昨日から書き始めた連載「バレエ・リュスと日本人たち」の第六回目。山田耕筰の「牧神の午後」観劇体験の締め括りである。肝腎のバレエそのもののとの遭遇は前回で済んでしまったので、あとはいわば事後のエピソード。なので面白く書くのが難しい。夕方までみっちり取り組んでようやく半分位まで辿り着いただろうか。
昨日の加藤和彦の訃報にはいろいろと考えさせられた。功成り名遂げた高名な音楽家と我が身を引き比べるなぞ烏滸がましいのだが、それでも老境に入りつつある者の身の処し方について、思うところは少なくない。
加藤氏は「もう音楽でやりたいことがなくなってしまった」と身近な友人に漏らしていたという。「自分の思うようなものができない」「作品を書こうと思うと駄目なんだ」とも。あれほどの才人にしてそうなのだから、われら凡人においておや。滾々と水を溢れさせる泉でもやがて涸れるときがくるのだ。
享年六十二、ということは小生のちょうど五歳上。気持ちのうえで三十代、四十代と変わらないつもりでいても、否応なしに老いと衰えは忍び寄ってくる。人一倍自ら恃むところが大きかった誇り高きトノバンにはそれが耐えがたかったのではないか。
友人のミクシィで加藤和彦が今年になってリリースしたアルバムのことを教えられた。ここ数年ずっとコンビを組んできた坂崎幸之助とのユニット「和幸(かずこう)」名義の「
ひっぴいえんど」がそれ。
これがなんとも奇妙で不可思議、あえていうならば無残なアルバムなのである。
ちょっと聴いてみればわかるのだが、1970~71年のはっぴいえんどを髣髴とさせる、というか、むしろそのパロディともパスティッシュともつかぬ摩訶不思議な楽曲の目白押しなのだ。「タイからパクチ」「ナスなんです」「あたし元気になあれ」「花街ロマン」など、稚拙なリメイクめいた楽曲タイトルはともかくとして、メロディラインの特徴、歌詞のそっけなさや字余り具合、くぐもった歌唱、CSNY風のアレンジに到るまで、はっぴいえんど「らしさ」を巧みに模倣している。
だが、それにしても、と思う。加藤和彦はいったい何を考えてこんなアルバムを拵える気になったのだろうか。
そもそも彼ははっぴいえんどの先達であり、彼らがデビューしたときすでに名を成した存在だった。彼らの出現を横目で見て触発されはしたろうが、四十年近く経って今更オマージュ(なのか?)を捧げるというその動機が解せない。本アルバムにはそのほか「自由への長い旅」「カレーライス」「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」といった同時期の岡林、エンケン、かまやつの曲も収められ、「あの時代」への回顧的な思いが痛切に感じられるのだが、それをいかにも往時めいたアレンジで今の時代に蘇らせる意図がわからない。全く見当もつかないのだ。原点回帰? まさか。
(まだ書きかけ)