やりきれないほどの猛暑が続いている。窓を開け放って風を通すやり方ではどうにもしのぐことができず、ここ数日は通常の禁を破ってエアコンのスイッチを入れている。
冷房のきいた室内で然るべき音楽を聴く。リゾート地に出かけられぬ貧書生にとって、どうやらこれに優る有効な銷夏法はなさそうである。
夏をしのぐ音楽とは何か。なんといってもボサノヴァに限る、という意見もあろうし、クールな女性ジャズ・ヴォーカルがしっくり来るという方もおられよう。
今日ここでお奨めしたいのは、フランス近代の室内楽、それもあまり知られていない作曲家の、ほとんど耳にしない音楽だ。
小生は全くの偶然からこれと出遭い、透明感漂う不思議な静けさ、民謡のように素朴で、しかもどこか厳かでもある玄妙な佇まいにずっと惹かれてきた。
ロパルツの「前奏曲、マリーヌとシャンソン」という。フルート、ハープ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの五重奏のために書かれた十二、三分ほどの小曲だ。
この曲を初めて耳にしたのは1967年か68年だと思う。高校入試に受かったら褒美にプレゼントすると言われていたFMチューナー付きのトランジスタ・ラジオを、親にせがんで中学三年で買ってもらった。そのラジオでありとあらゆる番組を聴き漁っていた時分のことだ。
今はどうだか知らないが、当時NHK・FMの夜十一時台に「朗読の時間」という帯番組があった。名だたる声優が古今の書物を毎回十五分ほどだろうか、少しずつ読み進めていく。一冊を読み通すのに、優に一箇月はかかったと記憶する。
今でも憶えている作品としては、青柳瑞穂の翻訳による『モーパッサン短篇集』、ジュール・ヴェルヌの『二年間の休暇』(「十五少年漂流記」の完訳版)、シルクロード学者スウェン・ヘディンの旅行記『さまよえる湖』、題名を失念してしまったが、ピエール・ロティの紀行小説(『東洋の幻影』だった?)もあったのではないか。
番組の始めと終わりには、いつも決まったテーマ音楽が流される。それが読まれる作品ごとに替わるのである。冒頭に聴かれるのはほんの十秒足らず。その辺りでアナウンサーの「朗読の時間、モーパッサン短篇集の第十二回、今日は『二人の友』の後半を聴いていただきます」というような声がかぶさり、ほどなくフェイドアウト。番組の終わりも同様だが、たまたま朗読が短めだった場合は音楽が若干長く、ひょっとすると一分ほど流れる日もあった。
番組の性格上、テーマ音楽には決まって静謐で緩やかな曲が選ばれていたのだが、その選曲のセンスが抜群に良かった。よほど音楽好きのプロデューサーだったのだろう。朗読される文学作品とも絶妙にマッチして響き合うのが、子供心にもよくわかった。
モーツァルトの「ジュピター交響曲」の第二楽章。ドビュッシーの管弦楽曲「夜想曲」の第一曲「雲」。ホルストの組曲「惑星」の終曲「海王星」。思い出せるのはこのあたりだ。どの曲がどの作品の朗読時に流されたか。残念ながら、さすがにそこまでは憶えていない。
ひとつだけ、全く聴き覚えのない曲あった。フルートとハープが穏やかに絡み合う、玄妙で神秘的な調べがいたく気に入ったのだが、誰のなんという音楽なのか、皆目見当がつかない。
思い余って内幸町宛てに往復葉書で問い合わせたら、番組担当者が親切にも教えてくれた。それが今日ご紹介するロパルツの「前奏曲、マリーヌとシャンソン」、その第二曲目の「マリーヌ Marine」だった。もう四十年も前の出来事である。
NHKの方は懇切にもそれがメロス・アンサンブルという団体の演奏で、フィリップスから日本盤が出ていることまでご教示下さったのだが、残念なことにその時点ですでに入手不能になっていた。
「メロス・アンサンブル/フランス近代室内楽選」
ラヴェル: 序奏とアレグロ
ドビュッシー: フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ
ルーセル: セレナード
ロパルツ: 前奏曲、マリーンとシャンソン
メロス・アンサンブル、オシアン・エリス=ハープフィリップス(L'Oiseau Lyre 原盤) SFL 7843 (1965年発売)
早速、上野の東京文化会館の資料室で試聴してみた。間違いない。このロパルツの曲だ。番組で流れたのは、その第二楽章「マリーン」(これが当盤での表記。「海の曲」「海景」というほどの意)の出だしのところに違いない。演奏も全く同一。それもそのはず、このディスクこそは同曲のステレオ初録音だったのである。
ジョゼフ=ギー・ロパルツ Joseph-Guy Ropartz(1864-1955)はブルターニュ生まれ。パリ音楽院でマスネーとデュポワに学んだのち、セザール・フランクに師事、その音楽に深く帰依した。生地ブルターニュの民謡を素材に、あまたの宗教音楽に加え、交響曲、室内楽、オペラなど多くの作品を残した。世代的にはドビュッシーとほぼ同世代に属し、しかも第二次大戦後まで活躍、長寿を全うしたが、作風的にはフランクの影響を色濃くとどめ、20世紀的な革新とはさしたる接点をもたなかった。ナンシーとストラスブールの音楽院長を歴任し、多くの後進を育てた。…
以上のような知見を、そのとき手にした同盤ジャケットに記された岡俊雄さんのライナーノーツから得た。もっともその時点で、わが国で聴けるロパルツの音楽はこれ一曲だけだった。否、日本ばかりか、世界じゅうで手に入るロパルツのLPといえばこの一枚しかなかったので、それ以上の情報を得ることは叶わなかった。
わかったことはただひとつ。この「前奏曲、マリーヌとシャンソン」に関する限り、ロパルツの筆は繊細にして幽玄。同じディスクに収録されたフランス近代のフルートとハープを交えた室内楽、例えばドビュッシーやラヴェルの楽曲に較べても遜色のない出来映えであるということだ。
(続きはまた明日)