昨日は梅田君との会話で救われた気がする。異郷で思いがけず窮地に陥り、すっかり落ち込んでいたものだから、旧友が神か仏のようにありがたく思われた。
倫敦へやって来てちょうど一週間。小雨がそぼ降るうすら寒い朝だ。
朝食後、ふと思い立って、千葉の自宅に国際電話を入れてみる。
家人にここ数日の出来事をかいつまんで報告すると、「そんなに怒ってばかりいないで、せいぜい倫敦を愉しんでいらっしゃい」とのご宣託。全く以ってそのとおりだ。ひとりで苛立ってみてもなんの解決にもならないのだ。
今夜はいよいよヴァネッサ・レッドグレーヴの一人芝居だ。始まりは夜の八時だから、それまでの時間をどう過ごそうか。ベッドに寝転んで、『タイム・アウト』と首っ引きで昼の予定をあれこれ思案する。
サウスバンク界隈の音楽会場やウィグモア、カドガンといった著名なホールにばかり足を運んでいては、倫敦音楽界の頂点のごく一部しか体験できないのではないか。『タイム・アウト』誌にはほうぼうの教会堂で毎日のように催される無料コンサートも掲載されているので、折角の長逗留なのだから、それらもこまめに聴いてみよう。そういう欲張った気持ちが沸いてきた。
で、今日はどこにしよう。St. Mary le Bow という教会堂で一時からランチタイム・コンサートがある。プロコフィエフのフルート・ソナタ(有名なヴァイオリン・ソナタ第二番の原曲)を演るらしいので、これに出掛けてみるのも一興だ。最寄りの駅は地下鉄/ DLRのバンク駅とある。時計をみるともう十一時近い。鞄にオペラグラスを放り込んで、いざ出発だ。そのうちきっと雨も降りやむだろう。
最寄りのカティサーク/マリタイム・グリニッジ駅からDLRで終点まで。初めて降りたつバンク駅なので右も左もわからなかったが、幸い懇切な周辺地図が備え付けてあるので、教会までの道筋はすぐに判明。傘をさして大通りをそちら方向へずんずん歩く。左方に白亜の建物が見えたと思ったら、それがセント・メアリー・ル・ボウだった。
1080年創建という由緒あるこの教会堂は、17世紀のロンドン大火で消滅後、クリストファー・レンの設計で再建された。第二次大戦中にドイツ軍の空襲で全壊し、今の建物は1964年に復興されたものだという(同教会パンフより)。どうりで綺麗な建物だと思った。
開演まで一時間近くあるので、係りの方のお勧めに従って地下のクリプトにある小ぢんまりしたカフェ・レストランで昼食を摂ることにする。けっこう美味しいサンドウィッチと珈琲で腹拵えしていると、続々と人が入ってくる。どうやら近隣のオフィスで働く会社員たちがここで昼を過ごす習わしらしい。みるみるうちにレジに長蛇の列ができてしまう。
一時近くなったので、地上に戻り、教会堂内に席を確保する。もっとも聴衆は小生を含めて二十人程度。多くは演奏家の個人的な友人であるらしい。
13:05- St. Mary le Bow
ランチタイム・コンサート
フルート/Charlotte Byrne
ピアノ/Daniel Griffin
ドビュッシー: シュリンクス
ウジェーヌ・ボザ: アリア
サン=サーンス: ロマンス
フルート/Rebecca Sparkes
ピアノ/Annette Miller
プロコフィエフ: フルート・ソナタ司会のお坊さんの挨拶に続き、コンサート開始。初々しいが硬く、ほうぼうに破綻のある、いかにも学生らしい演奏だ。後半のプロコフィエフは歌心に乏しい凡演に終始し、一向に楽しめない。まだ曲が自分のものになっていない様子もありありだ。果たして彼女らはプロになれるのだろうか。
終わって外へ出ると、もう雨はほとんど上がった。空気が涼しく肌に快適なので、セント・ポール寺院の脇を抜け、そのまま闇雲に歩くと、テムズ川のノースバンク(北岸)に出た。テイト・モダンのちょうど対岸あたりだ。ふと思いついて、そのまま岸辺の遊歩道を西へ歩く。
