川俊児らが主宰する「映像ドキュメント」の活動が紹介されている。
たっぷり時間をかけ一冊の雑誌を隅々まで読んでしまった。滅多にないことだ。
先日たまたま上京した折、丸の内の丸善の平積みでこんな本を見つけた。
山本義隆
福島の原発事故をめぐって
いくつか学び考えたこと
みすず書房
2011この八月に出た本。矢作俊彦さんが自らのツイッターで口を極めて絶賛されているのを読んで初めて知った。
われわれの世代にとってこの著者名は感慨深い。あれから幾星霜、山本は予備校教師を務める傍ら、在野の物理学史家として大著『磁力と重力の発見』(全三巻、みすず書房)をはじめ何冊もの優れた著訳書を世に問うている。その彼が今回の重大事態に際し、「どうして事ここに到ってしまったのか」を冷静な筆致と鋭敏な洞察をもって論ずる。原爆製造のマンハッタン計画このかた、あるいはベーコン、ガリレオの昔から、科学者は何を発見し、何を推進し、何に加担してきたのか。その不可避の過程が明快に、しかし深い自責の念とともに検証される。薄冊だが内容は重たい。必読の書とはまさしくこのことだ。
さあ、これから俄か勉強の続きに取り掛かろう。
ここ四十年以内に日本で刊行された書籍・雑誌は手許におかず売却する。そう自ら大原則を定めて、ほぼ揃っていた
小林信彦を、
海野弘を、
殿山泰司を、
蓮實重彦と
四方田犬彦を悉く手放した。惜しい気がしないでもないが、これらの書物はもう永く熟読玩味し疾うに血肉化している筈だから、と無理矢理に云い聞かせて段ボール箱詰めしたのである。まるで棺に蓋するような喪の行為だと感じた。
だが何事にも例外というものはある。
1980年代に出たこの本は辛くも売却処分を免れ今も書棚にある数少ない一冊だ。
色川武大
唄えば天国 ジャズソング
命から二番目に大事な歌
ミュージック・マガジン
1987これはちょっと凄い本だ。小生は色川武大のよき読者では決してなく、阿佐田哲也名義の麻雀小説も敬遠して読まず仕舞。それでもこの一冊には心底うちのめされた。ポピュラー・ソングの領域に限らず、あらゆる種類の「歌」についてのエッセイで、ここまで深い愛着を顕わにした例はちょっと想起できない。
学校生活に馴染めなかった早熟な色川少年は浅草で映画館と芝居小屋に入り浸った。いつしか米国渡来の流行歌や草創期の和製ポップスにぞっこん魅了された少年は、戦時下ゆえ中古レコード屋で投げ売りされていたそれらの「敵性音楽」「非国民歌謡」を買い集めては密かに聴き入っていた。彼は筋金入りの軟派だったのだ。
私の子供の頃のレコードには、ジャズ小唄、なんていう標題がついているのもあったが、いわゆる古いジャズ・ソング、アチラ式にいうとラヴ・ソングかな、には軽くて甘いいい唄がたくさんあった。
年がら年じゅう女のケツばかり追っかけているような、楽天的で内容(なかみ)のない唄ばかりで、当時のコワイおじさんは、ヤレ煽情的だ、頽廃だ、亡国的だ、とうるさくいったが、そんなことはちっともかまわない。唄なんてものは、内容で聴くものじゃないからね。私なんかは内容は単なる符丁だと思っている。フレッド・アステア、
二村定一、
あきれたぼういず、
杉狂児、
ファッツ・ウォーラー、
エディ・キャンター、
ビング・クロズビー、
ルース・エティング…。
これらのエッセイは創刊間もない『
レコード・コレクターズ』誌に連載された(たしか第一回目は創刊号に載ったのではないか)。だから本になる前から大半を初出時に立ち読みしていた筈だが、こうして一冊に束ねられると実になんとも壮観だし、歌の選び方にこの人ならではの嗜好や偏愛ぶりがくっきり浮かび上がる。
(まだ書きかけ)