劇作家チェーホフについては知るところがあまりに少ない。実はその芝居を生で観たことすらないのである。
そのチェーホフと彼の実の妹、そして彼の妻となる女優、三人の男女の愛憎入り混じった「三角関係」を扱ったドラマだ、と聞いて、いささか怯んだ。少しは予習しようかとも思ったのだが、やっぱり止めにした。ほとんど白紙の状態で出向くことにした。
三軒茶屋に『ロマンス』を観に行く。井上ひさしの最新作である。
こまつ座&シス・カンパニー公演 「ロマンス」 世田谷パブリックシアター
作/井上ひさし
演出/栗山民也
音楽/宇野誠一郎
衣裳/前田文子
振付/井出茂太
ピアノ演奏/後藤浩明
出演/
大竹しのぶ (オリガ・クニッペル)
松たか子 (マリヤ・チェーホワ)
段田安則 (チェーホフ )
生瀬勝久 (チェーホフ)
井上芳雄 (チェーホフ)
木場勝己 (チェーホフ)
なんといっても井上ひさしの芝居である。何も知らない観客に、サーヴィスたっぷりに情報を提供し、ありったけの薀蓄を傾け、懇切丁寧に事情を説明し、啓蒙する。予備知識はなくとも十二分に楽しめる。ブレヒト顔負けの教育劇なのだ。
舞台はまずチェーホフの少年時代から説き起こす。貧しさのなかでさんざん辛酸を舐めつつ、モスクワへ出て苦学しながら医学を修める。その傍ら、生活に足しになればと、軽い読物をあちこちの雑誌に寄稿する。
そんな彼に全幅の信頼と愛情を寄せる三歳年下の妹のマリヤ。彼女はその後もずっと影のように兄に寄り沿いながら生きる。ときには彼の本業を手伝う有能な看護婦として、ときには文筆業の秘書兼マネージャーとして、そしてもちろん、無償の愛を捧げる妹として。
そこに現れたのが新興劇団モスクワ芸術座の新人女優オリガ・クニッペル。チェーホフの才能に傾倒し、やがて「かもめ」での演技を認められ、一座の看板女優にまで昇りつめる。そして、いささか強引なまでにチェーホフに接近し、ついに独身主義者チェーホフの宗旨替えに成功する。
最愛の兄を「奪われた」形になった妹マリヤと、いまやチェーホフ夫人となったオリガ。ともにチェーホフを愛することでは人後に落ちないふたりの女性の間で激しい感情の火花が散る。その愛憎と葛藤のドラマが、劇の後半の大きな主題となる。そしてほどなく、宿痾の結核に蝕まれたチェーホフは、「桜の園」を書き終えて間もなく、わずか四十四で早世する…。
(21日につづく)