引き続き原稿をちびちび書きながら、往時のバレエ音楽をかける。昨日のエントリーで触れたラヴェルの『ボレロ』と『ラ・ヴァルス』がなんだか無性に聴きたくなった。滅多にないことなのだが。
あちこち探した末このCDを取り出す。これでないとどうしても駄目なのだ。
ラヴェル:
『ボレロ』
スペイン狂詩曲
亡き王女のためのパヴァーヌ
『ラ・ヴァルス』
組曲「マ・メール・ロワ」*
シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団
1958年2月*、1962年3月、ボストン
BMG RCA 6522-2-RG (1991)
そう、このアルバムでないとお話にならないのである。
演奏が秀逸だからか。そうではない。もちろん優れた演奏であるにはあるのだが、このCDにはもうひとつ、かけがえのない美点が備わっている。
ブックレット・カヴァーが途轍もなく貴重なのだ。
まずはそれをお目にかけよう(
→これ)。いや、この蝶々の図柄ではなく、そのすぐ上にある赤い正方形をクリックしてほしい。そう、それです。
然り、お察しのとおりである。
これこそは1928年11月、パリのオペラ座で初演されたバレエ『ボレロ』の舞台写真なのである。中央に立つすらりとした痩身の女性が
イダ・ルビンシュテイン。場面はスペインのとある居酒屋に設定されているので、周囲の男女もすべてスペイン庶民風の扮装をしている。ただし誰一人踊ってはおらず、全員がこちら側を見ているので、これは練習の合間の休憩時に撮られたものだろう。
管見の限りでは、この写真はいかなる書物でも目にした憶えのない珍品である。提供者名は Irina Nijinska と記されているので、これは当時このバレエを振り付けたブロニスラワ・ニジンスカの旧蔵写真なのであろう。
夥しい数の写真記録が残るバレエ・リュスと異なり、イダ・ルビンシュテインのバレエに関しては視覚資料が悲しいほど少ない。手許にある三冊の研究書にも、舞台写真の類いはほんの数枚しか掲載されていないのである。『ボレロ』についても、主役の扮装をしたルビンシュテインのぼやけた写真が知られるのみ。
よ~く観察すると、ルビンシュテインがすっくと立つ場所は木の床ではなく、大きな丸い食卓である。周囲には粗末な腰掛がいくつか置かれていて、粗末な身なりをした居酒屋の客たちが三々五々そこに集って酒を酌み交わす。
そのテーブル上でひとりの女が静かに踊り出す。さりげない仕草に誘い込まれるように、客たちがひとりまたひとりと加わって踊りの輪が拡がっていき、やがて全員を巻き込んだ狂熱の坩堝と化す。その渦巻の中心で踊り続ける女がイダ。彼女の伝記が "Dancing in the Vortex" と題されているのもむべなるかな。