典型的な田舎のポップス少年だった小生がクラシック音楽を集中的に聴くようになったのは、親からFMラジオを買って貰った中学三年のときから。1967年のことだ。
それからの数年がわが生涯で最も熱心に音楽を聴いて吸収した時期だったとつくづく思う。十五歳から二十歳頃までに今日となんら変わらぬ嗜好と志向がすっかり出来上がってしまい、それからはまあ、クラシック聴取に関しては進歩がないというか、お釣りの人生というか、ほとんど変わっていない。
フランス近代音楽の魅力に開眼するうえでは、その頃に来日してNHK交響楽団を振ったフランスの指揮者ジャン・フルネのお蔭をおおいに蒙っている。1969年のことだったと記憶する。
ベルリオーズ「イタリアのハロルド」、サン=サーンス「交響曲第三番」、ダンディ「フランスの山人の歌による交響曲」、ドビュッシー「牧神」と「海」、ピエルネ「シダリーズと牧羊神」、ルーセル「交響曲第三番」、プーランク「牝鹿」…
記憶を辿ってみると、ざっとこんな曲目だったろうか。実演を聴きにいったわけではないが、NHKのAMとFMで繰り返し放送され、TV番組でフルネの温和で典雅な指揮姿に触れるうち、いつしかフランス近代音楽の虜になってしまっていた。その意味で彼はわが恩人のひとりということになろうか。
古本屋で当時のN響のプログラムを探し出したので、正確な演奏記録をここに書き写しておく。
1969年9月24、25日(第528回定期) 東京文化会館
ピエルネ: バレエ音楽「シダリーズと牧羊神」
ダンディ: フランスの山人の歌による交響曲 ピアノ=井上二葉
サン=サーンス: 交響曲 第三番
1969年9月29日(臨時演奏会) 東京厚生年金会館
ベルリオーズ: 歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲
サン=サーンス: ヴァイオリン協奏曲 第三番 ヴァイオリン=海野義雄
ドビュッシー: 牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー: 交響詩「海」
1969年10月14、15日(第529回定期) 東京文化会館
ベルリオーズ: 交響曲「イタリアのハロルド」 ヴィオラ=白神定典
プーランク: バレエ組曲「牝鹿」
ルーセル: 交響曲 第三番
どうです、なかなかの曲目構成でしょう?
これらをTVとラジオで繰り返し視聴したものだから、小生はすっかりフランス近代音楽の虜となり、その魅力に酔いしれた…とまあ、そういう昔話なのである。
…で、なんの話題だったかというと、このとき聴いたダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」が稀代の名演だった…ような気がする…という、まことに不確かな記憶について語ろうとしていたのである。
素人鑑賞者の悲しさで、初めて聴いて好きになったときの演奏の呪縛からなかなか逃れられない。このときの記憶もまあ、それに類するものかもしれない。フルネの実演にはその後、何度か接する機会があったのだが、いつもなんというか、今ひとつ吹っ切れない、微温的なもどかしさが付き纏っていたので、このときの「フランスの山人…」もその類いの凡演だった可能性もあるのだが、小生の記憶のなかでは、朴訥ながら折り目正しく、鄙びた味わいが実に好もしい演奏だった…ような気がしてならないのだ。NHKのアーカイヴにもし実況録音が残っているのなら、是非とももう一度耳にしたいものである。
こんなことに拘泥するのには実は訳がある。同じ頃にTVやラジオで視聴して幼心に刻まれた「わが記憶のなかの名演」のいくつかに、最近になってCDで再会した。ヨーゼフ・カイルベルトが手兵バンベルク交響楽団と来日したときのブラームスの第四交響曲(1969)、田中希代子さんがN響の定期で弾いたサン=サーンスの第四ピアノ協奏曲(1968)など、数十年ぶりに接してみて、これが心中に思い描いていたとおり、まさしく至高の演奏だったのである。
こうなると俄かに欲が出てきて、同じときにカイルベルトが振ったヒンデミットの「画家マティス」が聴いてみたい、マタチッチがN響を振ったバッハの「クリスマス・オラトリオ」は素晴らしかったゾ、フルネが客演したときの「フランスの山人…」やルーセルの交響曲は名演だったはずだ…と次々に思い出の扉が開いたという次第なのだ。
長すぎる前置きはこれくらいにしよう。
ヴァンサン・ダンディ Vincent d'Indy(1851-1931)の長大な作品リストを眺めると溜息が出る。われわれが聴き得る作品はなんと少ないのだろうか、と。
オペラをとってみても、ジョルジュ・サンド原作の「名演奏家たち」、ゲーテに基づく「マホメット」、シャトーブリアン原作の「レ・ザバンセラージュ」など、まるで知らない演目がずらり並び、よく言及される「フェルヴァール」も「異邦人」も、自慢じゃないが一音たりとも聴いたことがない。
交響曲だって、この「フランスの山人の歌による交響曲」以外にも三曲あるのだが、これまた「第二番」を除いては全く未聴。そのほか聖俗とり混ぜて夥しい数の声楽曲もあるようだが、申し訳ないが何ひとつ知らない。わずかにいくつかの室内楽曲とピアノ曲のCDが手許にあるだけだ。
せんだって紹介したロパルツ同様、セザール・フランクの深甚な影響下でワーグナーを必死に克服し、気骨あるフランス音楽を樹立しようとした偉さは理解するものの、後進のドビュッシー、ラヴェルに匹敵するような感覚的な冴えはまるでなく、古色蒼然たる無骨な生真面目さが前面に出てくる。生前の赫々たる名声に比して、今日的な人気がきわめて低いのも致し方あるまい。
そんな状況にあって、この「フランスの山人の歌による交響曲」だけは別格だ。
交響曲とは名ばかりで、実態はピアノを独奏楽器とする華麗でロマンティックな協奏曲にほかならない。しかもそこには鄙びた味わい(なにしろ主題の旋律は「山人の歌」なのだ)が横溢する。
都会の喧騒を遠く離れた南仏の高原地帯で、土地の民謡に耳を傾け、爽やかな涼風に吹かれながら、のんびりと一夏を過ごす…。まあこれは地獄の暑さに喘ぐ日本人の勝手な想像だが、そんな長閑で居心地のよい風景がパノラミックに展開する、破格のリゾート交響曲なのである。
(続きはまた明日)