昨秋からずっとかかりきりだった野暮用がやっと一段落。これでようやく自分のための時間を取り戻せそうだ。さもないと生き永らえている意味がない。
一月中旬に夜鍋仕事で書いた松尾芭蕉についての小エッセイ(例の「旅するアート」の連載だ)の校正刷に手を入れ、一月末に必死でしたためたCDライナーノーツ(興が乗り5,200字も書いた)の初校にも朱筆を入れて戻してしまう。これでやりかけの原稿はすべて片がついた。
春から一年がかりでネット上に連載する話がいよいよ動き出しそうだ。最初の三回分は既存の論考を手直しすればいいのだが、そのあと難航するのが目に見えている。あちこち図書館に日参して、マイクロフィルムやマイクロフィッシュを吐気がするまで精査しないと書けない類いの論考なのである。首尾よくいけば2009年という年に相応しい連載になる、はず、なのだが。
何を好きこのんで呻吟するのか気が知れない、と傍らで家人が嗤うのだが、それでも成果が何がしかの形をとったときの嬉しさは何物にも代えがたい。
帰宅途中に西船橋駅構内の書店で、昨晩の「週刊ブックレビュー」お薦めの一冊を見つけた。
北原亞以子
父の戦地
新潮社
2008
車中で頁を繰り、たちまち惹き込まれる。このあと寝床のなかで続きを読むつもり。