東京での昼の用件が終わったらもう五時。かなり草臥れてはいるが、今日はここでへばるわけにはいかない。なんとしてももうひと頑張りせねばならぬ。
地下鉄三本と京急を乗り継ぎ一時間かけて黄金町へ。
少し間があるので界隈をぶらつく。ここらは野毛一帯とともに横浜で最もディープな飲食街と記憶するが、久しく訪れぬうちにすっかりうらぶれて灯の消えたような寂しさだ。聞くところによると、数年前に風俗産業への一斉摘発があって、多くの店が潰れ、人影もまばらになってしまった由。
映画館への道筋もうろ覚えで少しばかり迷ってうろついた挙句、シネマ・ジャック&ベティに到着。
七時四十分からの最終回。二本立の一本だけなので八百円に割引だ。
ヨコハマBJブルース
工藤栄一監督作品
1981年 東映セントラルフィルム
出演/
松田優作、辺見マリ、馬渕晴子、内田裕也、宇崎竜童、蟹江敬三、財津一郎、田中浩二、山田辰夫、山西道広、殿山泰司、戸井十月、安岡力也、鹿沼エリ、岡本麗 ほか
原案/松田優作
脚本/丸山昇一
撮影/仙元誠三
音楽/クリエーション
もう一度スクリーンで観たい、観なければ死ねない、と思いつめてきた。それが呆気なく叶った。それも横浜の映画館でだ。千載一遇の機会、足を運ばずにはいられない。本当はロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』と二本立で、というのが夢なのだが、これはまあ見果てぬ夢だろう。今日はその代わり、次回上映の『今宵、フィッツジェラルド劇場で』の予告編が観られたので良しとしよう。
BJはヨコハマのしがないブルース・シンガー。ライヴで歌ってはいるが、それで生きてゆけるわけじゃなし、副業で探偵の真似事をやって糊口をしのいでいる。家出少年を探す依頼を受けたBJは心ならずも裏社会を牛耳る闇組織「ファミリー」と接触する。少年はここで囲われ者になっていたのだ。
BJがかつてブロンクスで暮らしていた頃からの親友、掠圭介(内田裕也)は刑事になっている。ふたりはゴルフ場のはずれで旧交を暖めるが、掠は「もう刑事をやめる、裏社会に首を突っ込みすぎた」とBJに告げる。その直後、掠は何者かが放った銃弾であっけなく殺害されてしまう。BJは喪服姿の掠の妻・民子(辺見マリ)と火葬場の前で擦れ違う。民子は昔、BJの恋人だった女性なのだ。
BJは警察から掠刑事殺害の犯人かと疑われ、「ファミリー」からも得体の知れぬ不審者と睨まれている。四面楚歌の状況のなか、彼はついに組織の用心棒で射撃の名手・蟻(蟹江敬三)が狙撃犯であることを突きとめるのだが…。
二十数年ぶりに再見するので、ストーリーを忘れていた。優作が真っ直ぐこちらへ歩いてくるショットが記憶に残っていたのだが、それは実にこのフィルムの随所で執拗に出てくる。いわば映画のライトモティーフなのだ。『ロング・グッドバイ』でエリオット・グールドがやたらと歩き回るのと好一対。ただし、あちらがよろめきながら飄然と歩むのに対し、わがBJは背筋を伸ばしクールに無表情で歩を進める。
BJはヨコハマのあちこちに出没し、舗道を、車道を、波止場を、引込線の線路を歩く。フレームに切り取られた街のたたずまいが素晴らしい。夜のシーンがことのほか艶めいているのは工藤監督の独擅場。溜息が出る美しさだ。流石にフィルムの褪色が進み、昔観たときの滲むような青のトーンが失われているのは残念だが。
すっかり忘れていたが、海を見下ろす高台の喫茶店、山手の「ドルフィン」(「海を見ていた午後」@ユーミン)がしっかり登場していたのも驚き。
ラストの展開は『ロング・グッドバイ』とまるでおんなじ。無論チャンドラーの、ではなく、アルトマンの、なのだが。原案を作り上げたのは優作自身なので、いかに彼がアルトマン作品に心酔したかが窺われよう。パクリと言ってしまえばそれまでだが、ここまでスタイリッシュに決められると、すべてを赦したくなる。小生は松田優作主演作品のなかでこれが一番好き。
観に来てよかった。幸福に包まれ表に出ると、そこには本物のヨコハマの寂れた裏町。あまりにも出来すぎた道具立てに陶然となる。倫敦のドルーリー・レイン劇場で『マイ・フェア・レディ』を観劇して外へ出たら、そこはコヴェント・ガーデンだった…という体験に匹敵しよう。
優作の十九回忌を期して、この天晴れな企て(『人間の証明』と二本立)を敢行した映画館の心意気にエールを送りたい。客は小生を含めてわずか十人。ガッデム!