私たちは20世紀に生まれた
2024-03-10T19:16:41+09:00
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千葉海浜日記
Excite Blog
「デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界」を読む
http://numabe.exblog.jp/242107947/
2024-03-09T10:15:00+09:00
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2024-03-09T19:07:57+09:00
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読書
村上春樹
デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界
文藝春秋
2024年2月25日刊
2,300円+税
こんな本が出たこともしばらく気づかずgod-zi-llaさんのブログ(⇒ここ)で紹介されているのを読んで、居ても立ってもいられなくなった。村上春樹の「レコジャケ本」の第三弾である。
これまでの二冊がクラシカル音楽にジャンルを絞った『古くて素敵なクラシック・レコードたち』正・続篇だったわけだが、今回は一転して村上フィールドであるジャズ、それも知る人ぞ知るイラストレーター、デイヴィッド・ストーン・マーティン(David Stone Martin)が描いたLPジャケットのみに特化した一冊。相当マニアック度の高い一冊であり、そのせいか従前のペーパーバック装から一転、ハードカヴァー仕様のしっかりした造本である。
デイヴィッド・ストーン・マーティン――著者に倣ってDSMと略記しよう。このDSMは1913年イリノイ州に生まれ、1992年に亡くなった米国のイラストレーター。著者が「まえがき」に記すとおり、SP末期からLP黎明期にかけてノーマン・グランツ制作のジャズ・アルバムに膨大な数のスリーヴ・デザインを提供した。ほかにもトラディショナルなフォークやブルーズ、少数だがクラシカル音楽のLPジャケットも描いており、フォークナーの多くの小説の初版の装幀まで手がけてもいるが、今ではDSMの名はもっぱらジャズのアルバム・カヴァーとともに記憶されている。
まずは本書の帯の惹句を表と裏からそっくり引こうか。
僕の大好きなジャズ・レコード
188枚のことを書きました。
パーカー、ベイシー、ホリデイ、ゲッツ・・・・・・ジャズの黄金時代に数多くのジャケット・デザインを手がけた伝説的アーティスト、デヴィッド・ストーン・マーティン。彼がデザインしたレコードを敬愛し蒐集してきた村上さんが、所有する盤すべてをオールカラーで紹介。
手に取って見ているだけで素敵な音楽が聞こえてくる、極上のジャズ・エッセイ。
デヴィッド・ストーン・マーティン(DSM)のデザインしたレコード・ジャケットを手にとって眺めているだけで、なんだか人生で少しばかり得をしたような気がしてくるのだ。(・・・)本書はあくまで、DSMのデザインしたジャケットをひとつの柱として、僕がジャズへの想いを自由に語る本、という風に考えていただけると嬉しい。(まえがきより)
❖
『古くて素敵なクラシック・レコードたち』正・続に登場するLPはたまたま手に入れた愛聴盤の寄せ集めだったし、叙述は飾り気なく率直だが、とりとめなく行き当たりばったり。それでも読ませるのは著者の筆力だが、掲げられたジャケットの大部分はひどく魅力に乏しいものだった。もともとクラシカルLPのアルバム・カヴァーの大半は視覚的には凡庸な代物なので、これは著者の咎ではないのだが、ヴィジュアルなレコジャケ本としての面白味を著しく欠いていた。
それに対して、今回の本は対象がジャズ、しかも時期的にもレーベル的にも限定されるので、そのぶん記述は密度が高く微に入り細を穿ち、マニアックなこだわりに貫かれる。登場するジャケットがすべて(厳密には例外もほんの少しあるが)DSMのイラストレーションばかりなのだから、視覚的なまとまりも前著の比ではない。まるでDSMの展覧会を村上春樹の詳しいギャラリートーク付きで巡り歩くような無類の愉しさがある。
これはもう読みだすと面白くてやめられない本だ。帰りの車中で読みふけり、乗換駅でちょっと立ち寄ったエキナカ珈琲店で読み続け、最寄りの駅に着くまでに読了。著者のジャズ愛の深さと蘊蓄の詳しさに目を瞠りつつ、一気に読み終えてしまった。
さて、そのうえでの読後感はいささか複雑だ。叙述的にも視覚的にもまとまりのある好著であることは間違いないのだが、そのうえで問い糺したいのは、対象となったDSMのレコジャケそのもののヴィジュアル的な卓越性の問題だ。はたして彼のイラストレーションは、百八十八枚ものLPジャケットを繰り出して、オールカラーで称揚するほどの価値を備えているのだろうか。
❖
かくいう小生もレコジャケ本『12インチのギャラリー』(美術出版社、1992)で、拙コレクションからデイヴィッド・ストーン・マーティンのアルバム・カヴァーを四点だけ掲載した。黎明期のLPを語るうえで格好の実例と思ったからだ。解説文を引く。
デイヴィッド・ストーン・マーティン(1913– )。彼の名はジャズ・レコード史と切り離しては語れない。初めてアルバム・カヴァーを手がけたのは1944年、もちろんSP時代のことである。LP期に入るとノーマン・グランツが創設したクレフ(後のノーグラン、ヴァーヴ)・レーベルのために夥しい数のジャケットを制作。ベン・シャーンから受け継いだ強靭でニュアンスに富む線描、文字とイラストとの大胆な対比などを武器に、臨場感に満ちた独特のスタイルを確立した。その傑作はやはり初期の10インチ盤に集中しているようだ。
