ロシア革命後の内戦時代、ひとりの赤軍兵士が煽動列車で西の国境地帯を旅し、ベラルーシ(白ロシア)の街に到着した。後年になって彼は、そのときそこで目にした思いもよらぬ光景を書き残している。
風変わりな地方都市。西ロシアの国境近くの多くの街々がそうであるように、そこも赤煉瓦でできていた。煤けていて、うら寂れている。だが、この街には飛びきり風変わりなところがある。そこでは赤煉瓦の街並が白ペンキで塗り潰され、その白を背景に緑の円形があちこち点在している。オレンジ色の正方形もある。青の長方形もある。これが1920年のヴィテプスクだ。煉瓦の壁という壁はカジミール・マレーヴィチの絵筆に触れた。壁々から声がするのが聴こえるだろう。「街路はわれらのパレットだ!」と。有名な文章なので、どこかで読まれた憶えのある方もおられよう。その兵士とは後年の映画作家セルゲイ・エイゼンシュテインであり、日本で編まれた『エイゼンシュテイン全集』のなかにもこの回想の邦訳があるはずだが、ここでは拙訳(英語からの重訳)でお赦し願いたい。
ヴィテプスクといえば、一般には画家マルク・シャガールの出身地として知られていよう。彼はパリに遊学して最新の美術潮流に触れ、「外国帰りの先生」として故郷に錦を飾った。革命後、この街に国立美術学校が開校することになったとき、シャガールはその設立に奔走し、三十二歳の若さで自ら学長の座に就いた。
それからの二年間ほどがシャガールとヴィテプスクの蜜月時代だった。もしもエイゼンシュテインが1920年ではなく、1918年にこの街に到達したならば、彼はきっと街の家々の壁に、緑色の牝牛や空飛ぶ馬の絵が躍動するのを目にしたことだろう。
唐突にこんな話を始めたのは、先ほど郵便ポストに米国からの小包が届いたからだ。中味は待望久しい一冊の書物である。
Aleksandra Shatskikh:
Vitebsk: The Life of Art.:
Yale University Press, 2007
この本の登場をいったい何年のあいだ待ち望んだことであろう。
実はロシア語の原著は2001年にモスクワで疾うに刊行されており、著者のシャツキフ女史が来日された折に贈呈されてもいたのだが、なにせ小生にとっては「豚に真珠」であり、パラパラ眺めては「いつか読みたいなあ」と溜息をつくばかり。「いずれ英語版が出るはずだから、それで読めばいいわよ」と彼女は言って下さったものの、待てど暮らせど刊行されず、ほとんど諦めかけていた矢先であった。
きちんと精読してからご紹介するのが筋だろうが、もう待ちきれない。
これは革命直後、さまざまな芸術文化が炸裂し交錯したヴィテプスクを主人公に据えた、類い稀なモノグラフなのである。シャツキフ女史はシャガールとマレーヴィチを中心に、ロシア・アヴァンギャルド美術を永年にわたって研究されている碩学である。上に引いたエイゼンシュテインの一節ももちろん引用され、シャガールが学長としてヴィテプスクの美術学校で何を目指したか、その招きで教授として赴任したマレーヴィチが瞬く間に人心を掌握し、史上初の抽象美術によるカリキュラムを実践する過程を詳しく跡づける。
われわれにとって最も興味深いのは、そのヴィテプスクの美術学校の一室に、今は川村記念美術館(千葉県佐倉市)の所蔵するマレーヴィチの油彩画『シュプレマティズム』(1917頃)が高々と掲げられていたという事実である(美術館のサイトを見ると
→こういう作品)。小生はこの美術館に奉職中、ある研究書に小さく複製されていた古写真にこの絵が写っていることに気づき、小文を綴ったことがあった(1997年)。その執筆の際に最も有益な導きとなったのが、シャツキフ女史がグッゲンハイム美術館の展覧会「グレイト・ユートピア」展カタログに寄稿されたヴィテプスク時代のマレーヴィチについての論考だったのである。
それから五年後、当のシャツキフ女史が川村記念美術館にいらしたことがある。訪問の目的はもちろん、そのマレーヴィチ作品を実見することにあった。応対にあたった小生はそれまで知り得たすべての知見をお伝えしたが、流石に彼女はその悉くを掌握していた。
本書のもとになったロシア語の原著でも、すでにこの作品のことは手短に触れられているが、この英語版では実見の印象に基づき、さらに考察が深められている。要するに彼女の所論はこうだ。「あらゆる様式的・技法的な特色からみて、この作品はマレーヴィチ本人の手になるとは認めがたい。その真の作者はヴィテプスク時代の教え子で愛弟子のアンナ・カガンと推定される」というものだ。詳しくはぜひ当該箇所をお読みいただきたいが、マレーヴィチの現存するすべてのシュプレマティズム絵画を精査された彼女の所論には重みがあって、容易に反駁しがたい。上述の初対面の折も、小生が「他のマレーヴィチのシュプレマティズム絵画を見れば見るほど、わが川村作品はどこか異質だとの印象をどうしても拭えません。そこには何というか、一種の…」と表現に詰まると、すかさず「居心地の悪さ(uncomfortableness)ね」と言葉を足され、こう付け加えた。「あなたはあなたの直感を信じるべきよ!」。
その翌年、全く思いがけない成り行きからシャツキフ女史に「幻のロシア絵本」展カタログに論考を寄稿していただくことになり、秋口にモスクワのアパルトマンを訪問した際も、彼女は自説を強く主張し、上に述べた「真の作者」の名前も明言された。「当時を知る生き証人にインタヴューしたとき、マレーヴィチは門下生のカガンに特に目をかけ、彼女の描いた《コンマ(')みたいな絵》を絶賛した、という証言も得ているのよ」と、そのときのメモ帖を片手に論拠を明かされた。
そうした個人的な関心はさておき、本書はそれ以外にもまことに豊穣な内容を包含している。
(次回につづく)