昨日中に書き終えるはずだった小原稿がどうしても終わらず、朝を迎える仕儀と相成った。とほほの気分。
「魅力的な美術展カタログの作り方」という、職業上のノウハウに関する作文なのだが、映画や音楽についてのエッセイのようにスムースに進まないのはやはり「お仕事」に係わる考察だからか。
ところで当ブログの訪問者数はいつもコンスタントにニ百人台なのであるが、先月の二十一日にいきなり五百近くまで跳ね上がって、てっきりこれは何か集計上の間違いであろうと考えた。今になってその謎が解けた。
もうどなたも憶えてはおられないだろう(小生も半ば失念しかけていた)が、かつて石井桃子さんの青春時代を考察した際、その続きとして彼女の無二の親友(というかパートナー)だった小里文子(おりふみこ)という女性について少し調べて書いたことがあった。石井さんが「熊プー」を翻訳する契機をつくった重要な人物である。なにぶん乏しい史料から八十年前の人間模様を浮かび上がらせる試みであり、しかも石井さんの私生活にわたるデリケートな事柄でもあるので、七回ほど連載して沙汰止みとなってしまった。2007年九月から十月にかけてのことだ。
ところが今頃になって比較文学者で作家の小谷野敦さんがご自身のブログでこの問題について少し触れ、その際に小生の一連のエントリーを引き合いに出し、リンクを張って下さった。それが二月二十一日だったのである。そこから多数の訪問者が相次いで拙ブログを覗かれた、ということと推察される。
さらに驚いたことに、ウィキペディアの「石井桃子」の項を見たら、そこにも小里文子との関係が記述されていて、末尾に「小里文子考」として一連の拙エントリーが明記されているではないか。
いやはや、これだからインターネットは怖い。そして凄い。いつ誰が検索して拙ブログに辿り着くか知れないのだ。勿論そういうものと予め承知してはいたものの、実際にこうした現象が起こってみるとさすがに身が引き締まる思いがする。いい加減なことは書けないぞ、と。