拙文を褒めるのもどうかと思うが、なかなか悪くない紹介だ。ネット情報のない時代によく調べて書いてある。その作風を「強靭でニュアンスに富む線描、文字とイラストとの大胆な対比」と総括するのはおおむね正しいだろうし、「その傑作はやはり初期の10インチ盤に集中しているようだ」との評価には、きっと村上春樹も同意してくれるのではないか。
にもかかわらず、本書の刊行後ほどなく小生はDSMをこの本で採り上げたのを後悔することになる。ほぼ同時期にDSMのレコード・ジャケットを集大成した『ジャズ・グラフィックス』(グラフィック社、1991)という画集が登場し、その仕事の全貌に触れるとともに、人体デッサン力の脆弱さ、作風の垢抜けない野暮ったさ、濫作気味で不出来な作品が多いのを知って辟易したからだ。ベン・シャーンの影響を強く蒙ったのは事実だが、DSMは師匠の「強靭でニュアンスに富む線描」を充分に受け継げなかった。ああ、載せるんぢゃなかったと悔やんだのである。
❖
このたびの『デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』で三十数年ぶりにDSMのLPジャケットと再会した。それも村上コレクションから蔵出しされた百八十八枚という膨大な作品数だったわけだが、かつて覚えた失望の念はそれでも変わることがなかった。
なるほど一握りの優品が含まれてはいるものの、大半のアルバム・カヴァーはいかにも仕事が雑駁で粗製濫造、総じてデザインとしての完成度が低いのは否めない。作品の出来不出来はどんな創作家にも避けられない現象だが、DSMの場合はその振幅が甚だしく、見るも無残な仕上がりの失敗作も少なくない。作例を数多く集めれば集めるほど、同工異曲のイラストがこれでもかと頻出してしまい、よほどのDSMフリークでない限り、もう沢山だといいたくなる。
掲載アルバムのすべてをとことん聴き込んだ著者は、盤に刻み込まれたジャズと、DSMがそこにまとわせた衣裳=意匠の相関関係にも言及するわけだが、この本を一読した限りではデザイナーが音楽を徹底的に聴き込み、深く親炙し理解したうえでイラストレーションに臨んだようには思えなかった。自他ともに認める稀代のジャズ通である著者の理解力をもってしても、DSMがなぜこのように形象化したかわからず困惑する局面が頻出してしまう。
DSMは所詮は二流のイラストレーターに過ぎず、その仕事の質が同時代のベン・シャーンやアンディ・ウォーホルの作例に遠く及ばないのは明らかだ。村上氏にはどうかこの本で終わらず、ジャズのアルバム・カヴァーの尽きせぬ魅力をもっと幅広く、多様な視点と切り口から縦横に論じてもらいたいものだ。まさかレコジャケ本はこれをもって打ち止めではあるまいな。
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小澤征爾の訃報
http://numabe.exblog.jp/242086537/
2024-02-09T21:19:00+09:00
2024-02-09T22:05:32+09:00
2024-02-09T21:49:49+09:00
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音楽
最後に小澤の指揮姿を拝んだのは2013年夏、長野県松本のフェスティヴァルでラヴェルの歌劇《子供と魔法》が上演されたときだ。繊細なリズムと精緻な音色配合がさすがに絶妙だったが、このときも体力的な限界から同時上演の《スペインの時》は振れなかった。
手元に残された小澤のディスクは、このときの《子供と魔法》を含めても数えるほどしかない。追悼の想いをこめて棚から取り出したのは、ボストン交響楽団を指揮したフォーレのアルバム。そこから《パヴァーヌ》を聴いて、心からご冥福をお祈りする。⇒ これ
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ようやく遭遇できた「バビ・ヤール」交響曲
http://numabe.exblog.jp/242086060/
2024-02-08T19:50:00+09:00
2024-02-09T07:15:40+09:00
2024-02-09T07:10:43+09:00
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音楽
ヨハン・シュトラウス二世:
ポルカ《クラップフェンの森で》作品336
ドミートリー・ショスタコーヴィチ:
ステージ・オーケストラのための組曲(アトヴミャーン編)より
■ 行進曲
■ 抒情的円舞曲
■ 小ポルカ
■ 円舞曲 第二番
◇
ドミートリー・ショスタコーヴィチ:
交響曲 第十三番 変ロ短調 作品113*
■ バビ・ヤール
■ ユーモア
■ 商店で
■ 恐怖
■ 出世
井上道義 指揮
NHK交響楽団
バス/アレクセイ・チホミーロフ*
男声合唱/オルフェイ・ドレンガル男声合唱団*
(2024年2月3日、東京・渋谷、NHKホール)
《バビ・ヤール》交響曲に出逢ったのは1970年夏のこと。ユージン・オーマンディ指揮の世界初録音が発売直後にラジオから流れたのだ。一聴たちまち魅了された。それから実に五十四年もの歳月が流れたが、この曲への愛着は変わることがない。これこそショスタコーヴィチの全交響曲中で、いやむしろ、彼の全作品のなかですら、最も親しみと近しさを覚える。過酷な時代を生き延びるため本心を隠すことの多かったショスタコーヴィチが、この交響曲では異例にも自らの思いを率直に吐露している――出逢った瞬間から、ずっとそんな気がしてならなかったのだ。
そんな永きにわたる鍾愛の音楽なのに、生演奏を聴いたのは先日が初めてだ。というか、むしろ鍾愛の曲だからこそ、おいそれと実演に接したくない気持ちでいた。へぼな演奏で「わが裡なる《バビ・ヤール》」の大切な幻影を壊したくなかったからだ。
