またもや音楽の話題が続いてしまうが、どうかご勘弁を。
先日、「ドビュッシーの墓」という曲集を紹介したときに、オマージュとして先人に楽曲を捧げる際、しばしばその名前を音名に置き換え、その主題(というか音列)に基づいて作曲する、という慣習にがあることにちょっと触れた(
→ここ)。
ここで少しおさらいしておくと、ピアノの白鍵にあたるハ長調のドレミファソラシドを日本語では「ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イ・ロ」と呼ぶが、これがドイツ語では「C・D・E・F・G・A・H」となる。なんで「ロ」音がBではなくHなのかと問うなかれ。小生にはうまく説明できないが、Bは「ロ」ではなく半音下の「変ロ」音を表すのだ。
ともあれこれでアルファベットのうち八文字が音と対応したことになる。例えば Bach は「変ロ」「イ」「ハ」「ロ」に該当する。この四つの音に基づいてオマージュを作曲する、とまあそういう流儀なのである。
ところがフォーレ Fauré という作曲家に捧げる曲を書こうとする。するとたちまち困難に遭遇する。UとRに該当する音が存在しないからだ。ところがいつの時代にも悪賢い人はいるもので、窮地を脱する妙案を考えつく。
まずはアルファベット二十六文字を次のように五列に分けて書く。
ABCDEFG
HIJKLMN
OPQRSTU
VWXYZ
こうしておいて、例えばMだったらすぐ上のFに、Rならば二列上のDに、という具合に、すべての音を一列目のアルファベットに読み替えるのだ。苦し紛れというか、姑息な手段というか、ともあれこうすることで、どんな名前であれ音列に置き換えられるというわけである(この場合、Bは「ロ」音に該当させ、HはAすなわち「イ」音になるらしい)。
先に挙げたフォーレの場合、FAURE は FAGDE と変換され、「ヘ」「イ」「ト」「ニ」「ホ」という音列が得られるというわけだ。
1920年の曲集「ドビュッシーの墓 Tombeau de Claude Debussy」の成功に意を強くした『ルヴュ・ミュジカル』誌編集長アンリ・プリュニエールは、二年後の1922年「フォーレを讃えて Hommage à Gabriel Fauré」なる曲集を刊行する。前作と同様、ゆかりの作曲家たち(今回はフォーレ門下の七人)に新作を依頼し、組曲に束ねるという同工異曲のやり方だが、当時フォーレ師はまだご存命なので、「トンボー」でなく「オマージュ」と題されたという次第。
プリュニエールが依頼した作曲家たちに課した条件は、フルネーム Gabriel Fauré を上記の方式で読み替えたGABDBEE FAGDE すなわち「ト」「イ」「ロ」「ニ」「ロ」「ホ」「ホ」「ヘ」「イ」「ト」「ニ」「ホ」の十二の音列を主題として用いること。思うにこれは容易ならぬ難題ではないか。
オマージュの委嘱を受けたのは以下の七名である。
モーリス・ラヴェル Maurice Ravel
ジョルジュ・エネスコ Georges Enesco (Georgiu Enescu)
ルイ・オーベール Louis Aubert
フローラン・シュミット Florent Schmitt
シャルル・ケックラン Charles Koechlin
ポール・ラドミロー Paul Ladmirault
ジャン・ロジェ=デュカス Jean Roger-Ducasse
七人のうち、この課題に真っ向から取り組んだのはラヴェルとフローラン・シュミットだけ。よほど難しかったのか、あるいは馬鹿げていると感じてか、あとの面々は申し合わせたように「フォーレ」すなわちFAGDEの部分だけ用いてお茶を濁している。
出色はなんといってもフローラン・シュミットの楽曲じゃなかろうか。激越に始まるや、まずフォーレの名が左手で連呼(つまり音名で強打)されたのち、ガブリエルの主題、すなわち GABDBEE が明瞭に聴き取れる。三分ほどの小品だが、ドラマティックで緊迫感に満ち、それゆえ師匠のフォーレのお気には召さなかったのではないか(たぶん)。
冒頭に置かれたラヴェルの曲はこの曲集で唯一いくらか知られていよう。ヴァイオリンとピアノの二重奏曲「ガブリエル・フォーレの名による子守唄」である。ラヴェルは発注元の挑戦をしかと受け止め、題名にもあるように「ガブリエル・フォーレ」の音名をそっくり丸ごと主題として、こよなく美しく穏やかな音楽を奏でている。ただし、彼は「ガブリエル」の部分を GABDBEE ではなく GABGDEE と少し変えて用いているのであるが。
いちばんの意欲作はロジェ=デュカスだろうか。二台ピアノ用に書かれた構えの大きな作品で、演奏に十分ほどを要し、他の六人を圧倒している。楽譜を見ず耳で聴いているだけなので、どこにフォーレの名が登場するのかわからなかった。
というわけで、先日手に入れた"Hommages musicaux" というCDに併録されていたので、こちらの曲集もちょっと紹介してみた次第である。
20世紀初頭のパリではどうもこの手のオマージュ曲集が流行したらしく、ほかにもハイドンの歿後百年を記念した「ハイドンの名による六つのピアノ小品」(1909)だの、ルーセルの還暦(とはいわないか)を祝ってまたもプリュニエールが企画した「アルベール・ルーセルのための二つの歌曲と六つのピアノ小品」(1929)などが生まれている。ちなみに参加した作曲家は、前者がドビュッシー、デュカ、アーン、ダンディ、ラヴェル、ヴィドール、後者がドラージュ、オネゲル、プーランク、タンスマン、イベール、コンラート・ベック(=ルーセルの弟子)、アルテュール・オエレ、ミヨーと、どちらもなかなか豪勢である。
先の「フォーレを讃えて」を加え、これら三つの曲集を全部収めた便利なCDがあるので、最後に紹介しておこう。演奏もなかなかのもの。
"Hommages"
「ハイドンの名による六つのピアノ小品」+「アルベール・ルーセルのための二つの歌曲と六つのピアノ小品」+「フォーレを讃えて」
ピアノ=マーガレット・フィンガーハット Margaret Fingerhut ほか
1987年、ザ・モールティングズ、スネイプ録音
Chandos CHAN 8578 (1988)
さらに「ドビュッシーの墓」と「フォーレを讃えて」の全曲をそれぞれ当の本人のピアノ曲と並行して聴かせる興味深いCDも見つけたので、これも併せて紹介する。この二枚は "Music of Tribute" というシリーズのそれぞれ第二、第三集で、このほかヴィラ=ロボス、ドメニコ・スカルラッティ、バッハへのオマージュ作品を集めたアルバムも出ているようである。
"Music of Tribute vol.2: Debussy"
「クロード・ドビュッシーのトンボー(ドビュッシーの墓)」+ドビュッシーのピアノ曲(七曲)
ピアノ=パヴリーナ・ドコフスカ Pavlina Dokovska ほか
1996年、ブルガルア・ホール、ソフィア録音
Labor Records LAB 7032-2 (2001)
"Music of Tribute vol.3: Fauré"
「フォーレを讃えて」+フォーレのピアノ曲(十曲)
ピアノ=ヴラディーミル・ヴァリアレヴィチ Vladimir Valjarevic ほか
2002年、ブルガリア・ホール、ソフィア録音
Labor Records LAB 7043 (2004)