あらゆる音楽家になかでオーケストラ指揮者こそが最高の存在だと信じて疑わない。百人以上の楽団員を統率して、ひとつの主張の備わった音楽を創り上げる能力は並大抵ではないし、何よりもまず、自らはまるで音を発せずして、すべてを成し遂げるというのが凄いではないか。ほとんど魔法のようだ。名人指揮者がしばしば魔術師に擬えられるのも故なしとはしないのである。
以上のような感慨を小生にはじめて抱かせた指揮者はシャルル・ミュンシュだった。
1968年11月6日、初代常任指揮者としてパリ管弦楽団のアメリカ楽旅に同行したミュンシュは旅先のヴァージニア州リッチモンドで客死してしまう。享年七十七。
惜しんでも余りあるその死を悼んで、フジテレビはミュンシュが1962年に二度目の来日を果たし日本フィルハーモニー交響楽団を指揮したときの実況映像を放映した。小生の手控え帖に拠ればそれは歿後間もない11月24日のことで、曲目はラヴェルの「ダフニスとクロエ」第二組曲、そしてニコール・アンリオ=シュヴァイツァーを独奏者とするリストのピアノ協奏曲第一番の二曲だった。
そのうちで今なお忘れがたいのが「ダフニスとクロエ」。三十九年前の記憶が正しいという保証はないのだが、このときTVで観たミュンシュの指揮姿ほど圧倒的な映像に、それからの人生で一度も出会っていない気がする。
それは単に指揮棒でオーケストラを統率するという次元を超越した、なんというか、ミュンシュという人物まるごと、強烈無比な存在そのものが眩いオーラを放射し、タクトを手にした肉体からじかに音楽が溢れ出てくるといった有様だった。
音楽が要求する微妙なニュアンスを異国の楽団員になんとしても伝えようと、ミュンシュの顔の表情が刻一刻と千変万化するのが面白いようにわかる。柔和さを求めるときの、にこやかな童子のような微笑。激しさや峻厳な響きを要求する、鬼神さながら凄まじい形相。うまく演奏できた奏者へと注がれる満面の笑み…。
後年、それと同じ演奏とおぼしきライヴ録音がCD化されたのを聴いたとき、日本フィルの演奏の余りの非力さに愕然としたのであるが、彼の指揮姿に魅了されつつ視聴した時点では、さもこれが比類なき名演であるかのように信じ込んでしまった。ミュンシュの魔術はブラウン管を通して伝播し、観た者を瞬時にその虜とした。あのときの呪縛は未だに解けていないのである。
こんな大昔の記憶を引っ張り出したのは、ほかでもない、シャルル・ミュンシュが東京で「ダフニスとクロエ」を指揮するライヴ映像がこのたびDVDとなって発売されたからである。ただしそれは上記の1962年日本フィル客演時の演奏ではなく、四年後の1966年にフランス放送国立管弦楽団を率いて来日した際の実況記録である。収録はNHK。ミュンシュの来日はこれが最後となった。
ブラームス: 交響曲 第一番 (二〜四楽章) *第一楽章はテープ逸失
ラヴェル: バレエ「ダフニスとクロエ」第二組曲
シャルル・ミュンシュ指揮 フランス放送(ORTF)国立管弦楽団
1966年10月20日/10月8日、東京文化会館
EMI DBV 50677290 (2007)
小生がクラシック音楽を視聴しはじめたのは1967年からなので、このときNHKが放映した番組を観てはいない。記録によると、ミュンシュの振った演目は次のとおり。
10月8日/東京文化会館
シューマン: 交響曲 第四番
プロコフィエフ: ピアノ協奏曲 第二番 (ピアノ=ニコール・アンリオ=シュヴァイツァー)
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第二組曲
10月20日/東京文化会館
フォーレ: 組曲「ペレアスとメリザンド」
ルーセル: 交響曲 第三番
ブラームス: 交響曲 第一番
もはやNHKにはこれらの映像は残されていないようなので、奇しくもパリのアーカイヴに残された演奏記録は貴重極まりない。撮影のカット割りはいかにもNHKらしく入念で、ここぞという場面ではミュンシュのクロースアップ映像もしっかり捉えられているので、「ボー・シャルル Le Beau Charles」すなわち「美男シャルル」と女性たちにもて囃された所以がよくわかる気がする。
ただし、楽団が初対面の日本フィルではなく、気心の知れたパリのオーケストラということもあろうか、身振りや顔の表情を総動員した指揮という側面は後退している。あるいは年齢のせいかもしれぬ(当時七十五歳)。とはいえ、ブラームスの最終楽章での気迫のこもった指揮ぶりはやはり只事ではない。
残念至極なのは、テープの保存状態の違いか、肝腎の「ダフニスとクロエ」の映像のコントラストが強すぎて、ミュンシュの顔がほとんど暗く潰れてしまっていること。あの天使のような悪魔のような百面相が見られないとは悔しい限りだ。
ところで、このDVDには予想だにしない「おまけ」がつく。
ポール・パレーの矍鑠たる指揮姿が明瞭な映像で拝めるのである。
小生はこれまでパレーの動く映像といえば、バイロン・ジャニス(プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第三番)やヘンリック・シェリング(ブラームス:ヴァイオリン協奏曲)の伴奏指揮しか知らず、それもたまにしか姿が映らないので、ほとんど観たとはいえぬ有様だった。ここで思いがけず、附録映像とはいえ二十分以上もパレーの指揮ぶりが鑑賞できるのは望外の慶びである。しかも曲目が滅法いい。
シャブリエ: 気紛れなブーレ
フランス放送国立管弦楽団
1971年3月28日/フランス放送会館、パリ
フォーレ: 組曲「ペレアスとメリザンド」
フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
1971年9月8日/サル・プレイエル、パリ
それぞれパレー御大が八十四歳、八十五歳のときの演奏記録。
ミュンシュの激情的な身振りと較べるといささかぶっきら棒、一見無愛想な指揮に見えなくもないが、その仕草はあくまで敏捷にして的確。仏頂面で厳しい顔つきがときおり緩んで、満足げにわずかに微笑むのがなんだか嬉しい。パレーのシャブリエはまさに生命の炸裂そのものだ。
フォーレの「ペレアスとメリザンド」は彼の鍾愛の曲だけあって、滋味掬すべき秀演、さり気なく淡々と、だが実は万感の思いが篭められる。悲哀に満ちた終曲「メリザンドの死」が静かに終わるとき、パレーの両手と眼差しが遙か天上へと向けられる。その真摯な姿に心打たれぬ者はあるまい。