こうして半世紀以上も待ち続け、憧れ続けた果てにようやく接した《バビ・ヤール》交響曲の実演は、小生にとって申し分のないものだった。
何よりもまず、アレクセイ・チホミーロフの独唱が素晴らしい。実にほれぼれする美声で、表現にゆとりと幅があって、この人が《エヴゲニー・オネーギン》のグレーミン侯爵を当たり役とするというのも宜なるかな。先年リッカルド・ムーティがシカゴ交響楽団と《バビ・ヤール》交響曲を上演する際も招かれており、チホミーロフがこの曲を隅々まで熟知しているのは明らかだ。今日は改めて当日のプログラム冊子を手に、亀山郁夫教授の達意の邦訳を辿りつつ聴いたわけだが、チホミーロフがエフトゥシェンコの詩句のニュアンスを生かすのに細心の注意を払うのが手に取るようにわかる。この人の参加が叶ったのが公演成功の最大の鍵となった。
スウェーデンのウプサラから招聘した「オルフェイ・ドレンガル男声合唱団」の存在感にも圧倒された。六十人近い男声コーラスの威力は凄まじく、日本の合唱団にはとても及ばないものだ。地を揺るがす大音声にも、秘めやかに囁きかける小声にも、ともに聴き手の肺腑を抉るほどの力が漲り、ショスタコーヴィチの声楽表現の奥義を余すところなく伝えていた。かかる大人数の来日を実現させるのは大英断だったろうが、それに相応しい成果が得られたというべきだろう。
それら練達の声楽陣を巧みに統御し、NHK交響楽団から緻密なアンサンブルを引き出して、剛毅でしかも繊細なショスタコーヴィチを現出させた井上道義の功績は大きい。彼がこの曲に挑むのは2007年に実現させた全交響曲の連続演奏のとき以来だそうだが、複雑に錯綜した交響曲を完全に手中に収め、その真の姿を余すところなく開陳してみせた。
漆黒の夜の闇のような恐怖を潜り抜けて、最終楽章の慰撫とも諦観ともつかない天上的な響きが静かに聴こえてきたとき、ああ、自分はこのような演奏と遭遇する日を半世紀の間ずっと待ちわびていたのだと実感されて、思わず知らず涙がこみ上げるのを禁じ得なかった。
最後まで腑に落ちなかったのは、前半の軽妙なポルカやワルツと《バビ・ヤール》交響曲を同じプログラムに組み合わせた井上の真意である。誰もが思いつく同趣向の《ステパン・ラージンの処刑》でなく、まるで関連のなさそうな「軽音楽」をあえて奏することで、ショスタコーヴィチの振幅の大きさを示したかったのか、そのあたりが最後まで解せない謎として残った。
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驚嘆すべきアン・へリング女史の「おもちゃ絵」蒐集
http://numabe.exblog.jp/242066354/
2024-01-28T17:17:00+09:00
2024-01-28T20:12:13+09:00
2024-01-28T20:12:13+09:00
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детская книга
東京・墨田区の「たばこと塩の博物館」で「見て楽し 遊んで楽し 江戸のおもちゃ絵 Part 2」を観た。三年前に急逝された研究家アン・へリングが生涯かけて蒐集された「おもちゃ絵」すなわち子供向けの錦絵が百余点ずらりと並んだ会場は壮観というほかない。凄いなあ、へリング女史! 蒐集家の端くれとして圧倒される思いである。
今日ようやく実見できたのは会期後半の展示である。会場は主題やジャンル別に「桃太郎」「猫」「紙人形」「化け物」「組上げ灯籠」「絵双六」などとセクションが分たれており、幕末から明治にかけて膨大に作られた「おもちゃ絵」の全体像が早わかりできる懇切な内容だ。これらの品々をすべて独力で蒐集されたへリング女史の執念と愛着の深さには頭を垂れるほかない。
誰もが目を奪われていたのは「立版古(たてばんこ)」と通称される「組上げ灯籠」のセクションだった。数枚セットの木版画から数多くのパーツを鋏で切り抜き、指示どおりに折り畳み貼り合わせて、芝居の一場面や名所旧跡の実景を組み上げる仕掛け絵のことだ。
同種のものは十九世紀の欧州各地にもあり、1930年代のロシア絵本にも類例があるのだが、わが国で発達した「組上げ灯籠」ほど複雑に手が込んで、スペクタキュラーな効果を生む作例は他に類を見ない。これこそ「おもちゃ絵」の精華であり、へリング女史がその蒐集にとりわけ力を注いだのも宜なるかな。最終日の今日は、晩年の女史のよき協力者だったトニー・コール氏が自らギャラリー・トークする場に居合わせて、詳しい解説を聞くことができて幸せだった。
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あれは1973年2月のこと、荻窪の「シミズ画廊」で、若きヘリング女史がコレクションを初めて開陳した「日本のおもちゃ絵展」にも足を運んだことがある。もう遠い昔のこととて、展示そのものの記憶は薄らいでしまったが、その日は最終日だったので、撤収のために教え子の法政大学の学生が数人いて、何事か彼女の気に障る言動があったらしく、彼女がいきなり激昂して泣きだす現場に遭遇した。感情の起伏が激しい女性だと思ったのが第一印象である。
その後もへリング女史の謦咳には何度も間近で接した。神田の古書会館の即売会で、都内のデパートの古本市会場で。あれは新宿の伊勢丹だったか、初日に出向くと、しゃがみこんで阿修羅のような形相で戦前の絵雑誌『子供之友』を十数冊も抱え込んで独り占めする女性がいて、お顔を覗き込むと、ああやっぱり彼女だった。
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降誕祭前夜には「ロジャー・デ・カヴァリー」を
http://numabe.exblog.jp/242030282/
