疾うに十一月に米国から届いていたのだが、観る機会をぐずぐず一日延ばしにしているうちに年末になった。
なにしろ二十年来ずうっと夢に見続けてきたフィルム群なのである。一刻も早く観てみたいと気が逸る一方で、どうせなら心身ともに落ち着いた環境で、じっくり鑑賞しなければ、という思いも強くあった。
まだ風邪気味ではあるが、頭はすっきり冴えている。時間もたっぷりある。よし今だ、と心に決めて、DVD三枚組をおもむろに棚から取り出す。
"Ken Russell at the BBC"
Elgar (1962)
The Debussy Film: Impressions of the French Composer (1965)
Always on Sunday (1965)
Isadora: The Biggest Dancer in the World (1966)
Dante's Inferno (1967)
Song of Summer (1968)
all films directed by Ken Russell at the BBC
BBC Video (USA, 2008)
1987年「ぴあ・フィルムフェスティバル」でのケン・ラッセル回顧上映のおり、監督が60年代にBBCで撮った芸術家の伝記映画がいくつか上映された。『プロコフィエフ』『バルトーク』『エルガー』『イザドラ(・ダンカン)』そして『夏の歌(=ディーリアス)』の五本だったと記憶する。いずれもBBC・TVの教養番組「モニター Monitor」「オムニバス Omnibus」の時間枠で放映された作品である。
このときの回顧上映では、会場だった渋谷のパルコ劇場に日参し、固唾を呑んでスクリーンを凝視した。千載一遇、もう二度と観ることの叶わぬ作品群であるからだ。生身のケン・ラッセル監督とちょっとだけ話す機会を得たのもこのときだ。
最後の『夏の歌』はケン・ラッセルのBBC時代の掉尾を飾るのみならず、芸術家を題材にしたあらゆるバイオピック(伝記映画)中の白眉と呼ぶべき傑作となった。これと『エルガー』の二作については、その後わが国(ポニーキャニオン)でも英本国(bfi)でもヴィデオ/DVD化されたのだが、他にもいろいろ撮られたはずの伝記映画はまるきり顧みられる機会がなかった。まあそれも致し方あるまい。そもそもケン・ラッセル御大その人が忘却の淵に沈んでしまったのだから。
昨年の夏、英京のブリティッシュ・フィルム・インスティテュート(bfi)で大がかりなケン・ラッセル特集上映があり、BBC時代のTV映画もあらかたスクリーンにかかったことをあとで知って、それこそ地団駄を踏んで悔しがった。まあ事前にわかっていても行くことは叶わなかったろうが。だからもはや、彼の監督したドビュッシーやD・G・ロセッティやR・シュトラウスの映像にあいまみえる機会は二度と巡ってこないものと諦めていた矢先の、この三枚組DVDの登場である。嬉しい気持ちを通り越して、茫然自失の体なのである。
まずは未見のフィルムを製作順に観ていくことにしよう。
今夜は『ドビュッシー・フィルム』と『いつも日曜日』。もともと上司のヒュー・ウェルドンから「役者が演ずる伝記映画はご法度だぞ」と言いふくめられてきたケン・ラッセルが、禁を犯してエルガーの生涯を「無言劇」として作品化したのが1962年のこと。これが高い評価を得て、ラッセルはようやくドラマ仕立ての作品づくりを許されるようになる。これら二本はいずれもその三年後の作品。
ドビュッシー・フィルム
The Debussy Film: Impressions of the French Composer
82分、モノクロ
BBC「モニター」1965年5月18日放映
製作・監督/ケン・ラッセル
脚本/ケン・ラッセル、メルヴィン・ブラッグ
撮影/ケン・ウェストバリー、ジョン・マクグラシャン
出演/
オリヴァー・リード(ドビュッシー)
ヴラデク・シェイバル(監督/ピエール・ルイス)
アネット・ロバートソン(ギャビー)
アイザ・テラー(バルダック夫人)
ペニー・サーヴィス(リリー) ほか
物語はドビュッシーの恋愛遍歴、すなわちパトロンたるヴァニエ夫人、愛人ギャビー、最初の妻リリー、同性愛的な関係を匂わせる詩人ピエール・ルイス、そして富裕な再婚相手のエマ・バルダックとの錯綜した人間模様を描く。すでケン・ラッセルならではの露悪的なケレン味がそこここに籠められ、世紀末の毒もたっぷり。破天荒な演出意図がほうぼうに窺われ、この延長線上にやがて『恋人たちの曲 悲愴』が撮られるのを予感させずにおかない。
秀逸なのは、フィルム全体が「ドビュッシーの伝記映画を撮ろうとする撮影クルーの物語」をなすというアイディアだ。この枠組のなかで、物語は現代(1960年代のスウィンギング・ロンドン)と過去(アール・ヌーヴォーのパリ)を目まぐるしく往還する。すなわちオリヴァー・リードは「ドビュッシーの役作りに腐心する映画俳優」を演ずるのであり、監督役の俳優は劇中のピエール・ルイスをも兼ねる。
音楽に造詣の深い監督は、「牧神」「ペレアス」「海」のみならず、「聖セバスティアヌスの殉教」「玩具箱」はては未完のオペラ「アシャー家の崩壊」までも繰り出して、ドビュッシーのデカダンスを強く印象づける。
いつも日曜日 (アンリ・ルソー、日曜画家)
Always on Sunday (aka/ Henri Rousseau: Sunday Painter)
45 分、モノクロ
BBC「モニター」1965年6月29日放映
製作・監督/ケン・ラッセル
脚本/ケン・ラッセル、メルヴィン・ブラッグ
撮影/ジョン・マクグラシャン
ナレーション/オリヴァー・リード
出演/
ジェイムズ・ロイド(アンリ・ルソー)
アネット・ロバートソン(アルフレッド・ジャリ)
ブライアン・プリングル(ユビュ王)
ローランド・マクリード(アポリネール)
アイザ・テラー(ジョゼフィーヌ・ルソー) ほか
同時代のパリながら、こちらは一転して長閑な慎ましい年金生活者の平凡な日常だ。知られる限りのアンリ・ルソーの伝記的事実が織り込まれ、愚直なまでの画業への精進、周囲の無理解と嘲笑、パリの植物園で夢見られたジャングル、独立展への出品、短かった結婚生活、ジャリ、アポリネール、ピカソとの思い掛けない交流などが淡々と点綴される。このあたりの監督の話術の巧みさは大したもの。
本作の良さは、タイトルロールを演じたジェイムズ・ロイドの控え目な演技に負うところが大きい。ロイドは本職の役者ではなく、一介の素人画家だった。ルソーと同じくプリミティヴな作風の持ち主で、たまたま前年(1964)ラッセル監督のドキュメンタリー映画の被写体となり("The Dotty World of James Lloyd")、その縁で本作の主役に抜擢されたのだという。訥々として生真面目な起居振舞が、却って往時の日曜画家を彷彿とさせる。
ケン・ラッセルの屈託のない素直な一面が巧まずして出た愛すべき佳作。