のっけからいきなり長文の引用になることをお赦しいただきたい。
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1928年、モスクワは時ならぬ日本ブームで沸きたっていた。同年8月、市川左団次率いる歌舞伎一座がモスクワの対外文化連絡協会(ВОКС ヴォクス)の招きで初の海外興行を行い、芝居好きのモスクワっ子を熱狂させた(セルゲイ・エイゼンシュテインの傾倒ぶりはつとに知られている)。
舞台の興奮も醒めやらぬ10月、今度は同じ ВОКС 主催による「日本児童書・児童作品展」なる催しが始まろうとしていた(モスクワ歴史博物館、10月11日~21日)。出品点数が半端ではない。児童書1,450点、児童の絵画600余点という空前の規模である。[…]
長く忘却の淵に沈んでいたこの展覧会について知ることができたのは、東京のソ連大使館で通訳官を務めた日本学者エヴゲニー・スパリヴィン(1872-1933)の日本語の著作『横眼で見た日本』(スパルヰン著、新潮社、1931年)における次の一節からである。
[モスクワで行われた] 色々な催しの内で一番面白いものは、日本児童書籍展覧会でした。[…]
見物人には色々な人がありました。例へば美術家、博物館係員、大中小学生 [=校]
の先生及び学生、活版屋、医者、労働者、小使、其他ロシアの子供も非常に多かつたさうです。[…]
この展覧会がロシアの子供に与へた刺戟は非常なものです。
スパリヴィンは ВОКС の在日本代表を兼任しており、自らも携わった日ソ文化交流の一例として展覧会に言及したのである。忘れずに付け加えておくと、本書『横眼で見た日本』は知日ロシア人による日本文化論として無類に楽しい読物である。[…]
ところでこの「日本児童書展」(以下このように略記)は二か月前に行われた歌舞伎興行と対の企画として発案され、前年秋の革命十周年記念祭典に招待された小山内薫と ВОКС との間で最初の構想が練られたらしい。同時期に訪ソした秋田雨雀の日記には、モスクワで ВОКС の担当者からこの二つの企てについて相談される一節がある(1928年4月13日)。
実際の準備作業である児童書や児童作品の収集は、スパリヴィンが中心となって東京のソ連大使館で進められた。新聞報道によれば、日露協会と日本童話協会の後援のもと、丸善、冨山房、アルス、博文館などの出版社がこぞって協力し、「これらの寄贈図書雑誌には、一々露文で内容の梗概、性質などの説明書が添付される」(『読売新聞』5月16日)。
注目すべきは、日本童話協会会員の民衆文化研究家で、「児童書籍三百冊及び三百年前から明治初年に至る児童浮世絵三百点を所蔵する」藤沢衛彦(1885-1967)が貴重なコレクションの出品を快諾したことである(同紙5月8日)。これによって、モスクワの「日本児童書展」は同時代文化の紹介にとどまらず、歴史的な奥行きをも備えた内容となった。
こうして集められた図書・資料はソ連大使館で関係者の内覧に供したあと、すでに収集されていた日本児童の絵画作品(その一部は1927年10月に大使館で展示済み)とともにおそらく6月末頃モスクワへ発送された。
10月11日から21日までモスクワ歴史博物館で催された展覧会の模様については、ВОКС 発行の英字週報 "Voks" Weekly News Bulletin の1928年12月22日号(50・51合併号)が写真入りで報じている。記事によれば、限られた会期ながら観覧者は4,000人を超え、子供たちのほか画家、教育関係者、印刷関係者らが足を運んだという。
同誌の掲載写真は物珍しさからか、書籍以外の出品物、すなわち人形や玩具、木版刷りの「おもちゃ絵」(前述した藤沢衛彦の所蔵品)ばかり写しているが、背後にはわずかながら書籍の陳列も姿を覗かせ、「ロシア作家」「ロシアの民話と伝説」などキリル文字の表示も読み取れる(トルストイ童話集など、日本で刊行されたロシアもののコーナー)。
ВОКС はこのほか展覧会の概要を記した小冊子も刊行しており、企画者のメクシンとサクリナ女史(後者は児童画部門の担当)がそれぞれ周到な紹介と分析を行っている。ほどなく二人の文章は日本童話協会の月刊誌『童話研究』(8巻1号、1929年1月)に訳載されているので、そこからメクシンの所論の一端を紹介しよう。
彼はこの展覧会の準備に八か月を費やしたこと、東京のスパリヴィン博士の「エネルギーと知己の多いことと博学」、さらには日本童話協会(巌谷小波と藤沢衛彦の名が言及される)と出版各社の尽力に感謝したあと、「最初は主に童話を展覧するつもりであつたが、教科書や教育学的労作物や楽譜や版画を始めとして、きり絵や折り紙や児童の芸術的作品など」を幅広く集めることができたと述べる。1,450点を数える出品書籍の内訳は次のとおり。
絵本と絵画的玩具/420種
物語、昔話、小説/157種
歴史物語/52種
児童劇、児童遊戯/13種
児童科学/36種
児童の雑誌と新聞/252種
楽譜/193種
教科書/278種
教師用教科書及参考書/49種
続いてメクシンは分野ごとに的確な分析を加え、例えば「物語、昔話、小説」ではトルストイやクルィロフ、ドミトリエフ、ヘムニツェルの作品がすでに邦訳されていることに「我々の予期しなかつた悦び」を表明する。「教科書」については、ソ連に比べ日本が芸術的に優れていることを認め、「立派な挿絵に依つて、日本の遺産であり誇りである版画芸術に対する趣味を児童に注ぎ込まうとしてゐる実例」と称賛している。ちなみに、出品物の大半は展覧会委員部に寄贈され、モスクワに保存される予定だという。[…]
~「
旅する絵本たち 1928・29年」『窓』133号(ナウカ、2005年)より
拙文を長々と引用したのには理由がある。
上に紹介した「日本児童書展」に際して ВОКС が刊行したというその小冊子が遂に手に入ったからである。つい先ほど航空小包で届いた。
Выставка детской книги и детского творчества Японии
ВОКС (Всесоюзное общество культурной связи с заграницей)
и ГАХН (Государственная академия художественных наук)
Москва
1928г
わずか二十頁の小ぶりな薄冊だが、その価値は計り知れない。
七百部しか刷られなかったから、八十年後に現存するのはおそらく数十冊程度であろう。実物を手にすることはあるまいと半ば諦めていたところ、偶然アメリカの古書店のHPで見つけた。稀覯本なので決して安価ではなかったが、この機を逃してはならじと清水の舞台から飛び降りた。両腕両脚を骨折したが構わない。