朝起きたら、吹く風が肌にひやりと冷たい。久しぶりの感触だ。昼間の日向は夏の暑さなのだが、夕方にはめっきり涼しくなり、しかも日が暮れるのが目に見えて早くなった。
"The days grow short" という言い回しがある。言わずと知れたクルト・ワイルの名曲『セプテンバー・ソング』の一節だ。
Oh, it's a long, long time from May to December
But the days grow short when you reach September
When the autumn weather turns the leaves to flame
One hasn't got time for the waiting game
Oh, the days dwindle down to a precious few
September, November and these few precious days
I'll spend with you these precious days I'll spend with you
おお、五月から十二月までは長い、長い月日
だが九月ともなれば、昼がめっきり短くなって
秋風が木々の葉を色づかせると
もはや無為に過ごしている暇はない
おお、日々は短く、残り少ない
九月、十一月、貴重な日々もうあと僅か
さあ君と過ごそう、このかけがえない日々を、君とふたりで
下手な拙訳で申し訳ないが、ざっとこんな歌詞。もともとは忘れられた時代劇ミュージカル『ニッカボッカ・ホリデイ』(1938)の挿入歌だったが、1950年の映画『旅愁』の主題歌として効果的に用いられて人口に膾炙した。いずれも名優ウォルター・ヒューストンの渋い声で歌われ、「人生の秋」の憂愁をしみじみと実感させた。作詞は劇作家マックスウェル・アンダソン。
昔はじめて耳にしたときは大甘のセンチメンタリズムと感じられたのだが、初老と呼ばれるこの歳になると "The days grow short" の歌詞の切実さが痛いほど伝わってくる。「もはや無為に過ごしている暇はない」のだ。
そんなわけで、今日は残り少ない貴重な半日を、原稿の校閲をめぐる長時間の検討会に費やした。恵比寿のヤングトゥリープレスの編集者・岸本さんは、われわれの煩雑な作業に辛抱強くつきあって下さった。
草臥れて夜遅く帰宅すると、『日本とユーラシア』紙の最新号が届いていた。
八月に大急ぎで書いた拙稿「90年後によみがえるプロコフィエフの日本滞在」の掲載紙である。自分自身が「小生」として頻出する文章はできるだけ書きたくないし、自慢話ととられるのを何よりも懼れる。ちょっと冷静には読めないでいる。
さあ、これからいよいよ執筆中の原稿のフィニッシュに入る。上手に締めくくれるといいのだが。