雪模様の昨日から一転して青空のもとで過ごす一日。凍てつくような寒さもぐっと和らいだ。
昨日ジュンク堂で手にした近刊を、東京への往還ですっかり読んでしまう。これは期待に違わぬ好著である。
岡谷公二 『南海漂蕩 ミクロネシアに魅せられた土方久功・杉浦佐助・中島敦』
冨山房インターナショナル、2007
岡谷氏が生涯かけて追い続けるテーマは「南に魅せられた芸術家たち」。
古くはデューラーやゲーテがアルプスの「南」にやみがたい憧れを抱いたが、19世紀に入るとそれがエジプト、モロッコ、アルジェリアへと拡大し、やがて世紀末から20世紀前半にかけて、遙か彼方の南国に理想郷を幻視し、ヨーロッパから船出する芸術家が出現する。南太平洋へ行きついたゴーギャン、エミール・ノルデ、マックス・ペヒシュタイン。ロバート・スティーヴンソンやピエール・ロティといった作家たちも同様の夢を抱いたし、メキシコに赴いたアントナン・アルトーやアフリカ奥地へと旅したミシェル・レリスらもそうした系譜に加えてよいだろう。
これまでの著作でも、岡谷氏はミシェル・レリスの一連の翻訳をはじめ、『南の精神誌』『島の精神誌』『絵画のなかの熱帯』などで、一貫してこのテーマを追究してきた。とりわけパラオに魅せられた彫刻家・土方久功(ひさかつ)の優れた評伝『南海漂泊 土方久功伝』(河出書房新社)と、空想のなかのジャングルに行き着いた画家として捉えた『アンリ・ルソー 楽園の謎』(新潮社)の二冊はとびきりの名著だったと思う。
今回の本も明らかに氏のライフワークの一環として構想された一冊で、パラオで土方久功に師事した異色彫刻家・杉浦佐助(日本彫刻正史には登場しない名だ)の驚くべき遍歴と、パラオで偶然出会ったふたりの日本人、すなわち小説家・中島敦と土方久功との短くも美しい交友とに焦点を絞って、彼らにとって「南国」とはなんだったかを詳しく考察する。
忘れられた芸術家を掘り起こし、驚くべき粘り強さで彼らの軌跡を跡づける著者のあくなき執念に圧倒される。これを読んでしまったからには、あと数日で終わってしまう世田谷美術館での展覧会「パラオ──ふたつの人生: 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功」を観ないわけにはいかなくなる…。