2023-12-24T23:08:00+09:00
2023-12-25T00:00:56+09:00
2023-12-25T00:00:56+09:00
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音楽
Frank Bridge: Orchestral Works, Volume 5"
ブリッジ:
弦楽のための組曲 H 93 (1909–10)
抱擁 H 14 (1902) *世界初録音
ロバート・ブリッジズの二つの歌 (1905–06)* *世界初録音
■ 私は優しい花を讃える H 65a
■ そなたはわが眼を喜ばす H 65b
二つの間奏曲 ~劇音楽《糸口》より H 151 (1921/1938)
二つのイングランド古謡 H 119 (1916)
■ 横丁のサリー
■ 熟したさくらんぼ
二つの間奏曲 (1906, 1926)
■ ローズマリー
■ カンツォネッタ
弦楽のための間奏円舞曲 H 17 (1902)
死への憧憬(バッハ《来たれ、甘き死よ》) (1932/1936) *世界初録音
ロジャー・デ・カヴァリー卿(クリスマス舞曲)H 155 (1922/1939)
バリトン/ロデリック・ウィリアムズ*
リチャード・ヒコックス指揮
ウェールズBBCナショナル管弦楽団
2003年12月3, 4日、スウォンシー、ブラングウィン・ホール
Chandos CHAN 10246 (CD, 2004)
アルバム全曲 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=OO_CcJNz0wY&list=OLAK5uy_mWNjtCGmmddF-JcZhKgXMbBp2IxAwRvdE&index=2
全部でたしか第六集まで出たヒコックス指揮によるフランク・ブリッジの管弦楽曲選集のこれは第五集。管弦楽曲と銘うたれても、ここに集められた音楽の過半が弦楽合奏用だ。ロマン主義と近代感覚をほどよくブレンドしたブリッジの好もしい個性が光る。ベンジャミン・ブリテンがこの人の愛弟子というのもよくわかる気がする。
ぜひ上のリンク先でアルバム全曲を通してお愉しみいただきたいが、今宵はクリスマス・イヴ。何を措いてもまず、アルバム掉尾を飾る《ロジャー・デ・カヴァリー卿 Sir Roger de Coverley》からお聴きあれ。「クリスマス舞曲 A Christmas Dance」と副題され、英国ではクリスマスの集いで古くから踊られた民衆舞曲である。
四分半にも満たない小品だが、終盤に「蛍の光 Auld Lang Syne」の主題が副旋律に出て、万感が胸に迫るふうに終わる。皆様、クリスマスおめでとう! どうか世界に平和が戻りますように。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=xT3QnYb0TcU]]>
回文の日に読む回文の本
http://numabe.exblog.jp/242023862/
2023-12-21T23:32:00+09:00
2023-12-21T23:24:16+09:00
2023-12-21T23:24:16+09:00
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読書
1967年モスクワ、デュ・プレ、バルビローリ
http://numabe.exblog.jp/242015447/
2023-12-18T06:12:00+09:00
2023-12-18T07:14:07+09:00
2023-12-18T07:12:50+09:00
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音楽
"Jacqueline du Pré - BBC Symphony Orchestra"
ソ連邦国歌
英国国歌
ハイドン: 交響曲 第八十三番 ト短調
エルガー: チェロ協奏曲*
シベリウス: 交響曲 第二番
(ボーナストラック)
ブリテン:《青少年のための管弦楽入門》より フーガ**
チェロ/ジャクリーヌ・デュ・プレ
ジョン・バルビローリ卿 指揮
BBC交響楽団
1967年1月7日、モスクワ音楽院大ホール(実況)
1967年1月7日、モスクワ音楽院大ホール(リハーサル)**
Melodiya x Obsession SMEL CO 10 01087 (2CDs, 2023)
発売元「東京エムプラス」の紹介文を書き写す。
――Melodiya の人気シリーズ「ライヴ・イン・モスクワ」最新巻が Melodiya x Obsession レーベルから登場! BBC交響楽団がジョン・バルビローリとピエール・ブーレーズと共に1967年に巡ったプラハ、レニングラード、モスクワのツアーのうち、1967年1月7日にモスクワ音楽院で行われた演奏会(指揮はバルビローリ)の様子を収録。1966年からロストロポーヴィチに学んでいたジャクリーヌ・デュ・プレがモスクワ市民に披露したエルガーのチェロ協奏曲はCDリリースされていましたが、開幕のソ連国歌&イギリス国歌から、ハイドンとシベリウスの交響曲、割れんばかりの拍手喝采、リハーサルの様子を伝えるボーナス・トラックまでの演奏会全体が初リリースとなります。
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文中でデュ・プレのエルガーのみCDリリースされていた、とあるのは、英国 The John Barbirolli Society のディスク(SJB 1102-03, 2021)のことに違いない。その拙レヴューから引く。
デュ・プレ&バルビローリ共演によるエルガーのチェロ協奏曲の未知のライヴ音源が出現した。しかも驚くなかれ、モスクワでの演奏会の実況録音だという!
