夏休み最後の週末、しかも近所の商店会が夏祭りを催すとかで、表通りはたいそうな賑わい。しかも真夏のような陽射しがじりじりと照りつける。
食材の買い出しは涼しくなってからにしよう。というわけで未聴のままだったディスクを纏めて聴く。今日は久しぶりにプロコフィエフ特集と行こうか。
セルゲイ・プロコフィエフ:
バレエ音楽 『ボリステーヌ(ドニェプル川)の畔で』
劇付随音楽 『ハムレット』*
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮
ソヴィエト文化省交響楽団
ソプラノ/ナターリヤ・ゲラシモーワ*
バス/アナトーリー・サフューリン*
1982、1988年、モスクワ
Мелодия SUCD 10-00206 (1991)
セルジュ・リファールが台本と振付を担当、ラリオーノフ&ゴンチャローワ夫妻が舞台美術を手掛けたバレエ『ボリステーヌの畔で Sur le Borysthène』は、ディアギレフの歿後その「遺児たち」が再結集してパリで拵えたバレエである。作曲はディアギレフの死の翌年の1930年に開始され、オペラ座での初演は1932年。その後ほどなく忘却の沼に沈み、再演の機会は殆どない。
バレエ・リュスのための最後の作品『放蕩息子』(1929)と、祖国帰還後の諸舞台作品を繋ぐプロコフィエフのミッシング・リンクとして、この『ボリステーヌ』の重要性は明らかだ。ソ連時代に全面的に打ち出される明快な古典主義回帰はこの時点ですでに明瞭に兆している。ロジェストヴェンスキー指揮の本演奏は初演のちょうど半世紀後モスクワで行われたロシア初演(演奏会)の実況なのだそうだ。巧過ぎてとてもこれが生演奏とは思えないのだが。
続く『ハムレット』はソ連での盟友セルゲイ・ラードロフが演出する上演のため1937~38年(血も凍る粛清のただなかで!)に作曲されたもの。この数年前すでに傑作バレエ『ロミオとジュリエット』が書かれていること、その最初のプロットの作者がほかならぬラードロフだったことなどなどを考え合わせつつ興味深く聴いた。演奏の質の高さはいうまでもない(こちらはスタジオ録音)。ロジェストヴェンスキーとプロコフィエフの相性の良さをまたも再確認させるような名演だ。
セルゲイ・プロコフィエフ:
ピアノ協奏曲 第三番*
交響曲 第七番
ピアノ/レイフ・オヴェ・アンスネス*
オレ・クリスティアン・ルード指揮
ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団
1989年6月26~27日、1990年1月26~27日、ベルゲン、グリーグ楽堂
Simax PSC 1060 (1990)
一転してこちらは人口に膾炙した二曲なのだが、独奏者にアンスネスの名を発見して興味を掻きたてられた。もっともちょうど二十年前の録音ゆえ、当時まだ十九歳になったばかりの初々しいデビュー間もない頃の演奏だ(初ディスクかと思いきや、少し前にチェリストのモルクと組んでシューマンとショパンを録音している)。
で、その十九歳のプロコフィエフはどうだったかといえば、勿論リリカルなタッチや透明な音色は予想どおりだったのだが、第三協奏曲はただ美しく響くというだけではない、なんというか、ささくれ立ったところや、きしみをたてるようなところ、あるいは悪戯っぽさや素っ頓狂な面も随所に顔を覗かせているはずなのだ。アンスネス青年はこの時点ではまだ、すべてに純情すぎるのだ。今ならどうだろうか。
ルードという指揮者は知らないが、丁寧な音楽づくりが好もしい。第七交響曲も瑞々しい自発性に満ちた秀演である。
セルゲイ・プロコフィエフ:
バレエ音楽 『ロミオとジュリエット』
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団
1973年6月8、9、13、14日、ロンドン、キングズウェイ・ホール
東芝EMI TOCE-6549/50 (1990)
小生のように『ロミオとジュリエット』を専ら三つある組曲版(あるいはそれらの曲順を入れ替え折衷した抜粋版)で聴き込んだ人間にはLPで三枚、CDで二枚に及ぶバレエ全曲をただ音だけ聴き通すのはちょっと辛い。なのでいつも敬遠気味なのであるが、このプレヴィン盤だけは違う。その巧みな語り口、濃やかな表現、綿密な描写力に惹き込まれ、一瞬たりとも退屈を覚えぬまま二時間半がいつの間にか過ぎてしまう。魔法と云わずしてなんと呼べばいいのか。
すでに手許にあって愛聴措くあたわざる『シンデレラ』の絶妙な名演に勝るとも劣らない、これは途轍もなく素晴しい『ロミオ』全曲である。プレヴィン自身はおそらく一度もピットからこのバレエを指揮した経験がないはずであり、この絶妙というほかないストーリーテリングの巧さは一体全体いつどこで身につけたのであろうか。若い頃にラッシュ・フィルムを観ては即座に音楽を紡ぎだしていた映画音楽作曲家としての体験が、音楽と身体運動との緊密な関わり合いのありようを体得させたに違いない。そう推察する次第である。
もうひとつ忘れてはならないのは、プレヴィンの恩師がほかならぬピエール・モントゥーであるという重大な事実。これを看過してはならないのではないか。音楽に内在するしなやかな躍動感を無理なく解放してやること。モントゥーから伝授された奥儀とはこれだったに違いない。バレエ・リュスの豊穣な血脈はプロコフィエフとモントゥーを介して遙かプレヴィンにまで及んでいたのである。