五時半に目が醒めてしまう。
いよいよ倫敦最後の日になってしまった。
それなのに昨日を上回るひどい雨。hard rain fallin' という奴だ。おまけに風が強い。折角のバンク・ホリデイがこれでは台無しだ。
起き出すのも億劫だが、そうも言ってはいられない。カフェで最後のイングリッシュ・ブレックファスト。ここでこれを食することは二度とあるまいと、心して味わう。
ちょっと出かけるのも躊躇われる天候だが、そろそろ時間だ。十時過ぎに出発。近くの停留所から路線バスでオールドウィッチへ。そこから雨のなかをコヴェントガーデンまで歩く。考えてみたら、ここで時間を潰す術もないと気づき、更にとぼとぼとトラファルガー広場へ。これまた「見納め」気分で、ナショナル・ギャラリーへ。14、15世紀のイタリア絵画をじっくり眺める。ロレンツォ・モナコ、サッセッタ、ピサネッロ、マザッチョ、ウッチェッロ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ペッセリーノ、ポライウオーロ、クリヴェッリ、マンテーニャ、アントネッロ・ダ・メッシーナ、ジョヴァンニ・ベッリーニ。この辺りまでにしておこう、観始めるとキリが無いから。トイレに立ち寄り、いざさらば。
午後一時、コヴェントガーデンに戻る。雨は止みそうもない。これからのロイヤル・オペラ・ハウスでのマティネ興行がいよいよ倫敦最後の観劇となる。座席は前から二列目の中央。心して臨もうと早々と着席し、パンフレット冊子を求め熟読。ここにもデイヴィッド・ニース氏が執筆。
13:30- Royal Opera House
ロイヤル・バレエ公演
プロコフィエフ:
ロミオとジュリエット
振付: ケネス・マクミラン
美術: ニコラス・ジョージアディス
ボリス・グルージン指揮 ロイヤル・バレエ・シンフォニア
出演: マリアネラ・ヌニェス(ジュリエット)、ティアゴ・ソアレス(ロミオ) ほか
バレトマニアならざる小生でも、さすがにこのバレエの音楽は熟知している。高校時代、エーリヒ・ラインスドルフ指揮の抜粋録音をラジオで聴いたのを皮切りに、組曲版(後述するように細部がかなり異なる)にもカレル・アンチェルのLPやらムラヴィンスキーの実演やらで親しんだ。有名なウラーノワ(初演時のジュリエット)出演のバレエ映画(ロジェストヴェンスキー指揮)もつぶさに観た。
そういえば1975年だったか、ボリショイ・バレエの来日公演で実演にも接している。ところがそのボリショイ版の『ロミオとジュリエット』が観るに堪えない代物だったのだ。おおかた初演時のラヴロフスキー演出(のなれの果て?)だったのだろうが、これぞ「社会主義リアリズム」なのだ、と言わんばかりに、これ見よがしに「リアルな」表現が頻出し、説明的なパントマイム風の振付に終始した。最高の技術が最低の表現と不幸にも結びついてしまったのだ。
もう細部はあらかた忘れてしまったが、決闘に続く「ティボルトの死」で、キャピュレット家の郎党が大袈裟な仕草で悲嘆に暮れる場面が実にもう噴飯ものだったのを忘れない。これはプロコフィエフの音楽に対する裏切りだ、と同行した友人と悲憤慷慨したのを憶えている。
以来、このバレエはなんとなく敬遠して観なくなった。プロコフィエフの音楽の天才的な閃きは疑うべくもないが、全幕を通して視聴するのはしんどいし、少なからず退屈だ。
今回の倫敦訪問の本来の目的は十九日のノエル先生のコンサートで尽きているのだが、「せっかくプロコフィエフに導かれてやって来たのだから、最後は彼の音楽で締め括りたい」という気持ちから、このロイヤル・バレエ公演を観てから帰国することに変更した。新演出でもなんでもなく、定評あるケネス・マクミラン振付版の再演に過ぎないレパートリー上演ではあるが、プロコフィエフの存在をかくも身近に感じている今、ぜひとも「ロミオとジュリエット」を目の当たりにしたかった。
田舎のマエストロ然としたロシアの老指揮者が登場、ようやく幕が上がった。
それからの三時間(二回の休憩を除くと正味二時間)をなんと形容したらよかろうか。
プロコフィエフの音楽がいかに舞台に則して書かれているか。いかに登場人物のキャラクターや各場面のアトモスフィアを巧みに活写しているか、それを目の当たりにする体験だった。聴き慣れた「組曲版」はあちこちの音楽を取捨選択し、ストーリーからは独立した曲順に再編されているので、こうして物語に沿ってオリジナルの音楽を聴いてみると、「へえ」や「あれれ」という驚きが随所にある。全曲版と組曲はあくまで別物だったのだ(初演は組曲のほうが先になった)。
マクミランの振付はいたって妥当なもの。四十年経っても古臭さを感じさせないし、初演時とあまり変わらないとおぼしきジョージアディスの装置も、適度に中世ヴェローナの面影を宿して渋く美しい。
とにかく人物の動きがダイナミック、しかも音楽とぴったり軌を一にしている。躍動感に溢れていて鮮烈そのものだ。第一幕の剣術場面の小気よい躍動感といったらない。一方で、若いカップルのデュエットは甘ったるくなり過ぎず、フレッシュな爽やかさが好もしい。
第二幕の決闘とそれに続く「ティボルトの死」でも、過度に大仰な身振り手振りは避けられ、これまた音楽の簡潔さとよくマッチしていた。ボリショイ版の愚直なリアリズムとは明らかに違う。修道僧ロレンツォや乳母といった「踊らない」パントマイム役が目立ちすぎぬよう配慮しているのも賢明だ。