BBC交響楽団は1967年初頭にプラハ、レニングラード、モスクワの三都市を演奏旅行で訪れた。ジョン・バルビローリとピエール・ブーレーズという全く対照的な二人の指揮者がツアーを率い、ジョン・オグドン、ジャクリーヌ・デュ・プレ、ヘザー・ハーパーがソロイストとして同行した。この楽旅は音楽史的に特別な意義をもつ。ブーレーズが(当局の懸念をよそに)自作を含む十二音音楽を初めてソ連の聴衆に紹介したからである。
この演奏旅行の記録としては、最初の訪問地プラハでのバルビローリ指揮の演奏会の実況録音がすでにCD化されており、そこでもデュ・プレは同じエルガーの協奏曲を弾いていた(1967年1月3日)。このたび出現したのは、それから四日後の1月7日、モスクワ音楽院大ホールで演奏されたエルガーの協奏曲である。
こんなライヴ音源が存在するとは思いもよらなかった。モスクワの放送局が収録したモノーラルの音は、上述のプラハでの鮮明なステレオ録音に比べて聴き劣りするのは事実だが、その弱点を補って余りあるのがモスクワでのデュ・プレのただならぬ集中力である。
とりわけ第一楽章での深い沈潜が凄まじい。世に名高い1965年のスタジオ録音では老練なバルビローリが音楽を先導していたが、このモスクワでの主導権はむしろデュ・プレが握っているように聴こえる。バルビローリはそれを的確に下支えするといった役回りだ。
こうした現象は四日前のプラハ録音ではさほど顕著でなく、モスクワでのデュ・プレがいかに大きな決意と自信をもってエルガーに対峙したかが想像される。実は彼女はちょうど一年前の1966年1月から数か月間モスクワに留学し、ロストロポーヴィチの指導を受けていた。その貴重な体験が彼女のチェロ演奏にさらなる深みと輝きを加えたのは間違いなく、当夜の演奏会はいわば研鑽の成果をモスクワ市民に披露する場でもあったのだろう。恩返しのエルガーだったのだ。
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同じ演奏会の同じ実況録音なのだから、感想がこれと異なるはずもないのだが、このたび出現した音源は鮮明なステレオ収録である! しかもこの日の演奏会が丸ごと、冒頭に奏された両国国歌や前後のハイドンとシベリウスの交響曲を含み、しかもデュ・プレ登場時の盛大な拍手までもが克明に収められたドキュメントなのだ。これは是が非でも入手せずにはおられまいて。
I ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=KZ01B7WTjrY
II ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=oe5xj7lzEOo
III ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=kFbH6t5ZXYo
IV ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=Tw4dKmOdRLs]]>
マリア・カラスの慧眼
http://numabe.exblog.jp/241988327/
2023-12-03T08:17:00+09:00
2023-12-03T09:23:49+09:00
2023-12-03T09:23:49+09:00
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音楽
そのことを最も端的に示す名高いエピソードがある。1953年12月、ミラノのスカラ座でケルビー二の《メデア》を初めて歌う際、予定されていた巨匠ヴィクトル・デ・サーバタがリハーサル直前に重病で指揮できなくなり、代役の指揮者を急いで捜さなければならなくなったとき、カラスはアメリカからやってきた未知の若手指揮者がローマのオーケストラに客演した演奏会をたまたまラジオで耳にして、「この若者には確かな才能がある。どうか彼をここに呼びよせて、《メデア》を振らせてちょうだい」とスカラ座の関係者に懇願した。この三十五歳の新進指揮者こそはレナード・バーンスタインだった。彼はこれまで劇場でオペラを指揮した経験が全くなく、ケルビーニのオペラなど一音たりとも知らなかったが、カラスの要請を受け容れて、五日間の猛勉強とリハーサルでこの危機を乗り切ったのである。
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百歳になったマリア・カラス
http://numabe.exblog.jp/241987655/
2023-12-02T08:16:00+09:00
2023-12-02T13:47:14+09:00
2023-12-02T12:15:27+09:00
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舞台
マリア・カラスの並外れた偉大さについては、無類のオペラ好きだった叔父から縷々説いて聞かされた。美貌のソプラノというに留まらない、イタリア・オペラ、とりわけ19世紀の技巧的なベルカント・オペラのヒロインに、生々しい女性の切実な息吹を吹き込んだ凄い存在なのだ、と。1960年代後半のこととて、すでにカラスは往時の声を失って引退同然だったから、LPに刻まれた音声記録から全盛期を想像するほかなかった。パゾリーニの映画《王女メディア》(1969)に「歌わないヒロイン」として姿を見せた主演女優を目にするにつけ、ああ、カラスの生の舞台が観られたらなあ、という望蜀の嘆を、叔父の口からいくたび聞かされたことだろう。
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桑野塾レクチャー終了
http://numabe.exblog.jp/241987680/
2023-11-11T23:51:00+09:00
2023-12-02T12:45:39+09:00
2023-12-02T12:44:30+09:00
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11月11日「桑野塾」でロシア絵本について講演します
