ネット上に「
プロコフィエフの日本滞在日記」を自ら翻訳・公開され(
→ここ)、作曲家セルゲイ・プロコフィエフの日本滞在(1918年夏)について広く世に知らしめた功労者、豊田菜穂子さんから新刊書をご恵贈いただいた。プロコフィエフ自らが創作した短篇を集めた頗る興味深い一冊だ。
セルゲイ・プロコフィエフ
プロコフィエフ短篇集
エレオノーラ・サブリナ、豊田菜穂子 訳
群像社
2009
プロコフィエフがたいそう筆の立つ文章家であることは夙に知られており、大小二種類の自伝(詳細な前者は幼少年時代までで中断)は広く読まれている。21世紀になって日の目を見た浩瀚な日記の汲めども尽きせぬ面白さはようやく紹介されたばかりだが、自ら原案・台本を買って出た音楽物語『ピーターと狼』は今なお世界中で親しまれているし、生涯にわたって取り組んだオペラ作品のほとんどの台本を自ら手掛けてもいる。
プロコフィエフが書いた短篇小説が存在することは、1993年にたまたま倫敦で手にした "
Sergei Prokofiev: Soviet Diary 1927 and Other Writings" という本(Faber & Faber, 1991)で初めて知った。息子オレグが編集したこの興味深いアンソロジーで、小生はプロコフィエフの日記の底知れぬ面白さの一端に触れ、附録として収められた奇想天外な短篇を愉しんだ。それは以下の五篇である。
A Bad Dog
Tanya and the Mushroom Kingdom -- end fragment
The Wandering Tower
Misunderstandings Sometimes Occur
The Two Marquises -- fragment
今回の『プロコフィエフ短篇集』には、これら五篇(ターニャと茸の話は完全な形で)を含め全十一篇が読みやすいこなれた邦訳で収録されている。題名を挙げておこう。
いまわしい犬
毒キノコの話
彷徨える塔
紫外線の気まぐれ
誤解さまざま
罪深い情熱 [未完]
ひきがえる
喫煙室にて
ふたりの侯爵
(死んでしまった時計屋は……) [未完]
(アフリカ行きの船が……) [未完]
これらの短篇小説をロシア文学史のなかに位置づけることなぞ小生の手にはとても負えないが、ここに同時代の象徴主義の昏い影が殆どみられないことは確かで、非ロシア的でコスモポリットな題材選択といい、シュルレアリスムに先駆する途轍もない展開といい、彼が新世代の若者であることを如実に物語っていよう。むしろ八つ年下にあたるウラジーミル・ナボコフの世界に通じるものがありはしないか、そんなことを所縁なくふと夢想したりもした。
更に興趣をそそるのは、このなかの何篇かがプロコフィエフの日本滞在中に書き進められている事実である(「彷徨える塔」「紫外線の気まぐれ」「誤解さまざま」「罪深い情熱」「ひきがえる」)。日記にもそれらに関する記載が散見される。その意味で、本書に「プロコフィエフ 日本滞在日記」が再録されているのは誠に有益である。
とまれ、モスクワで出た原著 "Сергей Сергеевич Прокофьев.
Рассказы" は極めて入手が難しいそうなので、こうしてすべての短篇が日本語で読めることを寿ぎたい。ただし、そのロシア版の原書に較べるまでもなく、本書の装丁やカヴァー装画がいかにも安手で陳腐なのが悲しい。プロコフィエフがこれを見たらきっと嘆くだろう。折角の良書を台無しにしたイラストレーターと版元の猛省を促す次第である。