マルティノン&フランス放送国立管弦楽団はどこのレコード会社とも専属契約を交わしていなかったらしく、エラート録音と並行して、さまざまなレーベルから同時多発的に彼らの新譜が陸続と出た。思えば贅沢な時代だったものだ。
◎コンサート・ホール・ソサエティ
ベルリオーズ: 宗教的三部作「キリストの幼時」
◎ドイツ・グラモフォン
ビゼー: 交響曲+組曲『美しきパースの娘」+「子供の遊び」
ラロ: バレエ組曲『ナムーナ』+ノルウェイ狂詩曲
サン=サーンス、タイユフェール、ヒナステラ: ハープ協奏曲集
(ハープ/ニカノール・サバレタ)
◎ヴォックス
プロコフィエフ: 交響曲全集+バレエ組曲『道化師』+ヘブライ主題による序曲+ロシア序曲
◎EMI
ベルリオーズ: 幻想交響曲、「レリオ」
サン=サーンス: 交響曲全集
ドビュッシー: 管弦楽曲全集
デュカ: 交響曲+歌劇『アリアーヌと青髭』第三幕への前奏曲
フローラン・シュミット: バレエ音楽『サロメの悲劇』+詩篇 第四十七番
イベール: 祝典序曲+組曲「寄港地」+架空の愛のトロピズム
オネゲル: 「パシフィック231」+「ラグビー」+「夏の牧歌」+クリスマス・カンタータ
チャイコフスキー: ピアノ協奏曲 第二番 (ピアノ/シルヴィア・ケルセンバウム)
思いつくまま徒然に記すので、まだ遺漏があるかもしれないが、ざっとこんなところだ。これらが1970年前後から立て続けに連打されたさまを想像してほしい。
1968年秋にミュンシュが急逝し、パレーすでに老い、ロザンタル鳴りを潜めるなか、ひとりマルティノンのみがパリで気を吐いていた。六十代に差し掛かり、いよいよ円熟期を迎える彼こそは主を失って迷走するパリ管弦楽団を救うことができる唯一の指揮者ではないか。小生なぞは無邪気にそう信じたものだ。
事実、EMIがドビュッシーに引き続き、ラヴェルの管弦楽曲全集を企てたとき、マルティノン&パリ管弦楽団の「夢の」初共演が実現した。1974年のことである。
嗚呼、なんということか、それがマルティノンとの今生の別れになってしまうとは。
同じその1974年、突如フランス放送国立管弦楽団のポストを擲ったマルティノンは、パリを去って何故かオランダのハーグ(デン・ハーク)へと「隠棲」してしまう。同地のレジデンティ管弦楽団の常任指揮者という、余りにも不似合いなポストに甘んじてしまうのである。彼の身に何が起こったのかは知る由もない。
いつだったか、FMの「海外の音楽祭」といった時間帯に、マルティノン&レジデンティがマルタ・アルヘリッチと共演したリストの協奏曲が流れたことがあったっけ。マルティノンの消息といえばそれきりだ。
そして1976年、突然の訃報が伝わった。
今日はジャン・マルティノンの生誕百周年なのである。