「荘園農場(ルビ:マナー・ファーム)」のジョウンズはその日も寝る前に鶏小屋の錠をおろしたが、あまりに酔つてゐたので餌箱の蓋を閉めるのを忘れた。彼は、ぶらさげてゐるカンテラの丸い光を左右に躍らせながら、千鳥足で庭を横切り、勝手口の処でどた靴を脱ぎ捨てゝ中に入つた。流し場にあるビール樽で飲みおさめの一杯を飲み干してから細君が鼾(いびき)をかいてねてゐる寝室へ重い足取りであがつて行つた。
ジョウンズの寝室の灯(あかり)がやがて消えたかと思ふと、農場の他の建物の中が俄かに騒々しくなつて、ガサガサバタバタと云ふ物音が聞えて来た。
と云ふのは、メイジャーと云ふミドル・ホワイト種の年寄つた優秀な牡豚が昨夜見た不思議な夢を披露する旨、昼間のうちに動物仲間に通知しておいたので皆は相談して、夜になつてジョウンズが引き上げ次第大納屋に集合することに決めたからであつた。(後略)
1949(昭和二十四)年五月に刊行された『
アニマル・ファーム』(大阪教育圖書株式會社)の冒頭の一節。ジョージ・オーウェルの寓話『動物農場』のこれが最初の日本語訳である。原著 "Animal Farm" が英国で刊行されたのは1945年8月17日。大日本帝国の無条件降伏により第二次世界大戦が完全に終結した奇しくも二日後である。オーウェルはこれを1944年二月に脱稿していたというが、ソ連の政治体制をあからさまに批判した内容に英米のいくつもの出版社が難色を示したため、出版が一年以上も遅れてそのまま終戦を迎えたということらしい。
翻訳は永島啓輔という人。どういう方なのか寡聞にして知らないが、六十年後の今もさして古びていない、正確で読みやすい名訳ではなかろうか。因みにオーウェルは翌1950年の一月に急逝してしまうので、本書は作者の生前に辛うじて間に合った唯一の訳書ということになろう。
表紙には「
第一回翻訳許可書」と赤文字で明記されている。これは占領下の日本での外国文献の新規翻訳を凍結していたGHQ(連合軍総司令部)の民間情報局が初めて翻訳刊行を許可した歴史的な一冊であることを示している。
第二次大戦中は呉越同舟状態だった米ソの対立が戦後ほどなく不可避となり、朝鮮戦争勃発を一年後に控えた冷戦前夜のこの時期に『動物農場』の翻訳が許されたのは偶然ではない。米国政府はオーウェルの『動物農場』と『1984年』の二冊を反共プロパガンダを推進するうえで恰好の小説と看做し、その世界的な流布に力を貸していたのである(米国の資金援助により実に三十か国語以上の言語に翻訳・配布されたという)。「オーウェル=反共主義者」という短絡した誤解はこのとき生じ、日本を含め世界じゅうで根深く蔓延ることになった。
荘園農場(ルビ:マナー・ファーム)のジョーンズさんは、にわとり小屋にかぎをかけて夜のとじまりをしましたが、ひどくよっぱらっていたので、くぐり戸を閉めるのを忘れてしまいました。ランタンからもれでるまんまるの明かりを左右にゆらしながら、中庭をふらふらとすすみ、裏口でブーツをけっとばしてぬぎすて、台所のビヤだるから寝しなの一ぱいをごくりと飲んで、二階のベッドにあがってゆきました。ベッドのなかではおくさんがすでにいびきをかいてねむっています。
寝室の明かりが消えると、すぐに農場の建物じゅうでざわざわ、ばたばたという物音がしました。昼間のあいだにはなしが広まっていたのです。なんでも、品評会で入賞したミドル・ホワイト種のおすぶた(ボアー)であるメージャーじいさんが昨晩ふしぎな夢を見たので、ほかの動物たちにそれを伝えたいのだとか。それでジョーンズさんがいなくなってだいじょうぶになったら、すぐにみな大納屋(おおなや)に集まろうということになったのです。(後略)
このたび岩波文庫に『動物農場』が新訳で収められた。上に引いたのがその冒頭の一頁分。日本初訳から実に六十年目にして実現した快挙である。因みにこれがこの小説の九番目の日本語訳なのだそうだ。
ジョージ・オーウェル
川端康雄訳
動物農場
─おとぎばなし─
岩波文庫
2009引用した部分でもすぐおわかりのように、今回の新訳は実に平易な日本語である。親しみやすい「ですます」体が採用され、ひらがな表記が大幅に採り入れられているので、小学生でもたやすく読めるのではないだろうか。
訳者の川端さんは信頼できる気鋭のオーウェル研究者であり、みすず書房から出た『「動物農場」ことば・政治・歌」(2005)の著者、平凡社ライブラリーの三冊の『オーウェル評論集』の編者でもある。その川端さんが『動物農場』をこのような易しい文体で訳されたのは偏にこれが「他国語に簡単に翻訳できる」(オーウェルの言葉)平易な「お伽話」として書かれているからだ。新訳の副題にわざわざ「おとぎばなし」と銘打たれているのは、そもそも原作がそうなっているのだが、だから故なしとしない。この場合オーウェルのいう「お伽話」とは "A Fairy Story" である。
とはいえ文体こそ平易なものの、この動物寓話の差し出す「教訓」は深く、苦く、痛烈で、重たい。とても小学生には理解できない類いのものだ。
オーウェルが社会主義を否定していないことは明らかだ。動物たちが傲慢な人間に対して叛乱を起こし、自治と自主経営を実現させる。世界初の「動物の、動物による、動物のための」農場の誕生である。彼らは実に涙ぐましいほどの努力を傾注して、農場を「この世の楽園」に作り変えようと粉骨砕身する。このあたりの筆致には作者の並々ならぬ共感と情愛が漲っていて、その真情に強く胸を打たれる。彼は明らかに虐げられた動物たちの起こした「革命」の賛同者だったのだ。
それだけに独裁豚ナポレオンが理想主義豚のスノーボールを追放し、農場の全権を掌握してから、動物たちの辿る奈落の底への転落の道のりは悲惨そのもの。怒りと涙なしにはとても読み進むことができない。「革命の理想」は地に堕ちたのだ。
「この本を最初に思いついたのは、中心となるアイデアにかぎれば1937年だった」とオーウェル自身が語るとおり、1937年のスペイン内戦の現場で、粛清と全体主義と官僚支配の渦巻くソ連政権の実態を垣間見たオーウェルは、このとき「裏切られた革命」を肌で実感したのである。