(17日のつづき)
作曲者ベルリオーズの最終的な目論見では、この歌曲集「夏の夜」は男女取り混ぜて二人から四人の歌手がとっかえひっかえ交代で歌う、という構想だったらしい。19世紀には一夜のプログラムに雑多な演目が混在し、多くの演奏家が動員されることが珍しくなかったので、こんな贅沢な役割分担も可能だったのだろう。
1. ヴィラネル Villanelle
メゾソプラノまたは
テノール
2. 薔薇の亡霊 Le Spectre de la rose
コントラルト
3. 入江のほとり Sur les lagunes
バリトン、
コントラルトまたは
メゾソプラノ
4. 君なくて Absence
メゾソプラノまたは
テノール
5. 墓地にて Au cimitière
テノール
6. 未知の島 L'Ile inconnue
メゾソプラノまたは
テノール
ベルリオーズが付曲したテオフィル・ゴーティエの詩が描き出す愛の姿の多様性にも目を瞠る。
一口に「愛の歌」というが、その諸相はまことにさまざまであって、漠然と音楽を聴き流すと気づかずに過ぎてしまうのだが、原詩と首っ引きでじっくり味わうと、その世界の広大さ、豊穣さに驚かされる。
無邪気であどけない恋心を素直に歌った「ヴィラネル」から、失恋の痛手を嘆き哀しむ「君なくて」、死者を偲んで深く沈潜する「入江のほとり」と「墓地にて」、果てしのない憧憬を謳い上げる「未知の島」まで。二曲目の「薔薇の亡霊」はしばしば「薔薇の精」と訳される(バレエ・リュスでニジンスキーがこの詩を下敷きに、同名のバレエを踊った)が、ゴーティエは主人公を「精、化身 génie」ではなく、はっきり「亡霊 spectre」と特定し、「僕が命を落とした原因は君だよ」と女性に呼びかけさせている。
ベルリオーズが選んだ六つの詩のうち三篇までが「死」を主題としているのは偶然ではあるまい。「薔薇の亡霊」では墓(tombeau)、「入江のほとり」では棺(cercueil)と喪(deuil)がはっきり名指しされる。「墓地にて」については説明を要すまい。
せっかくなので、「入江のほとり」の原詩であるゴーティエの「漁夫の唄」の冒頭を写しておこう。斎藤磯雄の名調子でどうぞ(『フランスの歌曲』三笠書房、1952)。
戀びとはみまかりぬ、
わが涙、はてもなし。
おくつきの彼方へと
消え去りしわが戀や。
つれそふを待ちもせで、
みそらへと翔び去りぬ、
われひとり棄ておきて
みつかひはつれ去りぬ。
にがきわがさだめかな、
ああ、戀も、戀もなく、
うなばらを行くわれか。
白たへのかのひとは
柩にぞ、やすらひぬ。
天も地もわが眼には
黒き喪におほわれぬ。
ゴーティエの詩はおおむね男性の視点から語られ、愛の対象は「美しきひと ma belle」「美しき友 ma belle amie」と女性形で呼びかけられる。「薔薇の亡霊」の「亡霊」も、まあ間違いなく男であろう。ベルリオーズが最終的にいくつもの歌をテノールやバリトンといった男声に割り振ったのも無理からぬことなのである。
(8月28日につづく)