ウォータールー橋まで歩くと、そのたもとに広壮な宮殿建築が聳えている。おお、そうだった、これこそサマセット・ハウス。英国随一の印象派コレクションを擁する「コートールド美術研究所」の所在地だ。これまですっかり失念していたのだが、倫敦に来てここを観ないという手はない。どうせ時間はたっぷりあるのだから、ちょっと覗いてみることにしよう。
まずは開催中の「劇場のルノワール Renoir at the Theatre」という展覧会。一部屋きりの小ぢんまりとした展示だが、粒揃いの内容。ここの所蔵作品「桟敷席」をフィーチャーし、欧米各地から関連作品を集め、同時代のフォラン、カサット、さらにはファッション・プレートの類いまで並べて、19世紀パリの「劇場文化」、社交場としての芝居小屋を検証する内容。かつて奉職していた美術館で「ルノワール展」(1999)を担当した際、出品交渉をしながら断られた作品が軒並み出ていて、今更のように口惜しい思いがした。カタログも充実しており、迷わず購入。
そのあとはここの「コートールド・コレクション」の常設展示をざっと眺める。マネの最高傑作「フォリー・ベルジェ—ルのバー」(これも舞台は劇場だ)、スーラの遺作「サーカス」と風景画の名品。どれも評する言葉とてなく、溜息をつくのみ。ここの圧巻はなんといってもゴーギャンのタヒチ時代の震撼すべき「ネヴァーモア」(
→これ)。この絵がフレデリック・ディーリアス旧蔵だったというから驚きだ。
ちょっと足が疲れたので、テムズを望む雨上がりのカフェテラスで一息つく。サラダと西瓜ジュース。四時を回ったので、ウォータールー橋を渡り、河岸を変えてサウスバンク側へ。
BFI(英国映画研究所)のブックショップに赴いて、先日このショップで注文しておいた月刊誌 "Sight & Sound" のバックナンバーを購入。昨年ここでケン・ラッセル特集があったときの記事が載っている。この上映を見逃したのは返す返すも悔やまれる。ついでに "Phallic Frenzy" という挑発的なタイトルの新しいケン・ラッセルのモノグラフも。
ロイヤル・フェスティヴァル・ホールが休館だというので、隣のクィーン・エリザベス・ホールのボックスオフィスで25日夜のロンドン・フィルの定期演奏会のチケットを購入。そのあとカフェでカプチーノを飲んで時間を潰す。
六時になったのでナショナル・シアターのロビーに赴くと、これからジャズのライヴがあるという。
芝居が始まるのは八時なので、ゆっくりしよう。ここには音楽と酒があり、鞄には本がある。早速バーでジンを注文。トリオの演奏を聴きながら、さっき手にしたケン・ラッセル本にざっと目を通す。禍々しいタイトルだが、中味は至極まっとうな評伝=研究書。
七時半開場。ここには「オリヴィエ」「リトルトン」「コッツロウ」の三つの劇場がある。今日は「リトルトン」。ここでは昔、クルト・ワイルのミュージカル「暗闇の女」の英国初演を観たことがある。
座席は二階の正面少し左寄りの最前列。リターン・チケットでこんな良い席が手に入るとは幸運だ。すでに読了した台本をパラパラしていたら、隣席の若い女性から話しかけられる。「あなたもリターン・チケットでしょう?」と。「そうなんです、月曜に窓口に出向いたら、たまたまキャンセルが二枚あって…」「私も月曜の朝。われわれふたりは extremely lucky よ」「ほんとですね! 東京からやって来て、偶然ヴァネッサ・レッドグレーヴの一人芝居に遭遇しました。彼女はボクの古くからのアイドルなので、心がときめきます」「私も彼女の舞台は初めて」…とまあ、こんな遣り取りがあったとご想像あれ。
小生がヴァネッサ・レッドグレーヴの生の舞台に接するのは、2000年初夏のグローブ座での『テンペスト』以来。そのとき彼女は(なんと!)プロスペロー老人を演じたのだ。
『ザ・イヤー・オヴ・マジカル・シンキング(呪術思考の年)』は、ハリウッドでシナリオ・ライターとして活躍したのち女性作家として一家をなしたジョーン・ディディオンの自伝的戯曲。同題のベストセラー小説が下敷きになっている。昨年三月、ブロードウェイで初演され、今日と同じヴァネッサ・レッドグレーヴの迫真の演技が評判になった。トニー賞にもノミネートされたという。今回の英国初演は四月三十日というから、まだ二週間経ったばかり。満員札止めなのも当然だ。