http://numabe.exblog.jp/241958910/
2023-10-23T11:21:00+09:00
2023-10-23T12:29:41+09:00
2023-10-23T11:21:31+09:00
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детская книга
桑野塾 第77回
2023年11月11日(土) 午後3時~6時
早稲田大学戸山キャンパス33号館 231教室
⇒ 戸山キャンパス地図
「大竹博吉・せい夫妻とナウカ社――すべてはここから始まった」
◉『大竹博吉、大竹せい 著作・翻訳目録』を刊行して/宮本立江
◉ロシア絵本をわが国にもたらした大竹夫妻 その情熱と使命感/沼辺信一
大竹博吉(1890–1958)と大竹せい(1891–1971)は1932年に神田神保町で「ナウカ社」の営業を開始、日本初のソ連からの輸入による書籍販売と出版活動に携わったほか、ともにジャーナリスト、文筆家・翻訳家として、多方面の活動を通じ、日露文化交流に大きな足跡を残しています。今回の「桑野塾」では、多年の調査を経てこのほど刊行された資料集『大竹博吉、大竹せい 著作・翻訳目録』の編者の一人である宮本氏が、大竹夫妻の仕事の多彩な広がりについて概説します。
後半では巡回展「幻のロシア絵本 1920–30年代」(2004~05)を構成・監修した沼辺氏が、戦前の日本にロシア絵本が浸透するうえで大竹夫妻が果たした決定的な役割について、原弘、柳瀬正夢、松山文雄らが秘蔵した絵本の調査を踏まえ、豊富な実例を挙げながら詳しく紹介します。
●宮本 立江(みやもと たちえ):
「桑野塾」世話人。1965年からナウカ株式会社に勤務、同社の季刊誌『窓』ほかの編集にも携わった。退職後はナウカ社の歴史を調査し、資料集『大竹博吉、大竹せい 著作・翻訳目録 附・関連文献一覧』(2023)を村野克明氏と編集、今年7月に刊行した。
●沼辺 信一(ぬまべ しんいち):
編集者・研究家。1952年生。ロシア絵本の世界的な伝播、日本人とバレエ・リュス、プロコフィエフの日本滞在など、越境する20世紀芸術史を探索。桑野塾登場はこれが七回目。
⇒広報チラシ
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拙論「光吉夏弥旧蔵のロシア絵本について」が公開
http://numabe.exblog.jp/241955882/
2023-10-19T07:57:00+09:00
2023-10-19T09:15:19+09:00
2023-10-19T09:13:51+09:00
s_numabe
детская книга
――1940年代から80年代まで、わが国の絵本・児童文学界を牽引した重要な翻訳家・研究者の光吉夏弥(1904~1989)は、ごく早い時期に1920・30年代のロシア絵本に注目し、数多くの実例を蒐集した。本論考では、白百合女子大学児童文化研究センターに残る光吉旧蔵ロシア絵本61点を紹介・分析するとともに、光吉が1943年に著した優れた論考「絵本の世界」におけるロシア絵本についての記述を参照し、彼が当時それらの絵本をどのように理解していたかを考察する。
白百合女子大学学術機関リポジトリ (nii.ac.jp)
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アナトリー・ウゴルスキー死す
http://numabe.exblog.jp/241919744/
2023-09-06T07:37:00+09:00
2023-09-06T10:43:03+09:00
2023-09-06T08:21:29+09:00
s_numabe
音楽
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アナトリー・ウゴルスキーの《展覧会の絵》との出逢いは全くの偶然からだ。それは異国の街での奇蹟的な遭遇だった。
1996年11月28日、小生はミュンヘンのヘルクレスザールの客席にいた。幾多の歴史的名演の舞台となった、あの由緒ある演奏会場である。ルノワール展の出品交渉のため米国の四都市を日替わりで旅したあと、慌ただしいパリ滞在を経て最後の目的地ミュンヘンに辿り着いた我々は、すでに疲労困憊の極にあった。
遠来の客人をもてなそうと、同地の協力者がわざわざ気を利かせて切符を手配してくれた心尽くしの演奏会だというのに、同行の面々は席に着くや舟を漕ぎだし、正体もなく眠りこけてしまった。小生とて同じこと。できれば一刻も早くホテルの部屋で横になりたかった。
客電が落とされ、足早に登場したのは額が禿げ上がった「中年のお茶の水博士」といった飄然たる風貌のピアニスト。名前からロシア人だろうと察するだけで、無知蒙昧な小生は初めてその名前を目にした体たらくだった。だから予備知識も期待感も抱かぬまま、いきなりリサイタルは始まった。
バッハ=ブラームスの《シャコンヌ》に否応なく惹き込まれる。有名なバッハのシャコンヌをブラームスが左手用に編曲したものだ。凄い集中力と訴求力。それでいてクールな客観性も備えていて、なんの根拠もないまま、「このロシア人はひょっとしてグレン・グールドを生で聴いたことがあるのではないか?」と直覚した(後日そのとおりだと判明)。
この一曲で「このピアニストは只者ではないぞ」と、それまでの眠気が一挙に吹き飛んで小生は覚醒した。総毛立つ思いで、席から身を乗り出すように聴き入った。
❖
この晩のプログラムの最後が《展覧会の絵》だった。
冒頭の「プロムナード」からして独創的だ。凡百のピアニストが高らかに、意気揚々と歩み出すのとはまるで対照的に、ウゴルスキーの足取りはどこかしら覚束なく、物思いに耽りつつ、うつむき加減でためらいがちに歩むといった風情である。
あゝと溜息が出た。そうなのだ、作曲家は今、追悼の思いを胸に、親友の遺作展の会場で緩やかに粛然と歩を進めている。その足取りが颯爽と晴れやかなはずはないのだ!
