吾人(われわれ)の住んでゐる此地球は、余つ程古く年数を経たもので、誰も、何時頃造られたか知る事が出来ない程である、併し、此地球も日も月も星も、何もない時には唯、始なく終なく永劫の昔から永劫の末まで常時(いつも)在(いま)さぬことのない神が在るだけであつた。ずつと大昔に、混沌とした空虚の中から天地が此神の声の下に出来た、併し、今の様に美しい山も川も海も谷もなく、樹木も育たぬ、花も咲かぬ、唯、土や水が混沌(ごつちや)に塊つて、ふすふすと煙の立つ大きな団塊(たま)であつた、そして大地は、その上に照る光が無いから夜中の闇より尚(まだ)暗く、人も住まず、獣もゐず、真黒な水には浮ぶ魚さへない、生物とては毫末(すこし)もなかつた、唯、神の霊だけが此上に在る。
『光あれよ』と暗い、暗い闇の中から神の声がして、始めて此世に光明(ひかり)が出た、闇は逃げて一所に集つた、その暗い間を夜と名づけ、光明のある間を昼と云つた、恰当(てうど)今日(いま)と同じ事である、是が抑(そもそ)も最初の第一日である。
──中村春雨 『旧約物語』 金尾文淵堂、1907(明治40)
闇、まつ暗な闇……
天も無く、地も無く、お日様も無く、お月様も無く、海川も無く、野山も無く、草木も無く、鳥獣(とりけもの)も無く、魚も無く、虫けらも無く、また私たちのやうな人間も無い。無い、無い、なんにも無い。
幾千年か、幾万年か、幾十万年か、かぞへ切れない遠い以前の大昔には、今私たちが目に見るやうな物は、何一つありませんでした。
たゝ闇が有るだけでした。四方、八方、すべてが真の闇でした。
闇、まつ暗な闇……
その闇のなかで、神様はまづ、天と地を造らうとお思い立ちになりました。そして、その大仕事に精をお出しになりました。何事も思召せば出来ない事のない神様です。天と地を大かた造つたお積りで、ちよつと手をお止めになつたが、上も下もまつ暗で、天と思はれる物も見えなければ、地と思はれる物も見えませんでした。よく透(すか)して御覧になると、何かもやもやした物が動いてゐました。それは地が出来かゝつて、まだ形を成さずに、まるで泥海のやうに漂つてゐるのでした。
神様はたゞ一色の黒い闇をじつとお見詰めになつて、何か考へていらつしやいましたが、やがて大きな声で、『光あれ!』と仰せになりました。すると忽ち、暗い闇が破れて、明るい光が射して参りました。
──中村星湖『こども聖書 旧約物語』 冨山房、1932(昭和7)
いやはや、どちらも甲乙つけがたい名調子である。信心なき身にもひたひたと迫り来る力を感じさせる。四半世紀を隔てて刊行されたこれら二冊の「旧約」はいづれ劣らぬ美しい挿絵入りだ。年に一、二度、取り出して拾い読みする。
前者はなんと青木繁の別刷りカラー挿絵が八枚入っているという豪華版。劇作家として名を成す春雨(しゅうう)中村吉蔵のテクストもたいそうドラマティック。明治末の浪漫主義ならではの産物だ。
そして後者は知る人ぞ知る、初山滋のカラー口絵、カット挿絵がふんだんに盛られた贅沢な書物。子供向けというより、むしろ本を愛する万人に向け、手塩にかけて練られた美しい本だ。
頁を繰っていると、戦前の初山がどれほど凄い描き手だったか、装飾の才に充ち溢れ、多彩な作風を易々とこなす人だったかが痛感される。これを見てしまうと、小生が子供の時分に手にした小奇麗な「アンデルセン童話集」などは、彼にとって「ほんの手すさび」だったのではないか、とすら思われてくる。
今日、久しぶりにこの『こども聖書 旧約物語』を書棚から取り出したのは、昨夜たまたま『初山滋 永遠のモダニスト』(竹迫祐子編、河出書房新社、2007)という新刊をみつけたから。
なかなか魅力的なアンソロジーであるが、どうしたことか、わが『旧約聖書』には一顧だにしない。不思議だなあ、これこそ彼の天才の証だというのに。
この本を眺めていると、なんというか、無数の宝石をばら撒いた感じがする。美しいのだが、虚しく虚空に散りばめられた印象。これだけの人が確固たる結晶体としての絵本を残せなかった(と小生には思える)のはなぜなのだろう。
架蔵するなかでの、初山滋ベスト・スリーを挙げておこう。偏愛の三冊だ。
1.中村星湖+初山滋 『こども聖書 旧約物語』 冨山房、1932
2.初山滋 『ゑほん 山のもの 山のもの』 白鴎社、c.1947
3.古倫不子+諸井誠 『もず』 至光社、1967
どうしてこの三冊かって? まあ、機会があったら是非手に取ってご覧なさい。ほんとに素晴らしいんだから。蛇足ながら古倫不子(ころんぶす)とは初山の雅号である由。