小雨模様だが、かねて予定したとおり夕方から外出。電車を三本乗り継いで西千葉の千葉大学キャンパスへ。
今日はここで日本ロシア文学会プレシンポジウム「生きのびるためのアート──ロシア美術の最前線」を聴講する。例に拠って早く着き過ぎたので、生協の書店で時間を潰したら、えらく面白そうな新刊書があったので思わず衝動買い。
ジャン・エシュノーズ作、関口涼子訳 『ラヴェル』 みすず書房、2007
*標題だけだと研究書か評伝みたいだが、実はこれは小説だ。帯の惹句を引こう──ひげを剃り髪を撫で付けた「ボレロ」の作曲家モーリス・ラヴェル。アメリカ訪問に始まる晩年の十年を目に浮かび上がらせる、まるで音楽みたいな小説。なるほど、これは読まざるべからず。いずれ読了したら紹介しよう。
一柳富美子 『ムソルグスキー 「展覧会の絵」の真実』 東洋書店、2007
*ご存知「ユーラシア・ブックレット」の最新刊。玉石混交の同叢書中のこれは「玉」。日本語で初めて読める、真っ当なムソルグスキー入門書。手際のよい略伝もありがたいし、「ボリス」や「展覧会の絵」の解説も有用。とはいえ、「展覧会の絵」でガルトマンの原画が見つからない「ブィドロ」の典拠がレーピンの「ヴォルガの船曳」と断ずる件りはとても承服できかねる。著者は自信満々なのだが。
というわけでシンポジウム開始前の半時間で『ムソルグスキー』のほうは読了。
この手のシンポジウムは話が噛み合わず苛々するので敬遠しているのだが、講演者の籾山昌夫氏、コメンテーターの福間加容さん、司会の鴻野わか菜さんはそれぞれ面識がある方々だし、まあ千葉での開催ということもあり、ちょっと気後れしつつも出向いた次第。
配布資料によれば今日のシンポジウムの趣旨はかくの如し。
ソ連崩壊から15年、アヴァンギャルド、社会主義リアリズムを経て、ロシアの美術は現在いかなる位相に立っているのでしょうか。[…]
このシンポジウムでは、ロシア美術の最前線を紹介しながら、美術と建築、文学、絵本、パフォーマンスの関係、現代アートの状況、日本におけるロシア美術受容の諸問題、世界における現代ロシア文化について、文学研究者と美術・文化学者双方の立場から、幅広い見取り図を描きだします。
六時にスタート。最初の講演者(似非学者か)が愚にもつかぬ雑駁な空論を開陳したので先が思い遣られたのだが(もう帰ろうかと立ち上がりかけた)、次の籾山氏が自ら係わった「イリヤ・カバコフ『世界図鑑』」展を手際良く明晰に総括したあたりから持ち直し、三人目の鈴木正美氏(マンデリシュターム研究家、名著『ロシア・ジャズ』の著者でもある)が「言葉と行為──パフォーマーたち」と題して、現代ロシアの過激な詩人=演者たちを紹介するに及んで、ようやく上記の口上に見合った内容と雰囲気が醸成された。鴻野さんの司会はお人柄そのままに終始穏やか。
予定をかなりオーヴァーして八時半過ぎに終了。すぐ失礼しようと思ったら、客席に旧知の井上徹さんがおられ、やあやあとご挨拶していたら、鴻野さんのお誘いもあってそのまま懇親会にもご一緒させていただく仕儀に。
その席で初対面の鈴木正美さんから「ブログ読んでます」といきなり声をかけられ吃驚する。以前ここで氏の『ロシア・ジャズ』をちょこっと紹介した拙文を、検索して読まれたとのこと。「放浪のカバレット歌手」ヴェルチンスキーの連載記事にも目を通されたと聞き、大いに赤面した。嗚呼これだからブログは怖い、どんな人の目に触れるか予測ができないからだ。鈴木さんからは次のご著書をご恵贈いただいた。
鈴木正美 『どこにもない言葉を求めて 現代ロシア詩の窓』 高志書院、2007
これも読了したらここで紹介しよう。でも著者の目に触れるかも知れない。くわばら、くわばら…
宴は大いに盛りあがり、井上さんからは9月に訪れたというオデッサの話やら、アレクセイ・ゲルマン監督の新作の話やらを興味深くうかがう。
帰宅したら疾うに十二時を回っていた。同席した皆さんは無事に帰りつけただろうか。