(承前)
昨日のつづきである。
盛大な拍手が終熄すると、ケルテスが指揮棒を構えた。そしてその一瞬のちに起こったことは四十年経った今もなお明瞭に記憶している。忘れられるはずもないのだ。
こう書くと、なんだか途徹もない椿事が発生したみたいだが、そんなことはない。プログラムどおりに音楽が始まっただけのことだ。
ゾルターン・コダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」の第一曲目「前奏曲 お伽話が始まる」が開始される。
よく知られているように、この組曲は同名のオペラ(ケルテスはその全曲の録音も残している。名盤!)から編まれたものである。主人公ハーリ・ヤーノシュは今は年老いた冴えない農夫なのだが、血気盛んな若き日々の冒険を問わず語りに話し始める、というのがこの歌劇の筋立てになっている。
ヤーノシュは勇敢にも敵陣に単身で乗り込んでナポレオン軍を撃退、皇帝ナポレオンは跪いて彼に命乞いをした。英雄となった彼はウィーンでもてまくり、オーストリア皇女にも見初められ求婚されたが、きっぱり断った。などなど。
要するに、壮大なるほら話の連続なのである。
なんでもハンガリーには「これから話を始めようというそのとき、くしゃみが出たならば、そのあとの話は真実だ」という意味の諺(?)があるそうで、だからこのオペラの冒頭に置かれた「前奏曲」は途方もない壮大な「くしゃみ」で開始される。
全オーケストラが揃って大音声で、一斉に「はっくしょ~ん」とやるのである。
ケルテスの振り下ろすタクトが導き出した大仰なこのクシャミこそが、わが音楽人生を決定づけた。なんという豊かで艶やかで広がりのある響きなんだろう。それまでラジオの小さなスピーカーの貧弱な音にしか触れてこなかった小生は、全身が金縛りになるような衝撃を食らい、そのあとはただもう陶然として、次々に繰り出されるオーケストラの妙技に聴き惚れた。
コダーイがここで開陳する管弦楽法は実に光彩陸離たるものだから、初めて生のオーケストラを耳にした小生がその鮮烈さに魅せられたのもむべなるかな。記憶の彼方で、あのときの瑞々しい響きの残響が今も鳴っているように感じるのは錯覚なのだろうか。
二曲目のベートーヴェンの皇帝協奏曲はなんだか不満が残る演奏だった。
カサドシュのピアノは粒の揃ったたいそう美しいものだが、その怜悧な美しさがこの曲を過剰にロマンティックに装っているようで、「サン=サーンスだったら良かったのに!」と悔しがったのをはっきりと思い出せる。
最後の「新世界」の細部はすっかり忘れてしまったが、堂々と正攻法の演奏で、覇気と自発性と愉悦感に貫かれた名演だった…ような気がするのだが、もはやそれを確かめる術はない。
確かなことはただひとつ。この日の実演に打ちのめされた小生は、生の音楽の底知れない力に身も心も拉し去られたことだ。その魅惑に抗することなどできはしない。
それから四十年が経った。明日はまさにその記念すべき5月3日なのである。