来週はもう十月。ということは丸一箇月間、水曜日ごとに近所の大学で授業を行わねばならない。そのことを考えるだけでいささか気が重い。
学生を相手に話をするのは大の苦手だ。年齢が親子ほど開いていて、容易にわかりあえそうにないし、そもそもモティヴェーションを欠いた者に何をどう語りかければいいのか。
担当するのは「人文科学の現在8 Comparative Cultural Studies」の一齣。自分でもなんのことかサッパリわからぬ。
【概要】
バレエ、ジャズ、絵本、映画、大衆小説などの多様なジャンルを、ロシアを中心としてヨーロッパ、日本、アメリカと比較しながら越境的に学ぶ。
「越境的に学ぶ」と。ふーむ、そういうことなのか。講師は三人いて、あとのお二方は十一月、十二月にそれぞれご登場。小生はだから、まあ「前座」ということだろう。
お誘い下さった鴻野わか菜さんは「好きなことを好きなように話せばいい」とおっしゃる。その言葉を真に受けた小生は、思いつくまま口から出任せに、シラバス(授業内容)用の標題をでっち上げた。昔は「シラバス」なんて言わなかったよなあ。
1) 奉職した美術館で出会った「奇妙なマレーヴィチ」
2) バレエ・リュスに惚れ込んだ日本人がいた
3) ショスタコーヴィチはジャズに夢中
4) 一冊百円でみつけたロシア絵本
5) 浴衣姿でくつろぐプロコフィエフ
当ブログの熱心な訪問者ならお気づきだろう、どれも小生の「得意ネタ」ばかり、それこそ「好きなことを好きなように」話そうという魂胆なのである。
でも学生は残酷なまでに正直だから、どんなに面白おかしく、熱っぽく語ったところで、最前列で平気で居眠りをする。これには自尊心が傷つく。
事前に原稿を準備することはしない。ぶっつけ本番で話す。レジュメや参考資料もなし。連中に親切は無用だ。
とはいえ、若干のスライドを映写する必要はあるので、今日はこれまでデジカメに撮り溜めた画像データを整理せねばならぬ。あれこれディスクに取り込み、セレクションと配列を考えていたら、あっという間に夕方になった。こんなことで間に合うのか。
その間もCDの続きを聴く。
タネーエフ: 十二の合唱曲 作品27
トニュ・カリュステ指揮 オランダ室内合唱団
1999年5月、アムステルダム
Globe GLO 5197 (2001)
セルゲイ・タネーエフ(1856-1915)はチャイコフスキーの愛弟子でスクリャービンの師匠。なんとなく敬遠してきた作曲家だが、エストニア随一の合唱指揮者カリュステが振っているので興味を惹かれた。聴いてみると、これが美しさの極み。神秘的な趣の濃いヤコフ・ポロンスキーの詩に付曲したせいか、ほとんど宗教合唱曲のよう。
ヤナーチェク:
左手ピアノと室内合奏のためのカプリッチョ、わらべうた、青春、ピアノと室内合奏のための小協奏曲
ジュリアス・ルーデル指揮 キャラモア音楽祭管弦楽団
1966年頃
Phoenix PHCD 109 (1989)
鍾愛の合唱付き室内楽曲集「わらべうた Rikadla」が、"Nursery Rhymes" として珍しくも英語で歌われていた。ブックレットに原作のヨゼフ・ラダの挿絵が載っているのが嬉しい。「キャラモア国際音楽祭」はNYの北方カトナという街で毎夏に催され、セント・ルークス管弦楽団を擁するという。本アルバムのアンサンブルは小編成だが、フルートをクロード・モントゥーが吹いている。
"
Claude Debussy: The Complete Piano Music, vol. IV"
ドビュッシー:
バラード、マズルカ、夜想曲、ロマンティックな円舞曲
《ドビュッシーの墓》 より
バルトーク: 即興 第七番
デュカ: 遠く聞こゆる牧神の嘆き
ファリャ: 讃歌
フローラン・シュミット: そしてパンは月明かりの麦畑で腹這いになる
ドビュッシー:
版画、前奏曲集 第一集
ピアノ/ベネット・ラーナー
2007年4月11, 12, 14日、ニューヨーク州立パーチェス大学舞台芸術センター
Bridge 9274A/B (2007)
目下いちばん新しい「ドビュッシー・ピアノ曲全集」。CD六枚のうちの二枚がこれ。ボーナス・トラックとして追悼曲集「ドビュッシーのトンボー」の抜粋が収められているのが面白い趣向。クールで潤いに乏しい音色だが、これはこれで悪くない演奏。
モーツァルト: ヴァイオリン協奏曲 第三番*、メヌエット*〜ハフナー・セレナード より
ブラームス(ヨアヒム編): ハンガリー舞曲 第八番**
ドルドラ: 思い出***
ヴァイオリン/イェリー・ダラーニ
スタンリー・チャプル指揮 イオリアン管弦楽団*
ピアノ/C・フォン・ボス**、A・ベルグ***
1925年*、1928年**、1920s***
Richthofen RICHT-88001 (2008)
盛大にSPの針音の嵐が襲いかかり、その彼方で辛うじてか細いヴァイオリンが聴こえる。管弦楽伴奏はほとんど聴取不能。モーツァルトのこの協奏曲の世界初録音だというのだから、まあ致し方ない。にもかかわらずダラーニの芸風はある程度わかるのだから、録音って実に不思議だ。