それからの半時間は、間違いなく、わが生涯の音楽体験のハイライトである。どの曲もじっくり考え抜かれて弾かれ、外面的な効果を狙った浅薄な瞬間など微塵もない。
ウゴルスキーはとことん知り抜いていた——親友の建築家ヴィクトル・ガルトマンの遺作展に触発されたムソルグスキーの組曲は、その端緒と本質において「喪の音楽」だということ、そして(これが肝腎なのだが)彼が作曲したのは、そこに並ぶ絵画(タブローでなく、いずれも小さな素描や水彩スケッチ)を音に写し取った「描写音楽」では全然なく、ガルトマン作品に触発された彼自身の内なる映像=音像を忠実に映した音楽なのだ、というまっとうな見識である。
だから煌びやかで名技主義的=外面的な描写はことごとく禁欲的に排され、演奏はひたすらムソルグスキーの内面に肉薄しようとする。ウゴルスキーが奏でるのは、作曲家の内なる眼に映じた《展覧会の絵》なのだ。
その最終楽章「キエフの大門」こそウゴルスキーの独創的解釈の白眉であり精華である。
直前の「バーバ・ヤガーの小屋」の禍々しい狂騒からアタッカで続けて威風堂々と荘厳に、と思いきや、消え入るような弱音で開始される「キエフの大門」に驚かぬ者はいないだろう。これは一体全体どういうわけだ?
小生はすぐさま直覚した。あゝ、これこそ遺作展でムソルグスキーが対面したガルトマンの素描 "Каменныя городскія ворота въ Кіевѣ въ русскомъ стилѣ" の第一印象に相違ないのだ、と。
ムソルグスキーが目にしたのは、古都に聳え立つ石造りの巨大な記念門そのものではなかった。紙上に描かれた構想デザイン——出品作中ではやや大きめだが、所詮は 60.8 × 42.9 cm の紙片——小さな雛形案でしかない。構想の雄大さにひき較べ、拍子抜けするほどちっぽけな、ミニアチュールと呼びたくなる小品なのだ。
しかも大門建設プロジェクト自体ほどなく頓挫し、建築家が精魂込めた気宇壮大な設計案は実現せず、あえなく幻と消えた。ああ、なんと可哀想なガルトマン・・・。
小さな紙上のささやかな設計案が、作曲家の想念のなかで三次元の伽藍としてむくむく膨れ上がり、やがて聳え立つ荘厳なアーチとなって姿を現す——ウゴルスキーは「キエフの大門」をそのような音楽として解釈し、作曲家の内面のドラマを生々しく追体験させてくれる。
冒頭の微弱な響きはすなわちガルトマン作品の小ささの謂いであり、秘めやかな提示部から神々しい光を放つ壮麗なコーダへと至る息づまる展開は、作品を前にした人間が味わう印象の変容の過程なのだ。
ムソルグスキーの魂が沸き立つ瞬間をありありと捉えた、世にも稀な演奏。まさしく「心の音楽」そのものだ。これに優る《展覧会の絵》が他にあろうとは想像もできない。
繰り返して言う。ムソルグスキーの《展覧会の絵》は目で見た絵画を音に置き換えた描写音楽では断じてない。作曲家自身がやむにやまれぬ思いを吐露した「精神の所産」なのだ——そう断じたくなるほど、どこまでも深く沈潜し、高く飛翔する内面のドラマをウゴルスキーは奏でている。そのことに感動を禁じ得ないのである。
https://www.youtube.com/watch?v=NyNWnn0_ZNc&list=PLs2vq238vU6kXzOb6LD0Svz83zw1o88uD]]>
「杉浦非水の大切なもの」を観に川越へ
http://numabe.exblog.jp/241914223/
2023-08-29T16:55:00+09:00
2023-08-29T19:36:33+09:00
2023-08-29T19:33:34+09:00
s_numabe
美術
杉浦非水の展覧会をなぜ川越で?と訝しがる向きもあろうが、非水夫人・翠子は旧姓を岩崎といい、川越の旧家の出だった縁から、第二次大戦で迫りくる空襲を避けるべく、膨大な非水作品がトランクに詰められて川越の岩崎家に送られ、辛うじて難を逃れたという秘められた過去があった。それら千余点の作品が数年前に川越の同家で忽然と出現したのだ。展覧会の副題「初公開・知られざる戦争疎開資料」がそのあたりの事情を明かしていよう。
⇒ 展覧会チラシ
そんなわけで、この展覧会に並ぶ三百数十点は悉く初公開、しかもすべて非水自身が大切に手元に置き、守り抜いてきた遺愛の品々なのだ――そう思って眺めると、これまで見馴れた三越の宣伝雑誌や東京地下鉄のポスターの数々も、有難味がだんぜん違ってくる気がする。
