六時に目が覚める。昨日のあれやこれやを反芻して、気持ちがどうにも鎮まらない。"Three Oranges" の件が重く心にのしかかり、憤懣と遣りきれなさがこみ上げる。
しばらくベッドで鬱々としていたら、七時過ぎに電話が鳴った。友人の梅田英喜君からだ。彼とは今夜カドガン・ホールでのイギリス室内管弦楽団の演奏会にご一緒する約束になっている。チケットも彼が東京からネット経由で予約してくれた。マリア・ジョアン・ピレシュ(ピリス)のピアノ独奏、オーギュスタン・デュメイの指揮とヴァイオリン独奏で(たぶん)極上のモーツァルトが聴けるというのが愉しみだ。
梅田君も数日前から倫敦入りしているものの、蓄音機買い付けの旅なので何かと忙しい由。彼は1980年代に雑誌編集者として活躍、小生に連載「12インチのギャラリー」を書く契機を与えてくれた大恩人なのだが、その後は蓄音機、SPレコード、オルゴールを扱う古物商に転じたという変わり種。西欧音楽のオーソドックスな聴き手であり、その鋭敏な耳に対し、小生は常日頃から畏敬の念をもって接している。
今日も郊外でバイヤーとしての用事を済ませてから市中に戻るとのことなので、午後三時に地下鉄スローン・スクエア駅で待ち合わせることにした。夕方のコンサートまで、四方山話を楽しもうという心づもりだ。
よほど小生の声に生気が乏しかったのだろう、「沼辺さん、大丈夫ですか? あとでじっくり話を聞いてあげますから」と励まされる。まこと、地獄で仏とはこのことだ。
朝食後は気分転換を兼ねて、小雨の降るなかを散歩がてら近所のグリニッジ国立海事博物館 National Maritime Museum, Greenwich を覗いてみることにした。到着すると十時少し前だったので、開館を待ちながらしばらく建物の周囲を巡り歩く。
すっかり忘れていたことだが、美術館時代に懇意にしていた修復家の岩井希久子さんが、かつて英国留学中、この博物館で絵画修復を修業されたと聞いたことをふと思い出した。博物館といっても、もともとはグリニッジの離宮だった由緒正しい建物なので、英国航海史をめぐる収集品はもちろんのこと、建築そのものが格調高く見どころ満載である。
古い宮殿の小部屋を経巡って、世界の海を胯にかけた栄光の時代を偲びながら、冒険家たちの肖像画、植民地経営を記録した絵画、航海に用いられた道具類などをじっくり眺めるうち、おいおい平静な心が戻ってきた。
この館では基本的には歴史博物館としての立場を保ちつつも、現代美術とのコラボレーションも試みているらしく、「時」を主題としたサイモン・パターソン Simon Patterson の映像インスタレーションを展示した一室もあった。ちょうどお昼時になったので、館内のカフェで一息つく。すっかり雨も上がり、薄日が射してきた。
そのあとDLRと地下鉄を乗り継いで、昨日に引き続きスローン・スクエアへ。
待ち合わせの時刻にはまだ間があるので、駅前からチェルシー方面へ延びるキングズ・ロードを歩いてみる。小奇麗なブティックが建ち並ぶお洒落な商店街の趣だ。思い返せば十五年前の1993年、梅田君に連れられて初めて倫敦にやって来て、真っ先に訪れたのがこの界隈だった。五分ほど歩いたところに骨董商が軒を連ねている建物があり、そこに児童古書の専門店があったのだ。話好きの女店主が応対してくれ、ロシア絵本を何冊も手にした懐かしい思い出がある。久方ぶりに訪ねてみたら、建物そのものは営業中だったが、古書店は疾うに撤退してしまっていた。
そろそろ約束の三時が近づいてきたので、スローン・スクエア駅まで戻って改札付近で梅田君の到着を待つ。
郊外から戻ってくるので少し遅れるかもしれないと聞かされていたので、二、三十分は覚悟していたが、たっぷり五十分は待たされる。帰りの列車が遅延したのだそうな。喉が乾いたし、トイレにも行きたい、それに煙草も吸いたいので、昨日と同じイタリアン・カフェのテラス席に陣取る。
席に着くや否や、小生はまず持参した "Three Oranges" をお目にかけた。
しばらく頁を繰っていた梅田君は「これだけの長さの英文をよく執筆できましたね」と褒めて下さった。嬉しいのはやまやまなのだが、正直なところ、先日手渡されたときはあれほど誇らしかったこの雑誌が、今はなんだか忌まわしい代物のように思えてしまう。悲しいことだけれど、それが正直なところだ。
そのあと小生は堰を切ったように話し始めた。全くの偶然から「プロコフィエフ財団」と繋がりが生じ、英文原稿を執筆することになった経緯からはじまり、未知の者同士が力をあわせて原稿を仕上げ、それが「共同執筆」になった顛末、にもかかわらず、見逃せない誤りが生じてしまったこと、さらには訂正が叶わなかった結末まで、途中からは憤懣やるかたない口調で一気にしゃべったのだと思う。
梅田君は辛抱強く話につきあって下さった。すべてを聞き終えると、彼はただ一言、「大変な体験でしたね」とだけ言った。それに対して、小生はなんと答えたか。もう思い出せないが、おおかた「もう倫敦には居たくない、一刻も早く日本へ戻りたい」と弱音を吐いたのではないか。それが本音だったからだ。
