月刊女性誌の連載「旅するアート」の締切が迫っている。まだ第一回目の掲載誌を手にしていないうちから、もう次回を書かねばならない。取り上げる作品は疾うに決定済なので、さっさと執筆してしまえばいいのだが、例に拠って愚図っている。
昨日に引き続いて、ちょっと春を思わせるような穏やかな日和。陽気に誘われるように、原稿書きを先延ばしして京橋のフィルムセンターへ。今日の番組はなんとしても見逃すべからず。
弥次喜多道中記
1938年 日活
片岡千恵蔵+杉狂児+香川良介+志村喬+原駒子+ディック・ミネ+楠木繁夫
江戸の惡太郎
1939年 日活
嵐寛壽郎+轟夕起子+市川小文治+香川良介+志村喬
30年代後半はマキノ正博(当時の名)の絶頂期かもしれない。『弥次喜多道中記』の冒頭、江戸市中での捕物シーンのカット割りの天才的な冴え、群集の動かし方の斬新さを観ていて、そう直感させられた。偽の弥次喜多コンビ、千恵蔵(遠山金さん)+狂児(鼠小僧)のやりとりも愉しいが、本物の弥次喜多であるディック・ミネ+楠木繁夫が朗らかに唄い歩く場面の春風駘蕩ぶりが好もしい。
『江戸の惡太郎』は超の字がつく大傑作。しがない傘張り浪人で寺子屋の先生のアラカン、寡黙で毅然たるその佇まいが素晴らしい。その彼のあばら家に、ひょんなことから「悪太郎」、すなわち家出少年が同居する。実はわけあって親元を離れた豪家の令嬢が身をやつし男装しているという次第。二十歳そこそこの轟夕起子の匂うばかりの美しさはどうだ!
マキノが彼女に惚れ込んで撮っていることがわかる。芝居小屋の急場を凌ぐべく、思いがけなく舞台に立って唄う場面で、キャメラがまるで愛撫するように彼女を捉える。昔観たイタリアのオムニバス映画『われら女性』で、アンナ・マニャーニが唄うシーンをヴィスコンティが同じように撮っていたことを思い出した。
残されたフィルムの状態が芳しくないのは残念だが、これは数あるマキノ映画のなかでも格別に思いの篭もった作品であるに違いない。周知のとおり、マキノはこの映画を撮った翌年、轟夕起子と晴れて結婚する。