この夏、ヴァカンスを過ごす友人たちからの便りが相次いだ。曰く、パリの石造りの街並がどれほど美しいか、曰く、水の都ヴェネツィアはいかに魅惑的か。亜細亜の片隅で酷暑に耐える小生には夢のまた夢、羨ましさの極みである。
だが、この暑苦しい極東の都だって捨てたもんじゃない。否、今夜の東京は最高だった。マイケル・ファインスタインの歌が間近に聴けてしまうのだから。ブルーノート東京での三日にわたる生演奏、今日はその第一夜なのだ。
マイケル・ファインスタイン Michael Feinstein という歌手をLPで初めて聴いたのは1987年のこと。アル・ハーシュフェルドの達者な線画で飾られたジャケットに惹かれて何気なく手に取った。NYのアルゴンクィン・ホテルでのライヴを収録した、えらく達者なヴォーカル・アルバムだったと記憶する。
アイラ・ガーシュウィンに才能を見出され、その年若い友人兼助手として六年間を過ごすという特権的な青春期を過ごしたファインスタインは、1990年代の前半、まだ存命中だった黄金期のソングライターたちと組んで、アンソロジー・アルバムをたて続けに制作した。「マイケル・ファインスタイン・シングズ」と銘打たれたバートン・レイン、ジュール・スタイン、ジェリー・ハーマン、ヒュー・マーティンらの「ソングブック」がそれである。これらの貴重な体験を通して、彼はティン・パン・アレー時代から脈々と受け継がれたアメリカン・ポップ・ソングの奥義を体得し、その正当な継承者をもって自他ともに任ずるようになった。
オリジナルなヒット曲のないファインスタインのような歌手は、日本ではどうしても見過ごされがちである。二十年に及ぶキャリアがありながら、これが初来日というのも、まあ、むべなるかな。亜米利加はやはり遠いのだ。
七時きっかりに颯爽と登場したファインスタインは、ウッドベースとドラムスを従え、自らピアノを弾きながら、まずガーシュウィン兄弟の "They All Laughed" と "I Got Rhythm" とをメドレーで唄って幕開けとした。そのあとは "My Romance..." で始まるロジャーズ&ハートの曲(題名失念)、そしてバートン・レインがジュディ・ガーランドの映画のため書いた "How About You"(『ブロードウェイ』1941)へと続く。このあたりで小生は早くもうっとり陶然となる。
ディスクでお馴染みの少しハスキーな声だが、想像していたのとは大違いで、力強く声量たっぷりの熱唱ぶりに驚かされる。ピアノに向かいながらも上半身は常に客席の方に向け、ショーマンシップを欠かさない。それが少しも厭味にならないのは、歌にも立居振舞にも節度と品格が備わっているからだろう。
続いては "Pig Foot Pete" という賑やかなブギウギやら、映画『追憶』でバーブラ・ストライザンドが歌った "The Way We Were"(1973)やら、コール・ポーターがアステア&パウエルのミュージカル映画のために書いた "I Concentrate on You"(『踊るニューヨーク』1939)やら、新旧とり混ぜた多彩な曲目に目が眩みそう。
極め付けのガーシュウィンでは、ヴァースからきちんと唄われた "'S Wonderful" が素晴らしく洒落ていたし、"Nice Work If You Can Get It" "Let's Call the Whole Thing Off" "Someone To Watch Over Me" "Love Is Here To Stay" を繋げたメドレーも心に沁みたなあ。
どうです、いい曲ばかりでしょう、先輩たちはこんなにも素敵なメロディを書き残してくれたんですよ、というファインスタインの自負と愛着が滲み出るような選曲であり、歌唱であった。
一時間と二十分、ヴォリュームたっぷりのフルコースを味わったような満足感と幸福感。最後は今日の演目で最も古い "Alexander's Ragtime Band" で賑々しく締め括られた。
終演後、同行した妹は新譜CD『ホープレス・ロマンティクス』にファインスタインのサインを貰った。小生が持参した旧譜『MGMアルバム』(1989)を「これがフェイヴァリットなので…」と遠慮ぎみに差し出すと、「こりゃえらく古いね、写真が若いゾ」と呟きつつも快くサインして下さった。いい歳をしてミーハーぶりがちょっと恥かしかったが、「アナタを東京で聴けるなんて夢のよう」と正直にお伝えした。
このあと九時半からセカンド・ショーがあるのだという。大したものだ。全くもってミュージシャンはタフでなければ務まらない。