思えばちょうど十五年前、何も知らない小生を倫敦へと導いて、地下鉄の乗り方からコンサートやオペラの情報の探し方、切符の入手の仕方、会場への道順まで、何から何まで懇切丁寧に指南してくれたのはほかならぬ梅田君だった。その彼と今こうして倫敦のカフェで落ち合ったのも不思議な因縁というほかない。
彼は「せっかく倫敦に居るのだから、愉しまなきゃ駄目ですよ」と言いたかったのだろう、昨日コヴェントガーデンのロイヤル・オペラで観てきた「シモン・ボッカネグラ」がどんなに面白かったかを、この歌劇に疎い小生のために、粗筋つきで詳しく解説してくれた。「まだあと二週間もいらっしゃるのなら、これをぜひ観たほうがいいですよ」。歌手たちも粒選りだし、指揮はなんとジョン・エリオット・ガーディナーなのだという。
彼の話に耳を傾けるうち、頭に昇っていた血がだんだん降りてくる思いがして、小生は少し冷静さを取り戻したように感じた。すっかり冷めてしまった珈琲を啜りながら、そうだ、倫敦に居るのだもの、せいぜい貪欲に楽しまなくちゃ…という気になった。
あたりは真昼の明るさだが、時計をみるともう七時近い。勘定を済ませると、そこから三分ほど歩いてカドガン・ホールへ向かう。建物を背にして互いのカメラで記念に写真を撮りあう。
まずは梅田君が東京で予約してくれた今宵のチケットを回収すべく入口の扉を開けようとすると、またしてもそこに張り紙が出ている。
なんということだろう、今日の独奏ピアニストのマリア・ジョアン・ピレシュ(ピリス)も、指揮とヴァイオリンを務めるオーギュスタン・デュメイも、ともにキャンセルになってしまったという! 理由はピレシュの「健康がすぐれないため」とあるが、亭主のディメイまで付き合って欠場することはないだろうに。それでもプロなのか、と言いたくなる。
ソロイストも指揮者も「全取っ替え」では、そもそもコンサートが成立しないのではないか。梅田君はさすがに怒ってボックスオフィスに掛け合ったけれど、払い戻しにはならない。イギリス室内管弦楽団の演奏会としては予告どおり成立しているからだ。
こんなことだとわかっていたら、同日同時刻にサウスバンクのクィーン・エリザベス・ホールで行われるオーケストラ・オヴ・ジ・エイジ・オヴ・エンライトゥンメントの演奏会のほうに行くべきだった、と大いに悔んだけれど後の祭り。ふたりして肩を落としながら、カドガン・ホールの長い階段をとぼとぼ昇るほかなかった。
19:30- Cadogan Hall
イギリス室内管弦楽団
ヴァイオリン/ジェニファー・パイク(代役)
ピアノ/イーゴリ・レーヴィット(代役)
指揮(リーダー)/ステファニー・ゴンリー(代役)
シューベルト: 交響曲 第五番
モーツァルト: ヴァイオリン協奏曲 第三番 (当初のプログラムは第五番)
モーツァルト: ピアノ協奏曲 第九番「ジュノム」
梅田君が予約した席は昨日のストール(平土間席)とは異なり、二階正面のギャラリー。「このほうがホールの響きがよくわかる」というのがかねてからの彼の持論である。「なかなか良さそうなホールじゃないですか」というのが、ここは初めてという彼の第一印象だ。これで演奏家のキャンセルさえなければ文句なしなのだが。
イギリス室内管弦楽団を生で聴くのは1973年以来、実に三十五年ぶりのことだ! そのときはジャクリーヌ・デュ・プレが同行するも、腱鞘炎で(と当時は報じられた)演奏不能となり、ピンカス・ズカーマンが代役で出てきた。
そんな昔話はともかく、当時と今では室内合奏団を取り巻く情勢が激変していて、この楽団のように現代楽器でハイドンやモーツァルトを奏する団体は、古楽器アンサンブルのオーセンティックな演奏と常に比較対照され、その演奏の正当性を常に問われる宿命に晒されている。その点が往時と今とのいちばん大きな違いではなかろうか。
間もなく舞台に奏者たちが揃い、シューベルトの第五交響曲が始まる。プログラムに Director として記されたステファニー嬢は実はこの楽団のコンサートマスターであり、指揮棒ではなく自席でヴァイオリンを奏しながら全体を統括する。さすがに美しく充実した響きだが、それ以上でも以下でもなく、この曲をどう聴かせようかという設計図があるとは思えない演奏。ほどなく睡魔に襲われた小生は半分以上寝てしまったので、演奏をどうこう評する資格はない。
次のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲、休憩を挟んで「ジュノム」協奏曲では,如何せん、代役で呼ばれた若いソロイストたちがまるで生彩を欠き、「ああ、聴くんじゃなかった」という失望の嘆息のみが漏れた。ピレシュ=デュメイの至芸を心待ちにしていた梅田君の落胆ぶりはその表情に如実に窺われた。
このソロイストの交代劇は土壇場で決まったのではなく、少なくも数日前には情報として流布していたらしい。その証拠に、今夜の会場には空席がやたらと目立ち、全体では五分ほどの入りだったからだ。知らされなかったのは、われら善良にして無知蒙昧な日本人旅行者だけだったのか。
終演後、憤懣やるかたないふたりのニッポン人は、地下鉄駅近くのロイヤル・コート・シアターの地下のバーに陣取り、自棄酒をあおる心持ちでギネス・ビールを痛飲した。梅田君は明日もう帰国の途に就くそうな。いずれまたこの街で再会することを誓いあって、スローン・スクエア駅頭で左と右とに別れた。