薄日の射す穏やかな日曜の午後だった。好きな音楽に耳を傾けつつ、作業を邪魔だてするものは何もなし。あってもせいぜい自分の胸の奥の密かな懊悩だけ。お蔭で翻訳はずんずん捗った。
演劇巡礼の旅の最後にパリへと辿りついた小山内薫は、恋愛問題で苦しみ、悔恨と失意のただなかにある島崎藤村を誘って、バレエ・リュス公演へと足を運ぶ。
『シェエラザード』『ペトルーシュカ』『牧神の午後』『ダフニスとクロエ』そして『サロメの悲劇』。そこには大いなる感動が、驚愕が、啓示が待ち受けていた。1913年6月のことである。
今日のところはこのあたりまで。すぐあとには両人の鑑賞記録からの引用が続くので、英訳には細心の注意を要するはずだ。
夜も引き続き、CDをかけて過ごす。先日アレクサンドル・イワーシキンを聴き、ロシアのチェリストの後続世代の勃興を実感したので、もう一度ロストロポーヴィチまで遡って、その系譜を辿り直してみたくなった。
「ロストロポーヴィチ・ソヴィエト・レコーディングス vol.3」
プロコフィエフ:
チェロ・ソナタ 作品119*、交響的協奏曲 作品125**、チェロ小協奏曲 作品132***
チェロ/ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ
ピアノ/スヴャトスラフ・リヒテル*
イズラエル・グスマン**、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー** ***指揮
ソヴィエト国立交響楽団**、モスクワ放送交響楽団***
1950年3月1日、モスクワ音楽院小ホール (実況)
1972年12月27日(第一楽章)、1964年2月25日(第二・三楽章)
1964年5月13日、以上 モスクワ音楽院大ホール (実況)
東芝EMI TOCE 9413 (1997)
これら三曲の被献呈者であり、その成立に深く関与したロストロポーヴィチの貴重なライヴ。この確信に満ちた演奏様式は数十年にわたりプロコフィエフ解釈の王道と見なされた。むべなるかな、たしかにこれらは範と仰ぐに足る圧倒的名演だ。
ブラームス: ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲*
シューマン(ショスタコーヴィチ編): チェロ協奏曲
チェロ/ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ
ヴァイオリン/ボリス・グトニコフ*
ボリス・ハイキン指揮 ソヴィエト国立交響楽団
1963年10月5日、モスクワ (実況)
Yedang Classics YCC 0116 (2002)
良くも悪くもロストロポーヴィチの独擅場と呼ぶべき、構えの大きな演奏。どれもがドヴォルザークの協奏曲の変種のように聴こえてしまう。素姓の怪しげな盤ではあるが、何より貴重なのはこのシューマン、ショスタコーヴィチがロストロポーヴィチのためにオーケストレーションを改訂した新版による(おそらく)世界初演のライヴであるからだ。
シューマン: チェロ協奏曲
シュニトケ: チェロ協奏曲 第一番
チェロ/ナターリヤ・グートマン
クルト・マズア指揮 ロンドン・フィルハーモニック
1991年4月、ロンドン、アビー・ロード、スタジオNo.1
EMI CDC 7 54443 2 (1992)
そのロストロポーヴィチ門下だが、むしろ夫となったオレグ・カガンや親交厚かったスヴャトスラフ・リヒテルから音楽上の多くを学んだとおぼしいグートマン。そのややくすんだ内省的な音色こそ、シューマンの協奏曲に相応しいものだと思う。このオリジナルのオーケストレーションはシューマンの美質そのものなので、これを部厚く派手やかに改変しようとしたロストロ=ショスタコ版はやっぱり許しがたい。シュニトケの協奏曲はグートマンに献呈されたもの。一聴してどうこう言うことを拒む難しい曲だが、纏まりのなさが纏まりであるような不思議な魅力が横溢する。
この同じアルバムの日本盤(東芝EMI)のライナーを米田栄という方が書いておられ、このシュニトケの最終楽章がチャールズ・アイヴズの「休日交響曲」の第四曲「感謝祭と清教徒上陸記念日」と酷似していると指摘。とりわけ後者における讃美歌「デューク・ストリート」合唱部分がシュニトケをインスパイアしたのではないか、と推察する。なんでも、あるロシアの研究者に拠れば、「デューク・ストリート」そのものがロシア正教の古い「ズナメニ聖歌」となぜか似通っているのだそうで、その類縁性がシュニトケの耳をそばだたせ、アイヴズへの親近感を覚えさせたのではないか、というのが米田氏の説くところだ。なんとも刺激的な仮説ではないか。