当ブログではベスト・セラーの類いはほとんど登場しない。別にそう決めたわけではないが、その手のものにはまず食指が伸びないし、だいいち他の多くの方々がすでに論じ尽くしていよう。あえて屋上に屋を架するには及ぶまい。
常々そう思っていたのだが、今日ばかりは禁を冒して(?)この一冊を紹介する誘惑に抗しきれない。
福岡伸一 『生物と無生物のあいだ』 講談社現代新書、2007
刊行から半年ですでに十二刷というのは、科学読物としては異例の読まれ方だ。先日TVの「週刊ブックレビュー」でご当人が登場し、自著を語っていたのがひどく印象的だったので、昨夕たまたま通りがかった千葉駅構内の書店で購入し、貪るように読み耽った。
これは稀にみる魅惑的な一冊だ。一般向けの科学的著作としては、アーサー・ケストラーの『夢遊病者たち』やレオポルド・インフェルトの『神々の愛でし人』や、中谷宇吉郎の『科学の方法』といった類いの本、読んだら最後、もうそれ以前の自分には戻れないと感じさせるような、そんな啓示的な魔力をもった数少ない書物だ。
分子生物学の学究として細胞内蛋白質の働きを追求してきた著者は、苛烈な研究競争の現場に身を置きながらも、生命とは何か、生物と無生物とを分つ規準とは何か、という根源的な問いかけを決して忘れることがない。夢中で蝶を追いかけていた昆虫少年だった頃の驚きやときめきを胸の奥にしっかり秘めている。そのことがこの本に、えもいわれぬロマンティックな味わいと清冽な詩情とを賦与している。こうしたありようがまずもって素晴らしい。
加えて、野口英世、オズワルド・エイブリー、ロザリンド・フランクリンといった志半ばで斃れた実験生物学の先人たちの苦渋と蹉跌の軌跡をあとづけることで、自らの辿ってきた道程を振り返り、研究者とはいかにあるべきかと自問する姿勢がまことに重く、潔く、すがすがしく感じられる。
若き日を過ごしたニューヨークとボストンの街の描き方が実に瑞々しく秀逸。映画の一場面のように鮮やかな情景描写に舌を巻く。
もちろん、著者の専門領域たる分子生物学がいかに途轍もない領域を開拓しつつあるかについても、平易にして的確な叙述がなされる。
驚くべきことに、本書は著者の青春の回想録であるとともに、20世紀生物学の道程を辿る科学史書でもあり、生命とは何かを真摯に問いかける思索の書と読むことも、熾烈をきわめる科学競争の優れたルポルタージュとして読むこともできる。めくるめく多彩さが、しかも非の打ち所のない美しく明晰な文章できびきびと、上質な散文詩のような香りを漂わせながら展開する。
あとはもうお読みいただくほかなかろう。とにかくこれは必読の書物である。
最後の「エピローグ」に記された少年時代の思い出を綴った件りでは感動のあまり涙を禁じえなかった。ベルトルッチの『ラスト・エンペラー』のエンディングにも似た、深く心に沁みる挿話だったからだ。