最も瞠目したのは、非水が心血を注いだ植物写生画集『非水百花譜』(1920–22年初版、1929–34年再版)のための直筆水彩画が七十一枚もまとまって発見されたことだ。百年の時を経ながら保存状態も良好で、これらが後世に伝えられた僥倖を、おそらく誰よりも非水自身が喜ぶに違いない。
非水の回顧展といえば東京で、愛媛で、宇都宮で、繰り返し目にしてきたが、このたびの川越市立美術館の展覧会はそのどれをも凌駕する出来映えである。非水の「自選展」でもあるという有利な側面を別にしても、発見から数年を費やした作品の悉皆調査の成果を存分に踏まえた、多くの新知見を伴う刺激的な展示である。少しばかり遠いからといって、これを見逃すと後々悔いを残すことになろう。カタログの論考も読みごたえが充分。担当された折井貴恵さんの労を多としたい。
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千葉県立美術館で館長トークを聴いた
http://numabe.exblog.jp/241897741/
2023-08-13T17:02:00+09:00
2023-08-13T20:26:16+09:00
2023-08-13T20:22:06+09:00
s_numabe
美術
県庁所在地の例に洩れず、千葉市にはもうひとつ千葉市美術館もあり、こちらが日本版画と現代美術の優れたコレクションを擁し、意欲的な展覧会を次々に開催して人気を呼んでいるのに対し、もともと老舗だったはずの千葉県立美術館は、蒐集でも企画でも著しく遅れをとり、これといった話題性を欠いたまま、時流から取り残された地味な存在に甘んじている。
本年は明治初年に千葉県が誕生して百五十周年にあたるところから、ここ県立美術館では「描かれた房総」なる展覧会を催している。千葉の海浜風景を中心に、房総を題材とする絵画が四十点あまり並ぶ。館蔵コレクションのみの小ぢんまりした展示ながら、普段なかなか観る機会のない水彩・素描作品も含まれており、千葉県民としては見過ごせない内容である。千葉県誕生150周年記念事業 房総の海をめぐる光と影とアート展「描かれた房総」 - 千葉県立美術館 (chiba-muse.or.jp)
今日を訪問日に選んだのには理由がある。午後一時半から館長がギャラリートークを行い、「ふだん聞けないとっておきのお話」をする、とホームページで知り、これは千載一遇の機会だと思ったからだ。同館ではこの四月に貝塚健さんが新館長として着任され、これまでのアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)での豊富な学芸員経験を活かしながら、この老舗美術館に新風を吹き込みつつあると仄聞する。旧知の貝塚さんがこの新しい赴任先でどんなトークをされるのか、興味津々の面持ちで耳を欹てた次第だ。
⇒館長トークのお知らせ
貝塚館長は展示作品のなかから、ジョルジュ・ビゴーの《稲毛の夕焼け》(1890年代)と浅井忠の《漁婦》(1897)の二枚の油彩画に話を絞り、房総半島がその風光明媚な景観と、東京からほど近い至便な立地とから別荘地・保養地として栄え、明治時代からしばしば画家たちの滞在先となった経緯を手際よく語られた。ビゴーは稲毛の浜(千葉市稲毛区)の風物を愛して居を構え、浅井忠は冬の外房・根本海岸(南房総市)に滞在し、漁から帰路に就く漁婦たちを間近に活写している。
館長トークでは配布した参考図版を参照しながら、ビゴーが居住した当時の稲毛海岸の様子を解き明かし、画家の制作意図を推察する。ビゴーはフランス留学から戻った黒田清輝と個人的な親交があり、その黒田もまた外房の大原(いすみ市)に滞在し、海浜風景を描いて1897年の「白馬会」展で展示された由。
本展に並んだ浅井忠の《漁婦》も同じ1897年の作であり、こちらは同年の「明治美術会」展に出品された。房総の風物はこの時代の多くの画家たちが競い合うように好んで描いた画題であり、こうした積み重ねの先に、青木繁は1904年の夏、布良(館山市)に長逗留して傑作《海の幸》を描く。
すべての出来事は網の目のように絡み合い、「房総絵画」の系譜を紡ぎだしている。貝塚館長のトークは流暢な語り口で、絵画史を繙くことの醍醐味を実感させ、一時間のトークは瞬く間に思われた。さすがである。
【この館長トークは8月27日(日)13:30~、9月15日(金)18:00~にも予定されている。】
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