いつの間にか秋が深まった感があり、日中も半袖では寒く感じる。今日は朝からずっと上野で所用があり、帰宅したらもう夕方だ。
往還の車中では、図書館から借りてきた桑野隆の『バフチンと全体主義 20世紀ロシアの文化と権力』(東京大学出版会、2003)を読む。来週から大学でロシア文化について話すので、無知を曝け出さぬよう、難しい本を読んで理論武装しようという魂胆だ。こういう考え自体がおのれの浅知恵の現れであるのだが。
標題にもなった第1章「バフチンと全体主義」は、恐怖時代を生き延びたバフチンとスターリニズムの入り組んだ関係を論じたもの。とても歯が立たない内容だ。だが、これで怯んではならじと読み進むと、第3章「〈アヴァンギャルド・パラダイム〉は存在するのか」で、ボリス・グロイスの「ロシア・アヴァンギャルドは社会主義リアリズムの前哨である」論が俎上にあげられ、小気味よく論破されるのに快哉を叫ぶ。ここまで明快にグロイスの虚妄性を突いた文章は初めてだ。
さらに第5章「トロツキイ──芸術への過剰な期待」、第6章「カジミール・マレーヴィチ──生涯と作品」、第7章「マレーヴィチが予見したもの」、第8章「ロシア文化とシャガール」と続く四章は、おそらく本書の白眉であろう。文体もいつになく平易で明快、鮮やかなパースペクティヴのもと歴史の闇に強い光が照射される感があった。
帰宅後はちょっと息抜きにCDをかける。
グラズノーフ:
交響曲 第八番、「プーシキン生誕百年記念カンタータ」*、抒情詩
ワレリー・ポリャンスキー指揮 ロシア国立交響楽団、ロシア国立交響カペラ*
2002年8月、2000年4月13日、モスクワ音楽院大ホール
2000年2月29日、モスフィリム新スタジオ*
Chandos CHAN 9961 (2003)
グラズノーフ:
交響曲 第四番、第八番
尾高忠明指揮 BBCウェールズ国立管弦楽団
1997年4月27日、1998年1月15日、スウォンシー、ブラングウィン・ホール
BIS CD 1378 (2003)
偏愛するグラズノーフの第八交響曲なので、ちょっとやそっとの演奏では満足しない。どちらも丁寧な指揮ぶりが評価できるのだが、かつてのスヴェトラーノフ盤(とりわけモスクワ放送交響楽団との旧盤)のような楽曲への没入や熱っぽい昂揚感を決定的に欠いている。これは無いものねだりなのだろうか。
ポリャンスキー盤ではむしろ、初めて聴く「プーシキン」カンタータが素晴らしく充実した演奏。声楽入りの音楽となると、途端に意気込みが違ってくるのがいかにもこの指揮者らしい。
続けて尾高盤を聴くと、いささか分が悪い。オーケストラの音色が明るく、非ロシア的に過ぎるのだ。とはいえ、聴き進むにつれ違和感は薄れ、バランスのとれた綿密な指揮ぶりに聴き惚れてしまう。
"Van Cliburn in Moscow"
ラフマニノフ: パガニーニの主題による狂詩曲
ブラームス: ピアノ協奏曲 第二番*
ピアノ/ヴァン・クライバーン
キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1972年、モスクワ音楽院 (*=実況)
RCA Victor 09026-62695-2 (1994)
寡聞にしてクライバーンとコンドラシンにこのような共演記録があるのを知らなかった。1972年のモスクワ再訪時に行われたセッション録音と演奏会ライヴなのだという。どちらの曲もクライバーンには正規録音があり(それぞれオーマンディ、ライナー指揮)、ピアノ独奏に関してはさしたる変化も進展はみられないのだが、なんといってもコンドラシンの指揮が素晴らしいのだ。とりわけ、ブラームスでの悠揚迫らざる巨匠的な足どりはどうだ。再三共演を重ねたクライバーンとの息もピタリ合っている。ソ連国内でのみ流通していた録音といい、これが初CD化だそうだ。
(まだ書きかけ)