今日も六時きっかりに起床。目覚まし時計が鳴る前に目が覚めてしまうのだ。よほど眠りが浅いのだろうか。
19日(月)のコンサートのあと、ノエル先生から「木曜にもう一度お会いしましょう。時刻はこちらから連絡するから」と告げられていたのだが、それからなんの音沙汰もない。ホテルのフロントに再三「何か伝言が入っていないか?」と昨日も一昨日も尋ねたのだが、"Nothing at all." との返事が返ってくるばかり。一体全体どうなってしまったのだろう。
今日もまずまずの好天なので、朝の散歩に出たいのだが、先生から電話があるかも知れないと思うと、部屋を空けるわけにもいかない。七時になり、七時半になり、八時になっても全く連絡は来ない。仕方がないので、フロントに「電話がかかってきたら、隣のカフェに居るから」と断りを入れて、朝食を摂りに出た。どうも気が気ではなく、早々に切り上げて部屋に戻る(いつもは新聞など広げて一時間ほど居座るのだが)。
九時…。九時半…。なんの連絡も入らない。
ついに十時になってしまった。このままずっと部屋で待ち続けるわけにもいかぬ。思い余って、「プロコフィエフ・アーカイヴ」のフィオナ嬢に電話してみた。十時なら出勤しているはずだ。どのみち、今日は雑誌購入の代金を支払いにアーカイヴまで行く用事があり、その時刻をフィックスせねばならない。
電話に出たフィオナ嬢は怪訝そうにこう語った。
「昨日ノエルと話したとき、『明日、ヌマベと二時にアーカイヴで逢うことになったのよ』と言ってらしたわよ。『ホテルに伝言を頼んだから大丈夫』だと」
ええっ? ホテルに伝言を頼んだって? そ、そんなバカな! 小生が「聞いていないのだけれど」というと、
「なんでもご自身でホテルのレセプションまで出向いて、係りの人に直接言伝てを頼んだという話よ」とのこと。
いきさつはどうであれ、お目にかかれることになったので一安心。一時過ぎにアーカイヴを訪れ、支払いなどの用事を済ませてから、二時にノエル先生とお会いするという段取りを取り決めて受話器を置いた。
それにしても、ひどいホテルだなあ! 伝言を承っておきながら、そのまま放置してしまうのはあんまりだ。
不愉快なのでこれまで書かなかったけれど、この「ホテル・イビス(アイビス)・グリニッジ Hotel Ibis Greenwich」のサーヴィスの悪さにはずっと憤っていた。ランドリーが出来上がっても、こちらが催促しない限り、届けもしないし、連絡もしてこない。部屋のシーツの取り替えも滞りがちで、黙っていると何日でも同じままだ。家人の話だと、ホテルに国際電話しても誰も出ないことが何度かあったという。
それでいて、数日ごとに宿泊費の催促の封筒だけはしっかり部屋に届けられる。
今度のことはさすがに悪質なので、フロントに抗議してみたが、「そんなはずはない」の一点張り。暖簾に腕押しで、すごすご引き下がるほかなかった。
気を取り直して十一時にホテルを出発。今夜はオペラを観るので、鞄にオペラグラスを放り込んだ。今日はバスではなくDLRと徒歩でゴールドスミスへ。
ひとまず大学本館のカフェテラスで珈琲を飲む。ここで昼食を、とも考えたがメニューが貧弱なので、先日と同様、学外へ出て図書館向かいのタイ・レストランでムール貝とグリーンカレーを食する。
午後一番でフィオナさんにお会いして、"Three Oranges" 三十冊分と定期講読二年分の代金を支払う。16日の調査でコピーを請求した分が仕上がったので、その代金も支払うと、さすがに懐具合が寂しくなる。
二時ちょうどにノエル先生が到着。「火曜日の昼間、ホテルのレセプションの女性に直接、伝言を頼んでおいたのよ。伝わっていなかったのね!」と驚かれたご様子。アーカイヴの閲覧室では話し声が他の研究者の邪魔になるので、先ほどの本館のカフェに移動する。
先生にはロシア音楽との出逢いについてうかがってみた。十六歳の頃、まだフランスに住んでいた時分に、ラジオでたまたまロシア歌曲(大衆歌謡)を耳にし、その言葉の響きの美しさに惹きつけられたのが最初なのだという。今のご専門のロシア正教の音楽と出遭うのはずっとのちのことだが、「最初に遭遇したロシア音楽が声楽だったんですね」と言うと、深く頷かれた。
小生のほうからは、高校の頃にプロコフィエフやショスタコーヴィチに魅せられ、とりわけ後者の交響曲の十四番と十五番、チェロ協奏曲第二番の日本初演が忘れがたいこと、プロコフィエフではムラヴィンスキー来日時の「ロミオとジュリエット」第二組曲と第六交響曲の実演の印象が強烈だったことをお話しした。
1972年にロジェストヴェンスキーが来日してショスタコーヴィチの十五番を初演したとき、舞台裏で小生は同行した無名の若い副指揮者とたまたま出くわし、そのとき彼が「次に来るときは十六番目と十七番目の交響曲を持ってくるからね!」と豪語していたのを今でもよく憶えている、その副指揮者の名前はたしか「ネーメ・ヤルヴィ」だった、という話をしたら、えらく受けてしまった。
あれやこれやで約束の四十五分がアッと言う間に過ぎ、先生は風のように去っていった。
今宵はオペラ見物なのでそろそろ街へ出ようと図書館前のバス停まで来たが、鞄がひどく重たく感じられる。それもその筈、購入した "Three Oranges" のうち十冊分を持参してきたからだ(あとの二十冊は郵送をお願いした)。まだ時間があるのでいったんホテルに戻って、身軽になってから出直すことにした。
再度ホテルを出発したのが四時近かった。DLRと地下鉄を乗り継いでチャリングクロスへ。ポンドの持ちあわせが底をついたので近くの両替所で五万円分を換金する。
オペラまではまだ時間があるので、ナショナル・ポートレート・ギャラリーを再訪し、前回に引き続き、ショップの「オン・デマンド・プリント」でジャクリーヌ・デュ・プレの紙焼きを四枚ほど注文。少し時間がかかるというので、開催中の展覧会「ヴァニティ・フェアの肖像写真」を鑑賞。バーナード・ショー、ジョイス、コクトーら戦前の著名人士の肖像写真にしばし見惚れる。写真の質も高いが、被写体がそもそもいい顔をしているのだ。カタログが欲しかったけれど、大冊なので口惜しいが断念。代わりに地下のブックショップで "Among the Bohemians" という面白そうなペンギンブックスを買う。これなら荷物になるまい。
先程のショップで仕上がったデュ・プレの写真プリントを受け取り、通りを渡って向かいのセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会のクリプトで早めの夕食。ワインにキッシュとサラダ、それに「アップル・クランブルのカスタードがけ」というデザート。これでけっこう満腹。
ゆっくりコヴェントガーデンまで歩くと、そろそろ七時。ロイヤル・オペラの開場時刻である。まずはプログラム冊子を購入。粗筋を読むが、複雑でなかなか頭に入らない。
(まだ書きかけ)