行きたくてうずうずしていた展覧会にようやく行く機会を得た。
先週末から世田谷文学館で始まった「
堀内誠一 旅と絵本とデザインと」がそれである。千葉の拙宅から芦花公園までは遠距離だったが、遠路遥々出向くだけの価値は十二分にあった。
文学館でなぜ堀内誠一展なのか、と訝しく思われる向きもあろうが、堀内には半自叙伝『父の時代・私の時代』があり、丹精こめた美しい編著『絵本の世界 110人のイラストレーター』上下巻があり、加えて画文集の体裁をとったいくつもの旅日記や旅行ガイドがある。そのほか『
an・an』『
Olive』『BRUTUS』『血と薔薇』など雑誌のアート・ディレクション、更に夥しい数の絵本と児童書を含めれば、エディトリアルの世界に果たした貢献はそれこそ計り知れない。
1987年に五十四歳の若さで急逝して以来、堀内誠一の不在を片時も忘れることのできない者のひとりとして、彼の業績を偲ぶ展覧会には努めて足を運ぶようにしてきた。1998年のふくやま美術館での「堀内誠一 絵本の世界」展、1999年の平塚美術館での「堀内誠一 雑誌と絵本の世界」、2007年の銀座・教文館での「堀内誠一 絵本原画展 ぐるんぱも an・anも」、そして昨2008年の松濤・ギャラリーTOMでの「旅の仲間 澁澤龍彦と堀内誠一による航空書簡より」、そんなところだろうか。
これまでの展覧会もそれぞれに長所があり、とりわけ平塚と教文館では絵本作家とアート・ディレクターという両面を過不足なく紹介されていたのだが、今回の展示はさらにその先を行っていた。副題に「旅と絵本とデザインと」とあるように、堀内の仕事に「旅」というキーワードをあてがうことにより、その多彩な成果にひとつの方向性と一貫した流れを示した点で、これまでのどの展覧会よりも優れていた。
幼少期からフランスに憧れていた堀内が、独立を機に1960年にヨーロッパを旅した体験がその後のデザイナーとしての方向性を定めたのは間違いないところだし、74年から八年間もパリ郊外に住んだのは絵本制作に専念する環境を求めての決断だった。このヨーロッパ滞在の成果が幾多の絵本や『絵本の世界 110人のイラストレーター』、そして旅日記や絵手紙として結実したのである。旅こそは彼の生涯のライトモティーフにほかならない。
会場の隅々まで展示に愛情と神経が行き届いているのも嬉しく、多彩な交遊関係を含めて、堀内の生涯の全貌がひとつの壮大な「旅」として追体験できるような愉しい展示に仕上がっている。恐るべし、世田谷文学館!
カタログとは少し性格が違うが、同題の書籍が刊行されて堀内の仕事がコンパクトに纏められているのが嬉しい。加えて、前々から噂に聞いていた私家版の追悼本『
堀内さん』(1997、堀内事務所)が売られているのを発見。一も二もなく手に取った。これはかけがえのない宝物だ。
二時からは巖谷國士さんの講演があった。澁澤龍彦の親友で、堀内とも交遊があった巖谷さんは『旅の仲間 澁澤龍彦と堀内誠一による航空書簡より』の編者でもある。「堀内さんの『旅』」と題し、「猛烈に働く一方で、心ゆくまで遊んだ。いわば蟻とキリギリスを兼ね備えたような人物」とまず定義づけたうえで、十四歳で学業を放棄し仕事に就いた堀内の生涯そのものが「旅」だったのだと規定した。
澁澤にとっての旅はすべて確認の旅、すなわち「観るべきものを訪ねる」目的があり、偶然の発見を求めなかった(往還に専らタクシーを用いた由)。それに対し、堀内の旅はその全行程が大切で、道中たまたま見聞きした悉くが発見であり、旅の歓びになっていることを、澁澤宛ての絵入り書簡を引きながら縷々例証された。堀内は天性の、そして生涯を通しての「旅人」だったのである。