(8月25日のつづき)
人の記憶のメカニズムとは摩訶不思議なものだ。
とんでもない暴風に見舞われ野外での「サマークリスマス」が取りやめになって、代々木公園から赤坂のTBSまで避難してきた。ここまではどうにか記憶で辿れるのだが、そのあとスタジオで何が行われたのか、殆ど思い出せない。肝腎のイヴェントの中身が記憶のヴィデオ・テープに刻まれていないとはどういうことなのだろう。あのとき会場にいた仲間たちに尋ねてみてもいいのだが、まあ折角ここまで独力で思い出したのだから、三十五年後の微かな残像を継ぎ合わせてみよう。
かなり広々としていた筈の空きスタジオがみるみる参加者で埋まっていく。気がつくともう立錐の余地のないほどの満員状態だ。なんとか床に腰を下ろすことのできた者はいいほうで、坐る場所が確保できず、壁際に立つほかない者も続出した。小生は片隅に置かれたセミ・グランド・ピアノの脇にどうにか陣取り、ピアノの脚に半ば体をもたせかけるようにその場にしゃがみこんだ。
いくら「代々木公園に集まって何もしない会」だとはいえ、それなりの式次第というのか、どんなゲームをするか、どこでゲストに登場してもらうか、といった最低限の段取りはあったはずなのだが、すべてが台風接近でご破算になってしまった。数百名もの人間が犇きあい身動きのとれぬ室内で「手つなぎ鬼」でもあるまい。
余りにも急な予定変更だったため、主催者側は会場をおさえるのが精一杯で、スタジオにはマイク一本用意されていない。したがって、放送局だというのに遣り取りはすべて肉声、会の模様は録音されることもなかった。
そのあとスタジオでどんな言葉が交わされ、何がどう展開されたのか、何かゲームのようなことをしたのか、全く憶えていない。満員鮨詰め状態の室温がたちまち上昇し、人いきれで蒸し風呂のようだったこと。鮮明に思い出せるのはそれだけだ。
林さんは誕生日を祝ってもらう、いわば客分の立場なので、当日の司会進行役は熱心なリスナーのY君の手に委ねられたのだが、予想できない展開に彼もさぞかし戸惑ったことであろう。随所で林さんが立ち上がって当意即妙の話術で助け舟を出してその場を和ませるという具合に会が進められたのだと思う。
代々木公園ではすっかり群衆のなかに埋没してしまった当日のゲストの荒井由実と石川セリが改めて呼び出され、満場の拍手を浴びながら一座の中央に用意された椅子に坐った。急拵えの殺風景な会場が俄かに華やいだのは言うまでもあるまい。ユーミンはチェックのシャツにジーンズ地のホットパンツというスポーティヴな軽装、セリはブルーの半袖シャツに深紅のロングスカートといういでたちだったことが当日撮られた写真からわかる。のちに親交を深めることになるふたりだが、この時点では顔を合わせるのが二度目だったかで、打ち解けた雰囲気というにはほど遠く、互いに会話を交わすことも一切なく、むしろ番組のマドンナ同士が見えない火花を散らし合うという雰囲気だったように思う。
やがて参加者との一問一答へと進み、「おふたりは互いのことをどう思ってらっしゃるんですか?」という質問に、ユーミンは「セリさんのような歌唱力で唄えたら、どんなにいいだろうか」、セリは「ユーミンさんみたいに自分で詞も曲も創れるなんて羨ましい。私はただのシンガーだから…」と、互いに互いを褒め合う一幕もあった。
ほどなく質疑応答も済み、自然な流れとしてゲストのふたりにぜひ一曲ずつ唄ってもらおうという展開と相成った。もっとも、当初の予定では公園に集まってただゲームをするだけという話だったのだから、ご両人とも事前の準備などあろうはずもなく、全くのぶっつけ本番で歌に臨むことを余儀なくされた。当然リハーサルもカラオケの用意もなし、前述のとおりマイクすらセッティングできなかったのである。
最初に指名されたのはユーミンだった。
(次回につづく)