昨晩に引き続き、まだ誕生日を祝っている。
特にこれといってイヴェントがあるわけぢゃないので、家人と近所のイタリア料理屋へ行き、赤ワインとランチコースを摂る。美味しかったが、アルコールが五体に廻ってほうぼうがだるくなる。帰宅して、校閲の続きに取り掛かろうとするが、どうもけだるさが残っている。
そうだ、バースデイ・コンサートの続きをやろうと思いつき、手近な棚からあれやこれやCDを取り出す。
"Bandes originales des films de Francois Truffaut:
Re´cits d'Apprentissage et d'Amour"
モーリス・ル・ルー: 『あこがれ』
バーナード・ハーマン: 『華氏451』
アントニオ・ヴィヴァルディ: 『野生の少年』
ジョルジュ・ドルリュー: 『アメリカの夜』
モーリス・ジョーベール: 『トリュフォーの思春期』
モーリス・ジョーベール: 『緑色の部屋』
ジョルジュ・ドルリュー: 『終電車』
オリジナル・サウンドトラック
Milan 887 975 (1995)
"Bandes originales des films de Francois Truffaut:
Les Passions Amoureuses"
ジョルジュ・ドルリュー: 『突然炎の如く』
ジョルジュ・ドルリュー: 『柔らかい肌』
ジョルジュ・ドルリュー: 『恋のエチュード』
モーリス・ジョーベール: 『アデルの恋の物語』
モーリス・ジョーベール: 『恋愛日記』
ジョルジュ・ドルリュー: 『隣の女』
オリジナル・サウンドトラック
Milan 887 974 (1995)
唐突にフランソワ・トリュフォー監督の映画音楽が聴きたくなったのは、昨晩バーナード・ハーマンのオペラ・アリアを耳にして、この不世出の映画音楽作曲家のことを久しぶりに想起したからだ。とはいえ、誕生日にヒッチコックやデ・パルマの心理スリラーのあれこれを偲ぶのはちょっと荷が重い。そう考えたら、ハーマンがトリュフォー作品に提供した音楽があったのを思い出し、棚から「トリュフォー映画音楽集成」五枚組アンソロジーを取り出したという次第。
トリュフォーゆかりの作曲家といえば誰しもジョルジュ・ドルリューの名を挙げるだろう。確かに多くの作品に楽曲を提供しており、「座付」作曲家といえばそのとおりなのだが、私見を述べさせてもらうなら、ドルリューは凡庸とまでは思わないが、いささか常套的で閃きに乏しい人だ。改めて聴いてみて、今日もその印象を深くした。
それを知ってか知らずか、トリュフォー自身も時と場合に応じて、ここぞという作品にドルリュー以外の作曲家を指名することがあった。そのひとりがバーナード・ハーマン、もうひとりがモーリス・ジョーベールなのであった。もっとも「指名する」といっても、ハーマンとは異なり、ジョーベールはとうの昔に故人となっていた。1940年、第二次世界大戦の緒戦で痛ましくも犠牲となったのだ。
モーリス・ジョーベール Maurice Jaubert(1900-1940)はニース生まれの作曲家。生地の音楽院で学んだあと、ソルボンヌで法律を修める。弁護士として世に出たあとアルジェリアに従軍。1922年に除隊後、作曲家としてたつことを決意した。1925年、自動ピアノで名高い Pleyela 社の音楽監督となり、無声映画に既存の音楽を当て填める仕事に就き、ルノワールの『ナナ』やグレミヨンの『マルドーヌ Maldone』に伴奏音楽を付けた。並行して劇場やキャバレーで上演用の付随音楽を作曲する仕事も請け負った。
折からトーキー映画の黎明期にあたっており、ジャン・パンルヴェ監督の短編映画に音楽を提供したのを手始めに、1930年代フランス映画の黄金時代を代表する作曲家としてめざましい業績を残す。彼がオリジナル音楽を提供した映画には
ルネ・クレール『巴里祭』1932
ジャン・ヴィゴ『操行ゼロ』1933
ジャン・ヴィゴ『アタラント号』1933
ルネ・クレール『最後の億万長者』1934
アナトール・リトヴァク『うたかたの恋』1936
ジュリアン・デュヴィヴィエ『舞踏会の手帖』1937
マルセル・カルネ『霧の波止場』1938
マルセル・カルネ『北ホテル』1938
ジュリアン・デュヴィヴィエ『旅路の果て』1938
マルセル・カルネ『日は昇る』1939
などがある。実に往年の仏蘭西映画の名作を総舐めにした感がある。
それにしても、批評家時代「フランス映画の墓堀人」と綽名され、その後も事あるごとに往時のフランス名画を罵倒し続けたトリュフォーが、ほかならぬその「良質な名作」の一翼を担った作曲家ジョーベールにいたく心惹かれ、自作の映画音楽を「作曲」させようとまで考えたのはどうしてなのだろう。
(後日につづく)