(承前)
ディーリアスの弦楽合奏曲「二つの水彩画」が夏の宵に似つかわしいのは、穏やかで平明なメロディライン、ひっそりとたゆたうような和声の故だけではない。この楽曲は明らかに「夏の夜」を描写している、というと言葉が過ぎるかもしれないが、聴き手にそうした情景を想起させようとしているからだ。
今は亡き三浦淳史さんが、マリナー盤のライナーノーツでこの曲を解説して、「第1曲では、第1と第2のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロはそれぞれ分割され、ダブル・ベースは終りの6小節だけ参加する。かぼそく美しい旋律が、やわらかく変わっていく和声のなかに、微光を放ちながらとけこみ、
夏の夜のしずかな情景をよびさます。第2曲でも弦楽は分割され、抒情豊かに高潮してから、曲は
河上の夏の夜のしじまのなかに消えていく」と、いささか断定的に記すのも、故なきことではない。
三浦さんがこう言い切るのは、もちろん原曲の無伴奏合唱曲 "To Be Sung of a Summer Night on the Water" を踏まえてのこと。ディーリアスは1917年、55歳のときにオリアーナ・マドリガル・ソサエティという合唱団の指揮者チャールズ・ケネディ・スコットからの依頼でこれを作曲した。題名は言うまでもなくディーリアス自身の発案になるが、歌詞は用いられず、作曲者がスコットに宛てた手紙の指示では「第1曲は当然 'Ah' で歌うべきで、第2曲ではテノール・ソロは当然 'La' で歌ってほしい」(三浦淳史=訳)とのこと。
この合唱曲の邦題を「夏の夜 水の上にて歌える」と訳したのも三浦淳史さんだった。
同曲をフィーチャーしたケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団のLPが1978年に出た際、この典雅な標題が定められたのである(東芝EMI EAC 80448)。そのときのライナーノーツ文中で三浦さんはこう書いておられる。
訳名はこの解説者のかなり自由な意訳であるが、'To be sung...' の前に Two songs をおぎなってみると、「よく夏の夜などに水の上で歌われる2つの歌」の意である。素朴なパートソングに夏の夜のアトモスフェアと抒情が美しくたたえられており、第1曲はロアン河上の静かな夏の夜を、第2曲は若き日に放浪したフロリダはセント・ジョン河の夏の夜を、ノスタルジーをこめてうたったのであろう。
なるほどねえ。そうだったのか! たしかにそうかもしれない。
たしかに第一曲の「レント、マ・ノン・トロッポ」のか細く哀切な旋律は、ロワン川の情景を写した管弦楽曲「川の上の夏の夜」に相通ずるものだし、二曲目「陽気に、だが早くなく」は、フロリダでオレンジ農園を経営した若き日に聴いた黒人音楽にインスパイアされた管弦楽曲「ラ・カリンダ」とよく似通っている。とするならば、このわずか四分ほどの小曲には大西洋を挟んだふたつの河にまつわるディーリアスの想い出が色濃く滲んでいることになろう。
再び弦楽合奏版の「二つの水彩画」に戻ると、この弦楽合奏用の編曲をフェンビーに依頼したのは、往年の名ヴァイオリニスト、アルバート・サモンズなのだという。初録音はボイド・ニールとその合奏団のSP盤だそうだが、残念ながら聴いたことがない。
小生の手許にある最も古い演奏はジョン・バルビローリ卿がSP末期の1948年に録音したディスクをCD覆刻したものだ。
"Sir John Barbirolli Conducts Delius"
Dutton Laboratories-The John Barbirolli Society CDSJB 1005 (1996)
この盤にはバルビローリが手兵ハレ管弦楽団と1956年にPyeレーベルに録音した「牧歌」など五曲のディーリアス、彼がディーリアスの生前、1929年に初録音した「日の出前の歌」、そして1948年の「二つの水彩画」、1950年の「夏の歌」までが収録されている。
この「二つの水彩画」がなかなかいいのである。表情が濃くて、哀感もたっぷり。さすがバルビローリは只者じゃない。
晩年にあれほど精力的にディーリアスの新録音に取り組み、死の数日前の最後の録音セッションもディーリアス(「ブリッグ・フェア」と「アパラキア」)だったバルビローリのことだから、あと寿命が一年でもあれば、この曲の再録音も実現していたろう、と惜しまれてならない。
そうした渇を癒すようなライヴ録音が出現した。非正規の海賊盤CD-Rなのであまり大きな声で紹介できないのだが、こんな驚くべき音源なのである。
ヘンデル: 合奏協奏曲 変ロ長調 作品6-7
ウォルトン: 「ヘンリー五世」より 二つの小品
マルチェッロ: オーボエ協奏曲 ハ短調 オーボエ=イヴリン・ロスウェル
ディーリアス: 二つの水彩画
エルガー: 序奏とアレグロ
ジョン・バルビローリ卿指揮 ロサンジェルス室内管弦楽団(1969年11月17日)
Vibrato VHL 201
どうです、ちょっと吃驚でしょう。
バルビローリとロサンジェルスというのが咄嗟に結びつかなかったが、彼は1941年以来、何度もこの地を訪れ、ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団を指揮している。マイケル・ケネディの評伝に拠れば、彼は確かに1969年11月、ほぼ一箇月間この街に滞在してロス・フィルを振っている。当時の常任指揮者はズビン・メータだったが、その父メーリ・メータはかつてバルビローリの手兵ハレ管弦楽団のヴァイオリン奏者だった誼みもあり、このオーケストラとの絆が深まったのであろう。上記のロサンジェルス室内管弦楽団の実態は不明ながら、演奏は(ちょっと粗っぽいものの)バルビローリらしい、たっぷりとした歌心が全開である。
ここでの「二つの水彩画」が心に沁み入る演奏なのだ。とりわけ第一曲の「レント、マ・ノン・トロッポ」では異例なまでにテンポを遅くとって、弦を余韻嫋々と心ゆくまで歌わせている。このあと、バルビローリにはあと八箇月の余命しか残されていない…。
この項の最後はやはりケイト・ブッシュに登場願おう。
彼女のサード・アルバム『魔物語 Never for Ever』(1980)の第二曲目、Delius (Song of Summer) の一節である。
1958年生まれのケイトはわずか十歳でケン・ラッセルのTV映画『夏の歌』を観て、そのときの消しがたい強烈な記憶をもとに、この不思議な静謐に満ちた曲を書いたのだという。そういえば、この歌にも夏の夜の気だるいムードが横溢している。
Ooh, he's a moody old man.
Song of summer in his hand.
Ooh, he's a moody old man.
...in...in...in his hand.
...in his hand.
そこに、いきなり映画のなかのディーリアスのだみ声を模した台詞が聞こえる。
"Ta, ta-ta!
Hmm.
Ta, ta-ta!
In B, Fenby!"
そして、ぶんぶんいう虫の羽音が低く響きわたるなか、草叢のなかに消え入るように曲は終わる。リフレインの最後はこんなふうだ。
To be sung of a summer night on the water
Ooh, on the water.
On the water.