終幕のデュエットもそれなりに美しくはあるのだが、なんといっても主役のふたりが死んでしまうので、バレエの結末としてはどうにも物足りないのは事実。プロコフィエフの音楽は真に偉大なのだが、ダンスが表現できるところが余りに少ないのだ。原案作者ラードロフがいみじくも喝破したように、「死んだ人間は踊れない」のだ。
こうなると、プロコフィエフ=ラードロフが当初考えていた「ふたりが死なず、生き返って愛のデュエットを踊る」ハッピーエンドの幕切れも観てみたくなる。いつの日か、ここの舞台でそうした新演出を観る機会が訪れるだろうか。そう願いたいものだ。
とはいうものの、今日の舞台はあらゆる意味で、三十数年前に東京で観たボリショイ=ラヴロフスキー振付版を遙かに凌駕していた。さすがに時の試練に耐えているマクミラン演出だけのことはある。
惜しむらくは指揮者のリズムの重たさ、オーケストラの反応の鈍さだろう。まあ、これはロジェストヴェンスキーや小澤やゲルギエフのディスクと比較してしまう当方の耳がいけないのだろう。
瞬く間に、と言いたいほど三時間が短く感じられた。盛大なカーテンコールを見届けて表に出る。終わった、これですべて終わった。倫敦での演目を悉く鑑賞し終えた。プロコフィエフで始まり(ここロイヤル・バレエ団の新作『ラッシズ Rushes』)、今日のプロコフィエフで締め括られた十八日間。悔いがないわけではないが、これで文句を言ったらばバチがあたる。
四時半きっかりに歌劇場正面に出る。外はまだ冷雨が降り止まない。うそ寒い荒天なので、どこか屋根の下に逃れたいのだが、そうはいかない。今日はこの場所で、ウィーンから来る親友のBoe 君と落ち合うことになっている。
十分、二十分、三十分。一向に現れる気配がない。四十五分、五十分。だんだん不安になってくる。もしや飛行機が遅れたのではなかろうか。それだったら、グリニッジのホテルに伝言が入っているかもしれない。一度ホテルに戻ろうか。
とうとう五時半になった。一時間待って相手が来なかったら、もう待たないという、昔からの仲間うちの不文律に従い、劇場をあとにする。念のため、反対側のコヴェントガーデンの市場側の入口もチェックしておこうと建物をぐるり回り込むと、なんとしたことか、そこにBoe の姿があるではないか!
嬉しさの余り、思わず雨のなかを小走りに駆け出し、人目を憚らず(?)日本人同士でハグを交わす。やはりウィーン発ヒースロー着のフライトが遅れに遅れたのだという。そこでホテルには寄らず直接コヴェントガーデンまで直行し、十五分ほど待ったところだという。こちら側は歌劇場正面じゃないぞ、というと、ここでオペラを観たことがないという。そりゃそうだろう、オペラの本場に棲んでいるのだもの、旅先ではわざわざ観ないよね。
何はともあれホテルで旅装を解かねばならぬ。重たいトランクを転がしてまた地下鉄でというのも難儀なので、奮発してタクシーに乗る。車中で互いの近況報告。彼はTV番組の編集で倫敦へ来たのだが、今日は移動日で仕事はなし。そこで一緒に呑み食いしようという段取りなのだ。十数分ほどでハイドパーク脇のナイツブリッジ着。界隈には大小のホテルが無数にあり、今回のB & B もネットで探し当てたのだという。小ぢんまりした感じのよいホテルだ(実はそうでないことが後日わかるのだが)。
ロビーで待つこと十五分。すっきり軽装になって出てきた Boe 君と地下鉄でボンド・ストリートへ。ここから少し入ったところにお気に入りのレストランがあるという。お任せしよう、倫敦最後の夜を旧友と過ごす、復楽しからずや。
この界隈は何度もふらついたから勝手がわかっている。率先して歩き、「ここはジミヘンの旧宅、隣りはヘンデルの旧宅だヨ」などと吹聴。いっぱしの倫敦通であるところを見せつける。
所在地はうろ覚えとかで少し迷った末に辿り着いたのは、なんと日本食のレストラン! そりゃないだろう、倫敦最後の晩餐が日本食だなんて! そう不満を漏らしてみるが、Boe 君は意に介さず、「もう予約してあるから」の一点張り。致し方ない、ご相伴に与かるとしよう。
その Sakura という店に入ると、われわれよりひと回り年上の日本人女性が待っていた。Boe 君のミクシィ仲間で KOKO さんだという。この方のことは彼女自身の書き込みからもなんとなく知っている。もう何十年も倫敦に在住している大姐御なのである。
そのあとは焼酎を飲み交わしながら、焼き魚や刺身や餃子を食した。別段おかしなところはなく、ごくフツーの味だったが、なんだかここが倫敦じゃないような妙な気分。まあ、いいのだけれど。
たらふく飲み食いしつつ、それぞれが自己紹介風の身の上話。KOKO さんと初対面なのは Boe 君にしても同じなのだけれど、ミクシィを介しての「お仲間」なので、すぐにうち解けて談論風発、話題の途切れることがない。
四十年間に及ぶ KOKO さんの波乱万丈の人生行路に圧倒される。英語もできないのにいきなり倫敦で生活を始め、さまざまな有為転変を経て今日の安定に到る。これに較べれば、小生の身の上話はいささかスケールが小さすぎたかな。
気がつくと、もう十一時近い。いつの日かの再会を約して、三人の日本人は地下鉄でそれぞれの家路を急いだ。
結局、雨は最後まで降り止まなかった。