奇妙な読後感を味わった。ジョン・バンヴィルの『プラハ 都市の肖像』という本(高橋和久・桃尾美佳 訳、DHC、2006)。昨秋に買ったまま忘れてしまい、積み上げた山の裾野からようやく発掘した。
アイルランドの作家バンヴィルにはすでに『コペルニクス博士』『ケプラーの憂鬱』の二冊の邦訳がある。天文学者の伝記という体裁を採りながら、捻りの利いた筆致と斬新な視点を貫いた知的な小説だった。
今回の訳書は「Writer & City Series 一都市一作家による都市ガイドシリーズ」の一冊であるが、そこは凡百ならざるバンヴィルだけあって、単なるプラハ旅行ガイドのはずがない。「購読者注意」という前書きを引く。
本書はガイドブックではない。その意図で書かれたものでもない。それでは何を意図して書かれたものか。その問いにはいっそう答えがたい。一握りの思い出、一つの主題についての変奏曲、記憶と想像を交えながらある場所を喚起しようとする試み。[後略]
たしかにこの本を片手にプラハを歩いたら、たちどころに隘路に踏み惑うだろう。
そのかわり、ここには時空を飛び越えて、共産主義政権下、1980年代の険悪で陰鬱な首都から、17世紀のルドルフ皇帝治下、魔術と錬金術が席捲する絢爛たる帝都へ、さらにはビロード革命後の1990年代、来訪者で賑わう観光都市へと、時代とともに相貌を変えるプラハが語られるのだが、その語り口はどこか御伽噺めき、魔法のヴェールで包まれる感じ。読者は現実のプラハとよく似た、もうひとつの夢の街を彷徨する気分になる。
20世紀のプラハを撮り続けた市井の写真家ヨゼフ・スデク。17世紀にここを居城としたルドルフ二世、その臣下たるふたりの天文学者ティコ・ブラーエとケプラー。実在した人物が召喚され、その行状がつぶさに語られるのだが、記述が詳しいわりに、なんというか、霧がたちこめたような茫漠感、真実に届かないもどかしさが漂う。その微妙な味わいこそがバンヴィルの魅力なのだが…。
…などと夢うつつになっていて、電車を乗り過ごしそうになった。
今日は広尾の都立中央図書館で調べものに出向いたのだが、あまりにも素敵な秋日和なので、ふと思い立って恵比寿から歩いて接近することにした。二十分ほどの道程だが、当てずっぽうに裏道を抜けると、昔風の懐かしい雰囲気を宿した商店街があって、ちょっとほろりとなった。プラハには及びもつくまいが、東京の街だって捨てたもんじゃない気がした。
今日は1927年の『文藝春秋』をざっと通覧したほか、あれやこれやで四時間ほど図書館で過ごす。成果はまずまず。