昨夜はあれから古書日月堂店主にメールで懇願して、連載の締切を一週間ほど延ばしてもらった。なんとも情けない仕儀と相成ったが、どうにもこうにも筆が進まないのだから致し方ない。
永らく週に何度か続けてきた東京への往還も明日でようやく終わりになる。これでやっと執筆に専念できる手筈が整う。それでもなお原稿が書けなかったら、これはもう言い訳のしようがあるまい。
夕方、東京駅構内の書店で久しぶりに『ミュージック・マガジン』誌を手に取る。表紙を飾るのはずいぶん若い時分の加藤和彦のポートレート装画。ゴシック体で「追悼特集」とある。
余りにも突然のことゆえ、誰しもが驚きとともに口籠りつつ、それでも小倉エージや北中正和や真保みゆきは努めて冷静に追悼の文章を綴っている。それでも、なぜに?という訝しさは拭いようもない。
加藤和彦と安井かずみの共同作業について論じた文中で、北中が彼らの目指した世界が90年代以降の日本の音楽状況のなかでは次第に理解されなくなったとし、「それは成熟した音楽表現が居場所を失っていった時期だとも言える」と指摘しているのは鋭い。大人の音楽が求められる時代でなくなったというのである。
帰宅後は呆けたように過ごす。ホットカーペットに腹這いになって音楽をかける。
"Charles Koechlin: Oeuvres pour piano Vol. 2"
シャルル・ケックラン:
ペルシアの時 Les Heures persanes 作品65
シエスタ、出発の前~隊商~宵闇の登攀~涼しい朝、高地の谷で~町の眺め~街路ごしに~夕べの唄~露台に射す月明かり~朝の唄~真昼の陽光の下の薔薇~日陰の大理石の泉の傍~アラベスク~夕映えの丘~語り部(序奏、瓶のなかの精霊、魔法にかかった宮殿、若者の踊り、庭園に注ぐ月光)~夕べの平安、墓地にて~夜の回教僧たち~(コーダ)荒野に射す月明かり
ピアノ/ミヒャエル・コルシュティック
2008年12月15~18日、シュトゥットガルト、SWR室内楽スタジオ
Hänssler CD 93.246 (2009)
横になって夢心地で聴くのにふさわしい音楽。彼方の蜃気楼の幻影を追うような。