「電話機を用意しておいて下さい、それもできれば旧式の、黒い色をしたのを」
「部屋の壁にはコーネルのパネルがあればいい。自宅の庭に椅子を出して坐っている写真があったでしょう。あれを掲げておいてほしい」
高橋睦郎さんからの註文はこのふたつだけだった。
1992年秋から鎌倉、大津、倉敷の美術館を巡回した「ジョゼフ・コーネル展」は、翌年春いよいよ最終会場である川村記念美術館にやってきた。
有終の美を飾るべく、展示デザインから広報印刷物に至るまでわれわれは工夫を凝らした。関連イヴェントとして、コーネルが製作した短篇映画の大半を16ミリ上映したのに加え、ゆかりの識者を招いて連続講演会を催すことにした。
そのひとりとして詩人の高橋睦郎さんを推薦したのは、神奈川県立近代美術館の太田泰人さんだったと思う。コーネル展が鎌倉でスタートした際、展示室に高橋さんの姿を見かけたという。ひとつひとつの箱を時間をかけてじっくり凝視されていた、きっとコーネルがお好きなのだと思う、と告げられた。
さっそく同僚が神奈川の高橋邸を訪れた。講演そのものは快諾して下さったのだが、肝腎の講演料が折り合わない。われわれが用意できる金額と、高橋さんが提示された額とでは桁がひとつ違っていたのである。とてもお支払いできない、無理ではないか、と諦めかけたのだが、同僚はどこをどう説得したのか、結局「それでやりましょう」と、当方の条件を呑んで下さった。
こんな打ち明け話をするのは、高橋さんを恨んでいるからでは断じてない。その反対なのだ。われわれは提示された金額を無条件でお支払いすべきだったのである。講演にはそれだけの価値があった、否、それどころか、どんな謝礼も及びもつかぬ、空前絶後の素晴らしさだったからだ。
(と、ここまで書いて寝てしまったので、続きは明日)