ピークは過ぎた気配があるとはいえ、まだまだ酷暑は続く。
午後遅く、表参道から南青山方面へ。マンションの一室にある「古書 日月堂」店主の佐藤真砂さんを訪ねる。先週お会いしたとき話題に上った連載執筆の件を具体的に話し合う。うまく軌道に乗ればいいのだが。
五時になったので日月堂を辞去し、そこから目と鼻の距離にあるブルーノート東京まで歩く。今夜はここで矢野顕子のライヴがあるのだ。つい先日知って、慌ててネットで予約した。
彼女の生演奏はちょうど一年前、昨年の8月28日に北沢タウンホールで「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」(
→ここ)で聴いて以来だ。小さな会場で聴くということでは、遠い昔、渋谷のジァンジァンでのソロ・コンサート以来だろうか。それだと二十五年ぶりくらいになろう。
小生の知っているライヴハウスといえば草創期の1970年代。その時代の記憶が刷り込まれているので、クールに垢抜けたブルーノート東京のような空間ではいささか気遅れしてしまう。
自由席だが早めに入場したので、ピアノに近い場所をしっかりキープ。ギネス・ビールとサンドウィッチを注文し、ひとりチビチビ飲み食いしていたらいつしか開演時刻の七時になった。
今日の演奏は矢野顕子(vo, pf)、アンソニー・ジャクソン(b)、クリフ・アーモンド(ds)のトリオ。もう十一年間も続けているそうだが、この三人で聴くのは小生はもちろん初めて。さすがに息があっている、というか、それぞれが遠慮なくソロを炸裂させ、しかも破綻しないという盟友的な関係。そのことは視覚的にも明らかだ。ただ、個人的な好みをいえば、線は細くとも矢野の歌唱に繊細に反応できる日本人同士のセッションのほうがありがたいのであるが…。
冒頭の「BAKABON」から最後の「ラーメンたべたい」まで全十曲。一時間がアッという間だ。
1975年にデビュー前の彼女を聴いた体験を自慢するわりに、小生は矢野顕子の勤勉な聴き手とは到底いえず、ずっと疎遠にしていた時代もあるので、知らない曲も多く、ここで全曲目を書き記すことができないのが残念。とはいえ、鍾愛の曲「わたしたち」「ごはんができたよ」、細野さんの「相合傘」までが間近に聴けたものだから大満足。幸福で胸がいっぱいになった。
矢野顕子の歌はだらけた日常に喝を入れる。惰夫をして起たしむる音楽なのだ。
そのことは1988年に「グラノーラ・コンサート」を聴いたとき痛感した。彼女のような天才と卑小なオノレをひき較べては申し訳ないのだが、それでも「もっとしっかりせねば」と思わせるパワーがたしかに彼女には備わっている。そうだ、と帰りの夜道でひとりごちた、僕も僕なりに頑張らなくっちゃ!