今週の後半はなんとなく慌しく過ぎてしまった。
懸案の翻訳のほうが疎かになったのを深く反省、少しでも先へ進もうと、電子和英辞書を傍らに「雪かき作業」を再開する。
それに随伴する音楽はやはりロシアとその周縁のものに限ってみよう。いずれも今週初めに新宿で見つけてきたものばかり。
ギヤ・カンチェリ:
「シミ Simi」「風に喪す Mourned by Wind(ギヴィ・オルジョニキージェ追悼礼儀)」
チェロ/アレクサンドル・イワーシキン
ワレリー・ポリャンスキー指揮 ロシア国立交響楽団
2004年9月1、2日、モスクワ音楽院大ホール
Chandos CHAN 10297 (2005)
グルジアの作曲家カンチェリのチェロと管弦楽の楽曲二曲を収めたアルバム。もっとも後者のオリジナルはヴィオラ独奏だという(バシュメットに献呈)。どちらも一聴してカンチェリとわかる悲哀に満ちた深遠な音楽なのだが、生半可な聴取では理解できない晦渋さを含んでおり、とりわけ緊張の持続が感情の激発へと到る後者の息の長い展開を辿るにはそれ相応の身構えが必要だ。イワーシキンのチェロがここでも凄い高みに達していることは確かなのだが。
ショスタコーヴィチ: 交響曲 第14番
ソプラノ/タチヤーナ・モノガローワ
バリトン/セルゲイ・レイフェルクス
ヴラジーミル・ユロフスキー指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
2006年2月18日、ロンドン、クィーン・エリザベス・ホール (実況)
London Philharmonic Orchestra LPO 0028 (2007)
近年プロコフィエフのバレエ・舞台音楽を次々に録音し、優れた資質を示しているユロフスキーはミハイル・ユロフスキー、こちらはその息子のヴラジーミルのほう。その実力は今のところ未知数。この第十四番の実況録音に関する限り、破綻なく纏めているものの、それ以上の狂気じみた切迫感や深い洞察は求めるべくもない。まあ当方がバルシャイやロストロポーヴィチ夫妻の凄演の呪縛から自由になれない、といえばそのとおりなのであるが。
"Carl Nielsen: The Historic Recordings"
ニールセン: クラリネット協奏曲*、セレナータ・イン・ヴァーノ、木管五重奏曲
クラリネット/ルイ・カユザック*、 オーゲ・オクセンヴァド
ヨーン・フランセン指揮 コペンハーゲン歌劇場管弦楽団*
コペンハーゲン管楽五重奏団
1947年11月、1937年2月、1936年1月
Clarinet Classics CC 0002 (1992)
倫敦のヴィクトリア・ソームズ女史が主宰する「クラリネット・クラシックス」レーベル二枚目のアルバム。過去のクラリネット奏者を検証・顕彰するシリーズの最初でもある。デンマークのニールセンがこの楽器用に書いた作品はすべて、コペンハーゲン管楽五重奏団のクラリネット奏者 Aage Oxenvad のための楽曲であるといい、本アルバムの価値もまさにそこに存する。そのオクセンヴァドを含む五重奏団が創演した「五重奏曲」が聴けるのが嬉しい。残念ながらオクセンヴァドは肝腎の協奏曲(1928)の録音を遺さなかったので、代わりにフランスの名手カユザックの演奏を収録。ソームズ女史自らのライナーノーツには過去の名匠への愛情が滲む。
"Matrix 16"
ニールセン:
交響曲 第三番「拡散」*、交響曲 第四番「不滅」、アンダンテ・ラメントーゾ
ソプラノ/キルステン・シュルツ、バリトン/ペーター・ラスムッセン
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 デンマーク放送交響楽団
1973年9月、1974年3月、1975年2月、デンマーク放送楽堂
EMI 5 65415 2 (1995)
どちらかといえば苦手意識が先立つニールセンだが、こんな廉価盤を発掘したので聴いてみた。さすがにどちらの交響曲も聴き憶えがあるものだが、ずいぶん久しく耳にしなかった。茫漠として捉えどころのない楽曲をブロムシュテットはよく構成的に捉えて聴かせる。名演である。