昨晩は流れ星を数えながら夜風に吹かれるという得がたい体験をして、しばし夏の暑さを忘れた。
ところが一夜明けるとまたしても容赦ない真夏日、ちょっと表に出ただけで気が遠くなりそうだ。やはり今日も部屋にいて、涼しげな音楽を聴いているに限る。
というわけで、今回は英国音楽、それもすがすがしい弦楽合奏に耳を傾けてみよう。
取り上げる楽曲はフレデリック・ディーリアス Frederick Delius(1862‐1934)の「二つの水彩画 Two Aquarelles」。題名からして透明な清涼感が漂う、いかにも夏向きの音楽だ。
ディーリアス、そして夏、とくれば、そのものズバリ「夏の歌 A Song of Summer」(1931)という作品がある。梅毒の末期症状で視力と四肢の自由を奪われた晩年のディーリアスが、青年助手エリック・フェンビーの献身的な助力で創作に復帰し、一音一音口述筆記で仕上げた管弦楽曲である。その顛末はBBC時代のケン・ラッセル監督が同名のTV映画(1968)のなかで余すところなく描き出していた。そのことについては拙著『12インチのギャラリー』の終章で詳しく触れたので、今日はこれくらいにとどめておこう。
このほか、作曲家が長く住んだパリ郊外グレ・シュル・ロワン村の川沿いの庭園にインスパイアされた管弦楽曲「夏の庭園で In a Summer Garden」やら、ロワン川での舟遊びを暗示した「川の上の夏の夜 Summer Night on the River」やら、ディーリアスには何かと夏に縁のある楽曲が散見される。この季節に格別の想いを寄せていたことは確実であろう。
さて、このたび取り上げる「二つの水彩画」であるが、これはディーリアス自身のオリジナルではない。もともと1917年に書かれた "To Be Sung of Summer Night on the Water" という二つの合唱曲(無伴奏・無歌詞)に基づいて、助手のフェンビーが弦楽合奏用に編曲したものである。題名もディーリアスの歿後この編曲譜が刊行される際に命名された。
この美しい小品の存在を世に知らしめたのは、三年の時を隔てて収録された以下の二枚のアルバムの功績である。
パーセル(ブリテン編): シャコニー(シャコンヌ)
エルガー: 序奏とアレグロ
ブリテン: シンプル・シンフォニー
ディーリアス(フェンビー編): 二つの水彩画
ブリッジ: ロジャー・デ・カヴァリー卿
ベンジャミン・ブリテン指揮 イギリス室内管弦楽団
(1968録音、オールドバラ)
ロンドン SLC 1816 (1969)
ホルスト: セイント・ポール組曲
ディーリアス(フェンビー編): 二つの水彩画
パーセル(ブリテン編): シャコニー
ヴォーン・ウィリアムズ(アーノルド・フォスター編): 前奏曲「ロージメードル」
ウォルトン: 映画「ヘンリー五世」より 二つの小品
ブリテン: シンプル・シンフォニー
ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー・オヴ・セイント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
(1971録音、ロンドン)
エンジェル EAC 70234 (1977)
こうして曲目を書き写していると、初めてこれらのディスクに接したときの新鮮な驚きが甦ってくる。今でこそ英国音楽のアンソロジーは珍しくないが、小生がこれらに接した1970年代初頭にはイギリス近代の弦楽合奏曲ばかり集めたLPはきわめて稀だったのである。
ブリテンが指揮したアルバムは、ほぼ同時期にノーマン・デル・マーが振った同種の盤(HMV)と並んで、その嚆矢と呼ぶべきものだった。英国音楽の祖パーセルの楽曲を冒頭に掲げ、大先輩のエルガーとディーリアス、さらには自らの恩師たるブリッジ、そして自作という選曲は、実にバランスのとれたイギリス音楽入門篇、手短な「早わかり」の趣があった。特筆すべきは、どの曲にも等しく、ブリテンの並々ならぬ愛着が感じられること。彼の指揮で「二つの水彩画」と出遭えたのは幸せだった。
一方のマリナー指揮によるアルバムは先行するブリテン盤を明らかに意識している。パーセル、ディーリアス、ブリテンの三曲が共通しており、エルガーは別にアルバム(Argo)を録音した直後だったのでここでは省き、代わりにホルスト、そしてVWの美しい秘曲、当時まだ現役だったウォルトンの映画音楽、という凝りに凝った選曲がまことに素晴らしい。
改めて聴き直してみると、いささか滋味に乏しく、ちょっと一本調子なところもある。ブリテンとはやはり格が違うと実感されるのだが、初めて耳にしたときは先行盤を凌ぐ爽快な名演と思えたものだ。なお、これは蛇足であるが、なかなか出ない日本盤を待ちきれず、ビアズリーの挿画をジャケットにあしらった輸入盤を愛聴したものだ。その瀟洒なジャケットは拙著にも収録してある。
(続きはまた明日)