台本を予習したので、内容はすっかり頭に入っている。とにかく、途方もなく辛い出来事の連続なのだ。読んでいると滅入ってくる。今の小生の混乱した精神状態には悪影響を及ぼしかねない。
冒頭、マンハッタンのアパートメントでの一見平穏そうな晩が描写される。時は八時頃、「私たち」、すなわち「私」と夫は、いつものように暖炉に火を点け、炎の傍らでグラスに酒を注ぐ。
ところがそのとき予期せぬ異変が起こる。夫が発作を起こしたのだ。
一人語りが進むうち、次第に事態が明かされる。そもそも「私たち」の愛娘が重病で入院し、生死の境をさまよっている。その看病のさなかに、元気だった夫がなんの前触れもなく倒れたのだからたまらない。救急車。応急処置。緊急転院。そして死。…
「マジカル・シンキング」とは、追い詰められた心理状況のなか、不合理な理屈に取り縋り、それを信じようとする非理性的(呪術的)な思考を指す専門用語らしい。
八時。客席の照明が落とされ、舞台が点灯すると、そこには椅子に坐った白髪のヴァネッサがただひとり。絶対の静寂。息をひそめる満場の観客。
20:00- Lyttelton Theatre, National Theatre
ザ・イヤー・オヴ・マジカル・シンキング(呪術思考の年)
The Year of Magical Thinking
台本/ジョーン・ディディオン Joan Didion
演出/デイヴィッド・ヘア David Hare
出演/ヴァネッサ・レッドグレーヴ Vanessa Redgrave彼女のくっきりとした輪郭の声が淡々と語り出す。
それが起こったのは2003年12月30日のこと。ずいぶん経ったようだけど、もしもあなたの身に起こったなら、そうは思えないはずだ。
そしてそれはいつかあなたにも起こる。細かいところは違っていても、きっとあなたにも起こる。
私がここでこれから話すのはそのことだ。それからの一時間半、ヴァネッサはざっくりした白服をまとい、背筋をピンと伸ばして椅子に坐したまま、ひたすらに語り続けた。底知れず悲痛な出来事の連続を、さも、それらが日常の些事ででもあるかのように。一枚だけ、ネット上の画像をご覧いただこうか(
→これ)。
当夜、興奮のなかで書き留めたメモをそのまま引こう。
ヴァネッサはつくづく凄い女優だ。こんなにも辛い話なのに、それをさも世間話のように、打ち解けて話す。淡々と、あるがままに、ユーモアすらこめて。まるでじかに、ふたりきりで向き合っているかのよう。一生に何度あるかわからない、素晴らしい体験だった!彼女の独白は驚くほどにナチュラル。かけがえのないふたりの肉親の相次ぐ死が語られ、思い出すままに幸福だった日々が追憶される。その語り口には徒らに悲壮ぶったり、深刻がったりするような気配は微塵もない。堪えがたい極限状況を、さも日常的な体験ように淡々と物語るばかりだ。「それは誰の身にも起こることなのよ」と。
オペラグラスで覗くと、ヴァネッサは実に余裕綽々、完全にリラックスしている。そうとしか見えないのだ。にもかかわらず、周囲に発散される存在感は圧倒的。
何より凄いと思ったのは、息を呑んで注視するうち、周囲の劇場空間も観客たちもいつしか消え失せ、正面を向いて語り続けるヴァネッサと、客席に居る自分ただひとりが面と向かって、至近距離でじかに打ち明け話を聞いている気がしてきた。なんとも凄まじい芸の力だ。
すべてを語り終え、暗転。
嵐のような拍手が巻き起こる。背後のスクリーンにディディオンと生前の夫と娘を撮った写真が大きく写し出されると、ヴァネッサはそちらを仰ぎ見て、どうか拍手はこちらへ、と観客に促した。その姿が忘れられない。
終演後、椅子から立ち上がりざま、隣席の女性に「この素晴らしい体験を共有できて幸せでした」と挨拶して劇場をあとにした。