朝から気持ちよく晴れて春めくので、ふと思いたって川村記念美術館の「マティスとボナール」展を再訪する。
同じ千葉県内とはいえ、小生の住む千葉市の海浜地区からは電車を三本も乗り継ぎ、佐倉駅からは送迎バス。合計すると一時間半以上もかかってしまう。ここに奉職して毎日通っていたのが今となっては信じられない。
十一時少し前に到着。同行した家人はここに一度しか来たことがなく、しかもそれは「ジョゼフ・コーネル展」開催時だったという。もう十五年も前だ。そのときの記憶ももう朧げなので、コレクションの常設展示をまずじっくり観ようということになる。思いのほか来館者は少なく、どの部屋でも殆ど貸切状態。藤田嗣治の「アンナ・ド・ノアイユの肖像」、レンブラントの「広つば帽を被った男」、マレーヴィチの「スプレマチズム」などをじっくり観る。コーネルの展示では「鳥たちの天空航法 Celestial Navigation by Birds」という青塗りの箱がいたく彼女のお気に入り。贔屓の女性作家アン・タイラーの小説によく似た題名のがあるのだという。
ほの暗い「ロスコ・ルーム」と、春の陽射しの射し込む「ニューマン・ルーム」との対照的な空間を心ゆくまで味わう。ここでも独占的貸切状態は変わらない。なんと贅沢な体験であることよ。
ステラの巨大レリーフ作品を観終わるとちょうど正午になった。そこで一度この建物を離れて、別棟のレストランへ昼食を摂りに出る。ここは池を見渡す眺めのよいレストランなのだが、以前から味については苦情が出ていた。今日「ランチプレート」を試しに食べてみたら、見違えるほど美味しくなっていて吃驚。なんでも、知る人ぞ知るイタリアンの名店「アラペサ」と提携したのだという。食後の珈琲込みで千五百円という価格設定もなかなかに良心的。
腹ごしらえができたところで、午後はいよいよ「マティスとボナール」展へ。
先週金曜のオープニングでは、展示室で何人もの知友から声をかけられたため、出品作になかなか集中できず、したがって確たる感想や意見を抱くには到らなかった。もっと丁寧に観る必要があると思ったのだ。
事前にカタログをざっと通読し、この展覧会のねらいや見所を予習しておいたので、個々の作品がどのような流れに沿って配置されているかが一目瞭然。ボナール初期→マティス初期→ボナール中期→マティス中期→ボナール晩期→マティス晩期、と六区分された展覧会構成も、二人展という性質上、無理からぬ処置であったろう。
問題はやはり個々の出品作とそのクォリティにあろう。周知のとおり、日本国内にはマティスの驚くほかない力技や頭抜けた造型感覚を証すような作品がほとんど存在せず、その大半を海外からの借用に仰ぐことになる。本展のラインナップを見る限り、震えのくるような凄い絵はほとんど来ていない。とりわけ、パリの美術界を震撼させた1905年から数年間のフォーヴ期の作品がわずか小品一点というのでは悲しすぎる。従来のマティス展もそうだったが、今回もまた「居心地の良い安楽椅子」系の作品や、「文人画・南画ふう」のヘタウマ作品で我慢せなばならぬのが口惜しい。
ところが皮肉なことにそれは怪我の功名でもあって、展覧会全体のバランスからいうと、マティス・セクションの弱さは結果的に、ボナール・セクションとの釣り合いを保つうえで奏功したのかもしれない。もしマティスとボナールがまともにガップリ四つに組めば、その勝負は自ずと明らかであるから、そもそも両者を組み合わせ二人展とする企ての前提そのものが危くなろう。
本展のボナール・セクションもまた、その多くを国内出品作に頼っているのであるが、それなりに各時期に多様な作品を揃えており、要所要所を補強する海外作品(「テーブルの片隅」、遺作「花盛りのアーモンド樹」、ともにポンピドゥー・センター)ともども、なかなか見応えのある内容となっている。この陣容ならば「安楽椅子」「ヘタウマ」系マティスと充分に渡り合えようというものだ。
さて、それではそもそも今回このふたりを組み合わせて展示したことによって、何が明らかになったのだろう。
ピエール・ボナールとアンリ・マティスとは年齢的にはわずか二歳しか開きはない(ボナールは1867年生、マティスは1869年生)。両者ともに南仏に生活と制作の拠点をもち、無二の親友同士ではなかったにせよ、心の籠った手紙のやり取りがあった。
残された作品にも、画家自身が身を置く場としての室内空間が常に意識され、多くの絵で「打ち解けて親密な雰囲気」「居心地の良さ」「心の安らぎ」が志向されている、とまあ、一応はそう言うことは可能である。では、ふたりは同時代を生きた「似た者同士」だったのだろうか?
この問いに対し、本展をつぶさに観た者ならば、おそらく口を揃えて「そうではない」と答えるのではないだろうか。
(まだ書きかけ)